第33話 お賽銭は危険なシロモノ

「……立ちくらみを起こして亜寿沙さんを見失ったあと、体力も限界だったから、仲見世通なかみせどりの入り口に戻って休んでいたんだ。そうしたらそばに迷子の女の子がいてね。今にも泣きそうにしてたから、彼女が持ってた人形を借りてあやしていたんだ。そうしたらいつのまにか、人だかりができていて――」


 見物人が去った後、維吹さんは申し訳なさそうにことの次第を話してくれた。

 お人よしな彼らしい話だなとは思うけど、素直に褒められたものではない。


「あのですね、あやしてたってあっさり言いますけど、ぶっちゃけ人形に術をかけてたわけですよね?」

「うん……」


 そんなの人前で披露したら、そりゃあ注目されるわよ!

 わたしが維吹さんを見つけた直後、人だかりに気づいた迷子の母親がやって来て、「ご迷惑をおかけしました」って女の子を引き取っていったんだけど。ちょっと怯えたような顔をしていたの、ばっちり見てしまった。


「無暗に人前であんなことしないほうがいいですよ?」

「亜寿沙さんや衣川さんみたいな人と、気味悪がって逃げてしまう人と。両方いるのをうっかり忘れてたよ」


 ええぇ? そういうことをうっかりで忘れてしまえる維吹さんて、実はけっこう大物なんじゃ……?


「まぁ、それはそうと投げ銭をもらったんだ。これで君にご馳走できるよ」


 黙りこむ私を尻目に、得意そうに巾着袋の口を緩める維吹さん。


「どれどれ?」と覗いてみれば、お馴染みの五厘ごりんや一銭に混じり、なんと十銭や五十銭まで! これでうな重五人前は軽くいける!


「維吹さん! 今すぐ陰陽師やめて大道芸人になりましょう! そのほうが絶対いいです!」

「えぇっ⁉ でも無暗に人前で術は使うなって言ったのは、君のほうだろ?」

手妻師てづましとか傀儡子くぐつしとか、適当に名乗ってりゃわかりゃしませんて!」

「無理。口上こうじょうを述べたり派手な演出をしたり、そういうことに向いてない。陰陽師くらいしか素質がない」

「『くらいしか』って、それ本気で言ってます⁉ 本物の陰陽師なんて、なろうと思ってなれるもんじゃないですから! だったら他のものなんて楽勝ですよ!」

「楽勝ね……。この年まで陰陽師をやってきて、今さら方向転換なんてできないよ」


 維吹さんはぶつぶつとつぶやいてから、


「まぁ、それより食事にしよう」


 と苦笑する。


 なんだろう? 維吹さんて今の自分に迷いがあるのかな?

 陰陽師をやってることに誇り半分、人と違うことでしか身を立てられない自分に引け目半分というか。霊力だけはあるけれど、たぶん生家で嫌な思いをたくさんして。それで外に飛びだしたら、やっぱり嫌な思い出のある陰陽師でしかやっていけない自分に気づいてがっかりしちゃったとか。


「……亜寿沙さん?」

「へっ⁉」

「なにをぼうっとしてるんだい? もしかして、なにを食べるか悩んでた?」

「あ、そ、そうですそうです!」


 悩んでいたのはあなたの過去についてです、なんて素直に言えず、わたしは曖昧に笑ってしまう。

 とりあえず、今は維吹さんとの会話に集中しよう。それと、今度は見失わないように気をつけなくちゃ。


「なんでも好きなものを言って。遠慮はいらないよ」

「はい……」


 穏やかな維吹さんの口調がわたしの心をやさしくなでる。

 ぶっちゃけ、今手に入れた投げ銭だけでうなぎだろうが天丼だろうが食べ放題だ。でも維吹さん、完食は無理だろうし。とはいえ変な遠慮をすると、余計に気を遣わせてしまいそう。うーん、じゃあどうすれば……?


「あの、ここは甘味かんみにしません?」

「甘味? 浅草だったらあわぜんざいが有名だよね」

「はい! ぜひそれで!」


 お姉ちゃんを捜してここまで来ることはあっても、今まで一度も食べたことがなかった粟ぜんざい。

 さっそく入った甘味処で、「おいしい! 甘い!」と感動の声をあげたわたしに維吹さんも幸せそうだ。

 この店の粟ぜんざいの材料は、粟とは言いつつきびだそうで。上品なこしあんと黍餅きびもちとの組み合わせが最高だ。甘さで口が疲れたときは、小皿に添えられた漬物がいい仕事をしてくれて、いくらでも食べられそう。

 珍しく維吹さんから「君にあげる」発言が出ないけど、それは彼なりに頑張っているからだろう。


「……無理しないでくださいよ? いつでもわたしが引き取りますから。あと、喉に詰まらせないように」


 他人からすれば逢引あいびきっぽく見えるかもしれないけれど、実態は介護。

 でもこの人がわざわざここまで来たってことは、気分転換の厄払いのほかに、実はなにかを企んでいそうな香りがぷんぷんする。


 ……案の定、その予想は見事に当たり、甘味処のあとで本堂に行くと、「ちょっといい?」と今まさにお賽銭を投げ込もうとしていたわたしに制止をかけた。


「ん? なんですか? 五厘ごりんじゃ安すぎですか?」


 手のひらに乗せた銅貨と維吹さんの顔を代わる代わる見つめ、小首をかしげる。濡れ衣を晴らして下さいとお願いするのに、もう少し奮発しないといけないだろうか?

