第24話 美校生の正体
帰りの汽車に揺られながら、わたしはぼんやり窓の外を眺めていた。
目の前に座った維吹さんと、隣に座った小泉さんは静かに寝息をたてている。
今回の事件は本当に疲れたし、汽車の揺れってなんだか眠気を誘うから、わたしも思わず大あくび。
と――
「なんか、いろいろ悪かったな」
すっかり寝ていたと思っていた小泉さんが、小声でわたしに謝ってきた。
「ふぇ? な、なによ急に?」
「少しあんたに当たり過ぎた」
その言葉になんだかむず
「だってあんた、やりたいことが決まってて、まっすぐ生きてるって感じでさ。なのに要領が悪いから、腹がたって仕方がなかったんだよ」
「はあ? ずいぶん勝手な言いぐさねぇ」
別にわたし、やりたいことも決まってないし、陰陽師の弟子っていうのも嘘。要領が悪かったのは、慣れない力仕事のせいで今回だけだと思いたい。
「でも、どうしていきなり? 維吹さんに改めて弟子入りをお願いしたいから、今までのことは水に流して手を貸してくれとでも?」
わたしの問いに小泉さんは首を振る。
「ならいったい?」
「だから、悪いと思ったから謝っただけだ。弟子になりたいなんて思ったことは一度もない」
「えぇっ? じゃあどうしてわざわざわたしたちに同行したの?」
わけのわからないわたしに、彼は渋々といった感じで口を開く。
「……俺の父親、
「だから、弟子選びのとき長屋にいたり、今回もわざわざ後を追ってきたりしたの?」
「ああ」
そ、そうだったんだ……。
「じゃあ、少しはお父様の気持ちがわかった?」
ところが小泉さんは、「全然わからなかった」と笑ってみせる。
「でも、俺にはわからないことがわかってよかったな、と……」
たとえ答えが見つからなくても、自分の中で納得できたら、それはそれで価値のあった二日間だったのだろう。
「で、これからどうするの?」
小泉さん、もう学生じゃないし。それともお仕事が決まってるのかな?
ちょっとわたしが心配になると、小泉さんは汽車の天井をぼんやり眺め――
「そうだな。療養にでも専念するか」
「療養?」
「俺、胸が悪いんだ。美校をやめたのもそのせいでさ」
「えぇっ⁉ 大丈夫なの⁉」
旅ももうすぐ終わりなのに、なにその驚愕の新事実!
驚くわたしに、「でも他人に
「いや、そうじゃなくて! 山の中を歩き回って大丈夫だったのかってこと!」
「山は空気もいいし、ちょうどいい気分転換になったよ」
こ、小泉さん、ほんとは避暑じゃなくて療養だったんだ……!
予想外のことを知らされて、わたしはただただ黙り込むしかない。
「……ま、いろいろあったけど。あんたや陰陽師先生と過ごせて楽しかったわ」
小泉さんはそれだけ言うと、また目を閉じてしまい。
次に彼が目を覚ましたときには維吹さんも起きていて、汽車はとある駅のプラットフォームに滑り込んだところだった。
「じゃ、名残り惜しいっすけど、俺、ここで失礼するんで」
わたしたちに頭を下げて、さっさと汽車を降りていく小泉さん。
そのまままったく振り返らずに、改札口へと行ってしまう。
もう! こっちは窓を開けて見送ってるんだから、一度くらい手でも振ってよ!
と――そんなわたしの気持ちが通じたのか、小泉さんはいきなり駆け戻ってきて。
「これ、あんたにやる!」
窓から勢いよく投げ込まれたのは、ボロボロになった一冊の本!
「きゃっ⁉ なによ急に!」
床に落ちる寸前で受け止めて、まじまじと見ればラフカディオ・ハーンの『怪談』。表紙には英語で『KWAIDAN』、作者は帰化したときの日本語名でYakumo Koizumiと書かれていて……。
ん⁉ あれ⁉
ハッと顔を上げたけど、プラットホームに小泉さんの姿はもうない。
「亜寿沙さんへのお礼? 彼、『怪談』が好きだったのかな?」
維吹さんがこちらを覗き、そんなことを言ってくる。
そう言えば維吹さん、小泉さんのくわしい素性を知らないんだっけ……。
「帰りの汽車で読む本ができてよかったね」
「けどこれ、全部英文ですよ?」
小泉さんが消えて、ふたりだけになった汽車のボックス席。とぼけたように汽笛が鳴って、ゆっくりと汽車が動き出す。
「亜寿沙さん、今回はありがとう」
「え? わたし、なにもしてませんよ?」
「いや、君がサトリを混乱させてくれなければ、僕が術を使ったところで捕らえることができなかったよ。それに――」
そこで一旦言葉を切ると、ちょっと照れくさそうに目尻でほほ笑む。
「それに、サトリが『本当は男弟子に鞍替えしたいと思っている』と嘘をついただろう? あのとき亜寿沙さんが即座に否定してくれてうれしかった」
「まあ、維吹さんがそんな人じゃないの、最初からわかってましたし!」
わざとらしく胸を張ってみせると、向かいから華奢な手が伸びてきて、わたしの頭をぽんぽんと叩く。
「うん。本当にありがとう」
わ、わたし、思いっきり子ども扱いされてるなぁ……!
本当は維吹さんの素性も知りたかった。でもそんな日が来るのなら、それはずっと先のことになるだろう。
「ああ、早く上野の長屋に帰りたい!」
わたしが叫ぶと維吹さんもうなずいてくれて。
このあと、わたしは維吹さんに起こされるまで、汽車に揺られてぐっすり寝こけてしまったのだった。
―――――――
※コメント欄で質問をいただいたので、蛇足ながら。
このお話に登場する小泉さんは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の三男、小泉
4歳のときにお父様を亡くし、学生時代は英語が苦手で落第を経験。
のちに東京美術学校の西洋画科に入学するも、身体の不調が原因で、大正10年(まさに亜寿沙と維吹に会った年ですね)に中退しています。
のちに画家となった小泉清さんの作品は、今でも美術館やインターネットで見ることができます。
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