触らぬ陰陽師に祟りなし

第25話 長屋の中は秋の森

「う~ん、どこいっちゃったんだろう?」


 井戸の周囲をぐるりとまわり、えんしたも覗き込んで。

 わたしは朝から長屋のまわりをうろついていた。

 秋分の日はとっくに過ぎて、帝都はすっかり秋の装いだ。ため息をついたわたしの前を、赤とんぼが涼しい顔で横切っていく。


「……亜寿沙さん? さっきから路地を行ったり来たりしてるけど、どうかしたかい?」


 落ちつきのないわたしの気配に気づいたのだろう、カラリと長屋の戸が開いて、維吹さんがおもてに出てくる。


「あの、実は鈴をなくしてしまって……」

「鈴?」

「ええ。色は金色で、大きさはビー玉くらい。で、赤い組紐くみひもがついてるんです」


 実はそれ、カフェーの常連であるラドミールさんから女給たちがもらったもの。それぞれ組紐の色が違い、わたしはあとでがま口にでもつけようかな~なんておびに挟んでいたのに、気づいたら消えてしまっていたのだ。


「どのあたりでなくしたのか、だいたいの見当はついてる? よければ一緒に探すよ?」

「いえ、それがさっぱり……」


 店かもしれないし、長屋までの道かもしれない。それとも……ということで、手あたり次第に探しているという、なんとも情けない状況だ。


「ま、そろそろ切り上げて、あとで店でも捜してみます」

「じゃあもし見つからなかった場合は僕に言って。せもの捜しはこれでも得意なほうだから」

「ええ。そのときはお願いします」


 素直にうなずいてしまってから、そんな自分にちょっと驚く。

 だって、今までのわたしだったら「拝み屋に頼みごとなんてまっぴら御免!」と速攻で断ってたはずだもん。

 いや、でもこれ、相手が維吹さんだからかな? 彼以外の人に同じことを言われたら、やっぱり断ったような気もするし。


 うーん、これってどういう心境の変化だろう?

 そんなことを考えていたら、維吹さんは「じゃあ」とのろのろと部屋に戻ってしまい。

 よし、最後のダメ押しで長屋のまわりを一周してから出勤する!


 そう決めたわたしはゆっくりと歩きだし、一番奥の無人の部屋の前で足を止める。なんだか今、中からガサリと物音が聞こえたような気がしたからだ。

 ひょっとしてネズミとか?

 ちょっと怖いけど、こういうときこそ思い切りが大切だ。

 引き戸に手を掛け足を踏ん張り、


「てぇーいっ!」


 気合い一発、力任せに開け放つ!

 と――

 ピシャン! と引き戸が建枠たてわくにぶつかる威勢のよい音と共に現れたのは、紅葉した木々が生い茂る森だった。壁も柱もきれいに消え失せ、涼しい風がほおを撫でる。


 なに、これ? いったいどうなっちゃってるの⁉

 眼前にはどことも知れない深い森。背後には帝都の長屋の細い路地。

 そのちょうど中間に立ちつくし、呆然と目を見張っていたら、


「やだっ、亜寿沙ちゃんじゃないの! お久しぶり~!」


 目の前の茂みがふたつに割れ、中から女装仙人の志遠しおんさんが現れた!


「え……と? これ、いったいどういうことですか?」


 再会を喜ぶよりも早く、わたしは責めるように訊いてしまう。だってこれ、どう見ても志遠さんがやったとしか思えないもの!

 案の定、彼は大きく胸を張り、


「ああ、これ? 縮地しゅくちの術よ。便利でしょう?」


 と、自慢げにほほ笑んでみせる。


「というか、維吹さんにちゃんと許可を得て……」

「してないけど、ま、いいでしょ」

「よくないと思います……」


 この人、見かけによらず――いや、見かけどおりにすごいことするなぁ。


「このところ山の中も騒がしくてね、いざというときパッと移動できる場所がほしいなって思っていたの」

「つまり、避難所みたいなものですか」

「ええ、そう。よろしくね!」


 いやいや、よろしくとか言われても! ここはやっぱり維吹さんに報告しないと!


