第26話 とんでもない濡れ衣

 維吹さんは、生きたいと思っていない……。

 そんな、あまりに重い事実を聞かされてしまったわたしは、カフェーへの道をのろのろと歩いていた。


 なぜだろう? 維吹さんのことが心配なのに、さっきから行方不明のお姉ちゃんの顔も脳裏に浮かんで離れない。

 わたしのお姉ちゃんも、ひょっとして生きたいと思っていなかったら?

 恋人を亡くして家を飛び出し、もしかしたら、もう――。

 ううん、まさか!

 こんなことを考えてしまうなんて、いつものわたしらしくない。駄目駄目、一度忘れよう!


 ようやくカフェー・フィーニクスが見えるあたりで顔を上げると、店の前には洋子さんが立っていた。遅刻ぎりぎりの時間だけど、おもてに出てわたしを待つほどの時間でもない。

 嫌な予感が胸をよぎり、我知らず小走りになってしまう。


「おはようございます! あの、わたしになにか?」

「おはよう、亜寿沙さん。あなたのこと、マスターが待っているから」


 それだけ言うと、洋子さんはさっさと店に入ってしまう。

 マスターが? いったいなんだろう?

 扉を開けると、カウンター席に座っていたマスターが「ようやく来たか」と重い腰をゆっくり上げた。


「ちょっといいか?」


 あごをしゃくられ、促されるまま裏庭に行くと、ひんやりとした空気がわたしを包む。

 こんな場所があるのは知っていたけど、ほとんど用がないせいで長居をしたことはない。ぐるりとあたりを見まわせば、日陰のせいかひょろりと伸びた木が多く、その陰に小さなおやしろがあるのに気がついた。


「まずは単刀直入に訊くが……これ、おまえのか?」


 そう言ってマスターが目の前に取りだしたのは、赤い組紐くみひものついた金の鈴。さっきまでわたしが捜していたラドミールさんからのもらいものだ。


「そうです! それ、いったいどこにあったんですか⁉」


 飛びつかんばかりのわたしにマスターはお社を指さす。


「あそこの賽銭箱に入ってた」

「え? そうなんですか?」


 なんでそんなところにあったんだろう?

 首を傾げるわたしに、


「なにか思い当たる節はないか?」


 奥歯にものが挟まったような口調でマスターは言う。


「思い当たる節?」

「……まぁ、とりあえず自分の目でたしかめればいい」


 そう言われて小さなお社の前まで進んだわたしは、次の瞬間言葉を失ってしまった。

 大工道具の箱をひとまわりほど小さくしたような賽銭箱さいせんばこ。それが地面に打ちつけられ、無残にも底板そこいたが外れた状態で逆さになって転がっていたのだ。中を覗けばすっからかんで、一銭銅貨の一枚も入っていない。

 これってつまり、誰がなんと言おうと賽銭泥棒ってことで……!


「ひどい! よくまぁこんなことを!」


 信心深さの欠片かけらもないわたしだけど、神仏を粗末に扱うことにはやっぱり人並みの抵抗がある。


「賽銭泥棒なんかして、恥ずかしいとは思わないんですかね⁉」


 わたしが腹をたてるとマスターは大げさにため息をつく。


「そう言うあんたを疑いたくはないが、証拠だけはあるんでね」

「へ?」

「だから、この鈴だよ」


 なにやら徐々に、会話の雲行きが怪しくなっていく。

 賽銭泥棒。箱の中から出てきた鈴。そして、「証拠だけはあるんでね」という台詞。

 ま、まさかマスター、わたしを犯人だと思ってる⁉


「ちょっと待ってください! その鈴、昨日なくして困ってたところだったんです! それに、賽銭箱に入っていたのも、見つけた誰かがいたずら半分投げ入れただけで、泥棒と関係ないのでは⁉」


 食いつかんばかりに説明したけれど、マスターは大きく首を振る。


「この賽銭箱、一番上には格子こうしが、内部には傾斜した板が差し違いでついている。そのどちらも、硬貨は通るがこの大きさの鈴は通らないんだよ」


 なのに、賽銭箱の中から鈴が出てきた。普通のやりかたではどうあっても入れることのできないものが、さも当然のように中から出てきた。

 つまり、お賽銭を盗んだ犯人は、去りぎわに底板の外れた部分に鈴を落とした。ところが気が急いていたため、そのことにまったく気がつかなかった……。


「で、でもわたし、やってません!」


 頭がガンガン痛みだし、呼吸が知らずに浅くなる。

 やったことの証明はできても、やらなかったことの証明はできない。こんな分の悪い話はないよ!


「とりあえずこの件は保留だ。今日はいつもどおりに働いてもらう」


 わたしに鈴を手渡して、マスターは店に戻ってしまう。


 ど、どうしよう⁉

 残されたわたしは唇を噛む。

 もし、わたしの無実が証明できなければ、この店から追い出されるの? さらには店を紹介してくれた葉山さんや、身元保証人になってくれた維吹さんにも迷惑がかかって――。

 呆然と周囲を見回し、手を握りしめ。

 わたしはなすすべもなく立ちつくしていた。

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