師走の帝都は危険がいっぱい

第35話 真冬に単衣(ひとえ)はご法度です

 とうとう暦は十二月。坊主も走ると言われる師走しわすになってしまった。

 あいかわらずお姉ちゃんの手がかりは見つからず、カフェーの美津さんは退職。他に変わったことと言えば、維吹さんがなんだか落ちつかないことだ。

 今も冬眠前の熊のように、あっちでのそのそ、こっちでのそのそ、長屋の敷地をうろつきまわっている。


 いつもは引きこもりがちな人なのに。なんだか彼らしくないなぁ。

 そんなことを思いながら、井戸端でお米を研いでいたら、


「亜寿沙さん。ここひと月の間は、見知らぬ人を長屋の敷地に入れたら絶対駄目だよ」


 なんて、真剣な顔で言ってきた。

 年の瀬が押し詰まると空き巣が増えるというし、防犯に努めろってことなのかな?


「ええ、気をつけますね」


 わたしも真面目な顔でうなずいてから、その場にすっくと立ちあがり、


「ところで維吹さん」


 固い声音で呼びかける。


「今まで黙ってましたけど、我慢の限界が来たので言わせてもらいます。なんで真冬なのに、単衣ひとえなんですか⁉」


 そう、朝晩は氷が張るこの季節、なぜかこの人はいまだに夏の格好なのだ!

 寒くないの⁉ という疑問と、さらにその姿をひと目見ただけでわたしの体感気温が五度ほど低下するからやめてほしい! という切実な思いと。そんなこんなでとうとう堪忍袋の緒が切れた次第だ。

 なのに――


「ああ、これ? 衣替ころもがえするのが面倒でね」


 この人、にこにこと屈託なく笑い返してきやがりましたよ!


「面倒って……。冷えますよね⁉」

「全然」

「それは術かなにかで……」

「いや、三枚重ねて着てるから」

「はあぁあっ⁉」


 三枚って、つまり単衣ひとえ、三枚重ねっ⁉


「ちょっと見せてください!」

「え? 亜寿沙さん? や、やめ――」


 悲鳴をあげる陰陽師を無視して前合わせに両手を掛け、そのまま強引に着物をがす!

 ――うわ、ほんとにこの人重ね着してるよ! なんか最近肉付きがよくなったな~って思ってたのはひょっとしてこのせい⁉


「あ、あのね、亜寿沙さん、相手が僕だからいいけど、そういう行為はつつしんでくれないと!」

「お言葉ですけど維吹さん、相手があなたじゃなければやりません!」


 やっぱりこの人、生活力がまったくない!

 初めて会ったとき、ボウフラ入りの水とか穀象虫こくぞうむしまみれのお米とか、いろんなことがあったけど。どうにかほとぼりが冷めたころに、またやらかさないでほしい!


「冬用の着物、持ってないんですか⁉」

「そう言えば、行李こうりの底に何枚かあったような……」


 前合わせをそそくさと直しながら、維吹さんが小声で言う。


「だったら今すぐ持ってきてください!」


 びしっと長屋を指さすと、慌てたように部屋に戻り、両手に抱えて持ってくる。


「これだけど……」

「へええ? このモスリンの着物とか、すごく上等じゃ……」


 言いながら、肩山かたやまあたりを両手で持って広げると――ぎゃああっ、すそのあたりが虫に食われて穴だらけ! なんかぽろぽろ布が落ちるし! こんなの着られたもんじゃない!


「失格! 次!」

「じゃあ、これとか」

「あ、こっちは大丈夫ですね。ていうか、なんだか短い……?」


 身ごろや袖を維吹さんの身体からだにあてて、首を捻る。

 維吹さん、意外と背は高いほうだし、このまま着たら腕とか足とか、二、三寸は出てしまいそう。要はつんつるてんだ。

 いや~な予感に、わたしは恐る恐る訊いてみる。


「もしかしてこれ、水につけて洗いました?」

「うん」


 うんって、即答するところじゃないから、ここ!

 モスリンを水につけて洗うと縮む! あと、めもにじむ!


「……冬物、全滅ですよ」

「じゃあ、やっぱり単衣ひとえでいい……」

「いいわけないじゃないですかっ!」


 葉山はやまさんとか衣川ころもがわさんとか、今までなんにも言わなかったの⁉ その格好はあんまりだって、どうして注意してあげなかったの⁉


「とにかく今すぐ冬物を買ってきてください! あわせ羽織はおり、あと外套がいとうも! いいですねっ⁉」


 すると維吹さんはまたいそいそと長屋に戻っていき、なにかを抱えて戻ってきた。


「外套だったら二枚もあるけど」

「は? なぜ外套だけ二枚も?」


 目の前に吊るされたそれは、両方とも濃い灰色のインバネスだ。

 頭痛に耐えながらわたしが訊くと、


太一たいちと衣川さんからもらった」


 という、あっけらかんとした答え。

 そ、それはつまり、見るに見かねたふたりが「単衣ひとえの上からインバネスを着て誤魔化してもらおう」と考えた結果だったのでは⁉ 苦肉の策だったのかもしれないけど、なにその春先の不審者めいた格好は!


「……維吹さぁん……」


 わたしはすでに半べそだ。


「もう少し見た目に気を使いましょう! もったいないです、いろいろと!」

「うん、せっかくの頂きものなんだし、着ないともったいないのはわかってるんだけど」

「いや、そうじゃなくて……!」


 美形でどこか神秘的な雰囲気もあって、よく通るやさしげな声とか丁寧な物腰とか――絶対に「素敵!」と思う人はたくさんいるはずなのに。それらすべてを台無しにする三枚重ね!


 これ、いったいどう改善してったらいいんだろう……?

 米研ぎが途中だったことも忘れ、わたしは頭を抱え込んでいた。

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