 ところが維吹さんは首を振る。


「五厘だろうが一銭だろうが、額はまったく関係ないんだ。ただ、お賽銭を入れる人たちを見て、なにか気づいたことはないかい?」

「へ……?」


 言われるがままに、お参りの列から外れて様子を見る。

 人それぞれ、結構気楽にお賽銭を投げ入れて拝んでいく人もいれば、なにか大切な願いがあるのか、長々と願掛けしている人もいる。

 うーん、でもそこから気づいたことと言われてもなぁ。

 ちらりと隣を見上げると、


「少し難しかったかな?」


 と維吹さん。


「亜寿沙さん、結構すんなり僕の質問に答えてしまうから。たまに解けない問題があると安心するよ」


 はぁ? なにそれ!


「ちょ、ちょっと待ってください、もう少し考えますから!」


 負けず嫌いなわたしはまんまと乗せられ、人差し指をピンと立てると「百数えて待ってて下さい!」と宣言する。


「百でいいの?」

「わからなかったら、素直に負けを認めます!」


 うーん……。悔しいけど、今の段階では質問の意図がわからない。維吹さんは「お賽銭を入れる人たちを見て」って言ったけど、じゃあ、お賽銭を入れるときの作法が問題? 神社にお参りするときの作法に二礼二拍手一礼なんてのがあるけれど、ここはお寺だし。特に意識したことなかったなぁ。

 そんなことを考えていたら――


「痛っ⁉」


 わたしの額になにかがあたり、それがちゃりんと足元に落ちた。


「おおっと、ごめんよ!」


 すぐさま威勢の良さそうな男の人がすっ飛んできて、一銭玉を拾うとまた列に戻っていく。たぶん、お参りの列がなかなか進まないことにれて、人の頭を飛び越えお賽銭を投げたのだろう。その手元が狂ってわたしのところに落ちてきた、と。


 ――あれ?

 直後、ほんの少しだけ、わたしの頭に違和感が湧く。


「……維吹さん」

「うん? まだ数え終わってないけど大丈夫かい?」

「ええ、答えというか単純に疑問なんですけど。なんでお賽銭て、投げても怒られないんでしょうね?」


 人にお金を渡すとき、「ほらよ!」なんてぶん投げたら当然のことながら怒られる。相手にもお金にも失礼だって説教されてしまうかもしれない。

 なのに、どうしてお賽銭は平気なの?

 そりゃあ、人によって作法はまちまちで、投げる人もいれば賽銭箱の上からそっと落とす人もいる。けれど、投げる、という行為自体に目くじらをたてる人はいない。相手は神様――人間よりもはるかに偉い存在のはずなのに!


「よく考えるとおかしな話ですよね?」


 つぶやくわたしに維吹さんがため息をつく。


「え? なんかわたし、変なこと言っちゃいました⁉」

「いや。むしろ正解の一歩手前」

「正解の一歩手前⁉ なのにどうしてため息なんかつくんですか!」

「亜寿沙さんて、とことん僕にいい格好をさせてくれない人なんだな、と思って」

「はあ? そんなことでいちいちため息つかないでくださいよ! それより答え! 質問の答えを教えてください!」

「うん……」


 わたしの勢いに押され、維吹さんはしぶしぶ口を開く。


「今、君が言った『お賽銭を投げても怒られないのはなぜか』という話だけど。さらに助言をすると、まれにお賽銭に息を吹きかける人もいるんだよ」

「息?」

「そう。投げる前に『ふぅ』ってね」


 んん? 息なんて吹き込んでどうするの?

 首をかしげてみせるわたしに、


「ここからは呪術の話なんだけど」


 と、維吹さんが前置きする。


「古代の日本で流行った風習があってね、すみで顔を描いた土器に病人が息を吹き込んで、川やお堀に捨てると病が癒えると信じられていたんだ」

「土器に息を吹き込む? 川やお堀に捨てる……?」


 あれ? なんだかそれってお金に息を吹きかけ、賽銭箱に投げるのと似ているような。

 そう思った瞬間、胸の底から嫌な想像が湧き出てくる。


「その理屈で言うと、お賽銭の正体ってもしや……」

「うん。そのもしや。ほとんどの人はまったく気づいていないけど」


 赤い唇でうっすらと笑い、底光りする瞳でわたしを見つめる。こういうときの維吹さんて、すごく妖艶というか、まとっている雰囲気が常人とはまったく違う。


「お賽銭というのはね、人のけがれを移したしろ。病気や悪運がついたもの。だから投げてもとがめられない」

「じゃ、神様はそれを受け止める一種の浄化装置だってこと?」

「……正解」


 維吹さんはしれっと言ったけど、なにげなくお賽銭を投げてた身からすれば、驚愕以外のなにものでもない。

 だって、お賽銭を盗むってことは、それと知らずに悪いものがいっぱいついた――たとえば、流行り病で死んだドブネズミの死体を持っていくのと同じようなことだもの!


「というわけで、賽銭泥棒が確実にわかる方法があるんだけど。……やってもいいかい?」


 わたしのほうには視線も向けず、維吹さんが淡々と言う。

 ちらともこちらを見ないのは、たぶん、これから行う呪術がひどく凶悪なものだから。良心がとがめるけど、でもそれ以外に方法がないからだ。


「濡れ衣を着せられた亜寿沙さんがこれ以上苦しむのは見たくないし、ちょっとばかりおきゅうえてもいいかな、と正直なところ思ってる。ただし、犯人がわかったらすぐ僕に教えること。そうしないと取り返しのつかないことになるからね」


 維吹さんの口調はいつになく硬い。その真剣なようすに気圧されるように、わたしは黙ってうなずいていたのだった。

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