「ちょっと待っててください!」


 わたしが慌ててきびすを返すと、


「あ、亜寿沙ちゃん!」

 たちまち身体を見えない帯のようなものにからめとられ、くるりと方向転換。志遠さんの前にすとんと降ろされる。


「そのまえにちょっとお話したいことがあるんだけど。いいかしら?」


 腰をかがめ、声をひそめ、わたしの顔を覗き込んでくる志遠さん。

 いきなり妙な術をかけられたわたしは、ドキドキしながら「はぁ」とうなずきかえす。


「えぇっと、じゃあ……維吹くんて、陰陽師を名乗ってるの?」

「そうですけど?」

「ここで、あなたとふたりで住んでるの?」

「ふたりというか、お隣同士ですけど」

「それとあなた、悪いけど力は持ってないわよね? 彼の知り合い――たとえば同業者なんかはよく来るの?」

「いえ、記者と軍人以外は誰も」

「つまり、孤立無援てわけなのね」


 わたしが質問に答えるたび、志遠さんの表情がどんどん険しくなっていく。


「じゃあ維吹くんて……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 質問されっぱなしじゃたまらない。だいたいとして、本人に訊けばいいことを、わたし経由で訊ねるなんて後ろめたいからに決まってる。


「志遠さんと維吹さんて、いったいどういう関係ですか?」


 わたしがまっすぐ切り込むと、


「思いっきり赤の他人よ。ただし、神仙やまじないの世界で彼のことを知らない人間はモグリね」


 スパンと返され、二の句が継げなくなってしまう。

 それってつまり、「知らないあんたは完全なよそ者」と遠回しに言われたも同然だ。

 たしかにわたし、維吹さんのことはまったくと言っていいほど知らないし、弟子も成り行きでなっただけ。でも志遠さんの言いかただと、維吹さんは良くも悪くもかなりの有名人で――なのに孤立無援?

 考えこむわたしの前で、


「実は私、あのあと京都に出かけて維吹くんのことを調べたのよ。そしたら私が寝ている間に相当エグいことになっててまぁびっくり! ほんと、人間て勝手な生きものよね。私、仙人になって心からよかった~って思ったわ」


 志遠さんはなにやら訳のわからないことをひとりでまくしたてる。


「あなたにとってはいい迷惑かもしれないけど、維吹くんのこと、どうか支えてあげてね」

「まぁ、維吹さんは虚弱体質だから、食事の面倒はできるだけみてますけど」


 ところが彼は首を振る。


「違う違う、良くも悪くもあの子の身体からだ、普通の人間の何倍も頑丈よ? ただし、本人は生きたいなんて少しも思っちゃいない。自分なんかいつ消えてもいい存在だって無意識に思ってるのよ」

「……え?」


 なに、それ?

 唐突な言葉にわたしは耳を疑ってしまう。

 生きたくないって、どういうこと⁉

 維吹さんはズボラで身体からだが弱い。ただそれだけのことじゃないの?

 衝撃を受けるわたしに志遠さんはため息をひとつ。


「だって食事もろくに取らないし、生活だっておざなりでしょう? 他にもいろいろ。この世界とうまく折り合いをつけていこうとして、かえって首を絞めてる」


 ……淡々とつむがれる言葉に心臓が嫌な音をたてはじめる。


「ま、一番悪いのはあの子をつくった一族よ。創っておいて『やっぱりいらない』って放り出したんだから」

「創ったって……? もしや、朱雀門すざくもんの鬼がくれた美女みたいな?」


 自分で言っておきながら、思わず背筋が寒くなる。

 朱雀門の鬼がくれた美女――。それは、百人の女性の死体から良いところだけを集めて創った「とっておきの女性」で、百日触れずにおけば魂が宿って本物の人間になるはずだった。だが、彼女を譲り受けた男は我慢できずに触れてしまい、女は水になって消えてしまうのだ。


「そんな古い話を知ってるなんて、あなた、かなりの物知りね」

「そうじゃなくて! 維吹さんていったい何者なんですか⁉」

「ああ、もちろん彼は死体なんかじゃないわ。ちゃんと人から生まれてるし。その点はご心配なく」


 余裕たっぷりに笑われて、それでもわたしは納得できない。

 人間だけど創られた存在? そしてうとまれ、放り出された……?

 初めて耳にすることばかりで頭が混乱しそうになる。


 そういえば、サトリ退治に出かけたとき、「自分にそのつもりはなくても、この世に生まれ落ちただけで恨みを買うのが世の常だから」なんて意味深なことを言ってたよね?

 ちょっと世間知らずなところもあるけど、基本は人畜無害な維吹さん。その彼に、結構重めな過去が隠されてる……?

 穏やかに笑う顔からはとても想像できなくて、なんだか胸が痛くなる。


「亜寿沙さん、まだいるのかい? そろそろ行かないと遅刻するよ?」


 開け放したままの引き戸のむこうから、いつもののんびりした声が聞こえてくる。


「あ……はいっ!」


 ビクッと肩を揺らして振り返ったわたしの背後で、


「今言ったことは、維吹くんには内緒よ?」


 志遠さんの声がひっそり落ちて。

 再度うしろを振りむけば、鬱蒼うっそうと茂った森は消え、誰もいないおんぼろ長屋の一室が、ただ寂しく広がっていたのだった。

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