第36話 おやきは太鼓饅頭で今川焼

 あまりに維吹さんの格好がひどい! ということで、何度か話し合いをした結果、わたしが着物を買ってくることになった。


 維吹さん曰く、「当世流行りの柄とか模様がわからない」「店の人に話しかけられるのが苦手」ということで、わたしがその任を押しつけられてしまったのだ。おまけに「これ、お駄賃ね」と、結構多めの金子きんすも受け取ってしまい――。


 こうなったら維吹さんにめちゃくちゃ似合いそうな、素敵な着物を探し出す!

 本当は反物たんもの選びから始めたいところだけど、そんなことしてたらあっという間に春になってしまいそうだから、今回は出来合いで我慢がまん。

 浅草あさくさ日暮里にっぽり界隈には繊維関係の店がたくさん軒を並べていて、着物を扱う店も多い。浅草にはこの前行ったばかりだから、今回は日暮里にしようかな? 上野の山を左手に見ながら北に歩けばすぐだし、道に迷うこともなさそうだ。


 年末のにぎやかな通りを歩きながら、なんとはなしに商店を覗く。八百屋に草履屋ぞうりや乾物問屋かんぶつどんや荒物屋あらものや――。

 そうしてちょうど、小間物屋こまものやの前を通りかかったとき。

 店番のおばさんがなにかに気づいたように表通りに飛びだすと、慌ただしく前掛けをひるがえし、そばの脇道へと入っていった。


「ちょっとあんた、お待ちよ!」と鋭い声が響いたところからして、もしかして万引き⁉ なんて、わたしはドキドキしながら塀の陰から覗いてしまったんだけど。


 おばさんに引き留められていたのは、茶褐色の軍服に腰には軍刀という、わたしのよく知る人物だった。


「ねえ、あんた、一度礼を言おうと思って探してたんだよ!」


 すがりつくようなおばさんに、鬱陶うっとうしそうな瞳を向ける衣川ころもがわさん。


「礼……? 人違いでは?」

「いんや、軍人さん、あんただよ! 四月に起こった浅草の火事で、絶体絶命になった婆ちゃんと私を炎の中から助け出してくれたじゃないか! なのにあんた、まだ逃げ遅れた人がいるってんでもう一度戻っちまっただろ? あのまま死んだかと思って、今日の今日まで気に病んでたんだよ!」

「……だから人違いだ」


 衣川さんはさっときびすを返すと、振り返らずに行ってしまう。


「なにさ、隠すことないじゃないか!」


 おばさんは怒ったように吐き捨てて、草履で地面を踏みつける。それでも遠ざかる背中を追わないのは、問いつめても無駄だと思ったのか……。


 ――あれ? なんだかこれと似たようなことが、だいぶ前にもあったような。


 わたしは記憶の底を掘り返す。

 帝都が梅雨に入るか入らないかのころ、不忍池しのばずのいけのほとりで女の子に声をかけられて、「人違いだ」と返していた。あのときはてっきり愛の告白だろうと思っていたけど……。


 ……衣川さんが、火事場で人助けをした。でも「善行はひけらかすものではない」の精神で、しらばっくれてるとか? それともほんとに人違い?

 よくわからないまま、なんだか妙なものを見ちゃったなぁ……と、首を振り振りその場をそっと後にする。


 そう言えば、衣川さんてどういう経緯であやかし担当の軍人になったんだろう? 人より霊力が強いとか? それとも維吹さんみたく、そういう一族の出とか?


 そんなことを考えながら、上野の山のふもと、上野駅のあたりまでやって来たとき、わたしはまたもや見知った顔に出くわした。

 いきな洋装の雑誌記者、葉山さんが客待ちタクシーの運転手たちとなにやら談笑していたのだ。


「よっ! こんなところであんたに会うなんて奇遇だな!」


 近づいてきたわたしに気がつき、葉山さんが片手を挙げる。ついでに「食う?」と経木きょうぎに包んで差し出してきたのは、小麦粉で作った皮にあんこを挟んで焼いたホカホカのお菓子だ。


「あ、おやき! わたし大好き!」


 嬉々として手を伸ばしたわたしを、葉山さんが興味深そうに見つめてくる。


「ん? なに?」

「いや、うちの地元じゃ太鼓饅頭たいこまんじゅうって言うんだけど、おやきってのは初めて聞いたと思ってさ」


 すると、葉山さんとおしゃべりに興じていた運転手たちもそれぞれ話に乗ってくる。


「おやきってぇとほら、信州のおやきと勘違いしちまうよな」

「でも今年の春ごろ乗せた客に、やっぱりこれをおやきって言うのがいたぜ?」

「帝都の人間は、今川焼いまがわやきって呼ぶけどな」


 ……どうやらこのお菓子、地方名が多いらしい。


「ところで葉山さん、こんなところでサボり?」


 わたしがあんこを舐めながら訊ねると、彼は憤慨したように首を振る。


「ちょうど今、タクシーに乗せた客が消える事件が頻発してんの! だからその取材!」

「へぇ? 次から次へとよくネタがあるわね。そういえば、初夏から追ってた浅草の不死身男――あれはどうなったの?」

「……よく覚えてんな、あんた」


 葉山さんが感心したように目を見張る。


「あれは残念だけど諦めたよ。四月六日に起こった浅草の大火で――火元は田町たまちの俳優の家で、留守を預かった女中の火の不始末が原因だってわかってるし、それ自体はなんの不思議もないんだけど。逃げ遅れた住民をせっせと救助した軍人がいたんだ。でもその活躍がどう考えても人間離れしててさ。だから不死身男と名づけて記事を書こうとしたんだけど、調べようとすればするほど妙な妨害が入るし、とうとう社長からストップもかかっちゃって」


 ――んんん?

 まさに適時な話題というか、わたしの胸にめちゃくちゃ引っ掛かる出来事が蘇る。おまけに人間離れした活躍ってのも気になるし!


「あれ? どうかした?」

「う、ううん、なんでもない。で、そっちはやめて、次のネタがタクシーの中からお客が消えるってやつなのね?」

「そっ。こっちはこっちでおもしろそうだろ?」

「それ記事にするとしたら、『果たして客の正体は? 恨みを呑んだ幽霊か、はたまた奇怪なあやかしか?』って感じ? 時代が変わっても同じようなことは起こるわけね……」


 わたしがぽつりとつぶやくと、葉山さんは「なんだよ、それ?」と食いついてくる。


「あ、知らない? 江戸時代にもあったのよ、駕籠かごに乗せた客が幽霊で……って話。明治時代には人力車に乗せたご婦人が……ってのもあったし」

「へぇ? たしかにタクシーの怪談と似てるな」


 さっそく手帳と鉛筆を取りだし、葉山さんがメモを取る。


「時代や乗りものが変わっても、怪談の本質って変わらないのかもね」


 なんとなくうまく話をまとめたところでおやきも食べ終わり、わたしは葉山さんと別れて日暮里へ。

 目的地に着く前に、ちょっぴり寄り道してしまったせいで陽が傾き始めている。冬は日暮れが早いから、さっさと用事を済ませないと。


 だからこのとき、焦っていたわたしはまったく気づいていなかったのだ。

 なにげなく話してくれたタクシー運転手のひとことが、重大な意味を持っていたことに。

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