第19話 泣きっ面に蜂、凹んだときにサトリ

 わたしたちを追ってきた謎の人は、名前を小泉清こいずみきよしと言った。

 聞けば、弟子選びの際に長屋にいたひとりなのだそうだ。


「すまないね、まったく覚えていなくて」


 申し訳なさそうな維吹さんだったが、対する彼は「ま、世の中そんなもんすよ」と淡々としている。


 この小泉さん、避暑に行く途中で偶然わたしたちを見かけてしまい、こっそり後をつけてきたのだとか。そういう無茶なとこ、わたしもあるからなんとなく批判しづらいわ。維吹さんも甘い人だし、となりで仕方ないなという顔をしている。


 それにしても、避暑ねぇ?

 わたしはまじまじと小泉さんを見てしまう。欧呂巴人ヨーロッパじんの血が入った珍しい容姿で、まだまだ若い。それで避暑って、いったいどんな人なんだろう?


「あの、小泉さんはなにをされてる方ですか?」


 好奇心に負けて訊ねてしまうと、


「美校の学生やってた」

「やってた?」

「今年、中退したから」


 という、なんとも返事に困る答え。

 美校といえば、上野にある東京美術学校のことだ。世間には尋常小学校を出ただけで働きに出る人も多いのに、さらに中等教育を受けて美校まで行って――やはり、いいとこのお坊ちゃまなんだろう。

 ま、それを言ったら女学校出のわたしも「お嬢様」の部類に入るんだろうけど。周囲からはじゃじゃ馬扱いしかされてこなかったし、そんな人間が「我こそはお嬢様でござい」って顔をするのもなんだか違う気がする。


「えーと? それで、どうして美校の学生だった人が、陰陽師の弟子になろうと?」


 とっくに休憩時間は過ぎていたけど、わたしはついつい聞いてしまう。


「あ、もしかして河鍋暁斎かわなべきょうさいみたいなあやかしの絵が描きたくて、美校にいるより陰陽師のそばで本物を……と思ったとか?」


 けれど、小泉さんは小うるさそうにわたしを見て、「別に」と気のない返事。


「ところで陰陽師先生は、こんなところでいったいなにを?」


 サクッと話題を変えてしまう。


「ああ、実はサトリ退治を頼まれたんだけど、山道がきつくてね」


 苦笑いしながら維吹さんがそう言うと、とたんに小泉さんは「じゃ、ちょっと待っててください!」と今来た道を駆け下りていった。そうしてすぐに戻ってきたと思えば、背中に背負子しょいこが!


「そばの農家で借りてきました。先生はここに座ってください。あとは俺が運びますから!」


 おおっ、地獄で仏とはまさにこのこと! 男手ってありがたい!

 小泉さんと背中合わせで背負子に腰かけ、維吹さんは「や、これは楽ちんだ」と喜んでいる。


「ありがとうございます! ほんと、一時はどうなっちゃうことかと!」


 思わずわたしも頭を下げると、


「あんた、役立たずな弟子だね」


 冗談とも本気ともつかない台詞に心をぐさりと抉られる。


「まぁ、人には得手不得手えてふえてというものがあるからね。亜寿沙さんだって料理の腕はかなりのものだよ? お米を炊いたり、牛乳寒天を作ってくれたり」


 すかさず維吹さんが助け舟を出してくれたけど、


「米ぐらい炊けて当たりまえじゃないすか? あと、牛乳寒天も簡単ですよね?」


 馬鹿にしたような言葉が返ってくる。


 もしかして小泉さん、わたしのことねたんでる? 本当は自分が弟子になりたかったのにって!

 山道を進みながら気分はもやもや。言葉にいちいち棘があるし、維吹さんに対する態度と差がありすぎるよ!

 でも。このまま小屋に着いたらさよならだよね? それまで大人な対応で乗り切ればいいんだよね⁉

 喧嘩っ早いわたしだけど、こんな旅先でいざこざは起こしたくない。

 なのに――。


「ねぇ、亜寿沙さん」


 わたしと向かい合うように、背負子に腰かけた維吹さんが明るく声をかけてくる。


「よかったら、小泉くんにこのまま同行してもらわないかい? もちろん、彼が承諾したらの話だけど」

「へっ?」

「だって、この状況で力仕事ができる人間は貴重だよ?」

「そ、それはそうですけど……」


 わたしと自分の為を思い、維吹さんなりに考えた結果なのだろう。


「で、でも、もしサトリに襲われてケガでもしたら……!」


 小泉さんに帰ってもらう口実半分、部外者なのに万一のことがあったら大変という心配半分、わたしがおずおず口に出すと、


「大丈夫。サトリは凶悪なあやかしじゃないよ」


 維吹さんはにこやかに言う。


「わざわざ人前に現れて心を読むのだって、動物でいうところの威嚇いかくだし。もし人を喰らうなら、物陰からいきなり襲ったほうが効率がいいからね」

「じゃあ俺、最後まで同行させてもらっても?」


 なんだかうれしそうに小泉さんが言って、


「もちろんだよ。謝礼もきちんと払うから」


 そう維吹さんにも言われてしまえば、わたしはなにも口出しできない。

 ああ、これから気が重いよ……。


「お、あっちに丸太小屋が建ってますよ?」

「そこが目的地。僕たちが寝泊まりする鉱夫小屋だよ」

「へぇ、結構しっかりした造りっすね!」


 維吹さんを降ろしたあと、小泉さんは興味津々といった顔で小屋の扉を開け放つ。


「へぇ、中はこんな感じ……」


 と、いきなり立ち止まったもんだから、うしろに続いたわたしはごちん!


「い、いったぁ……! 急に止まらないでよ!」


 鼻っ柱を抑えて呻くも、小泉さんはわたしの抗議をまるごと無視。ただ呆然と立ち尽くしている。


「……え? なに? どうかしたの?」


 大きな背中のうしろから、強引に顔だけ出して覗いてみると、めちゃくちゃに荒らされた小屋の中に黒い染みが点々と飛び散っていて――。


「な、なに、これ……?」

「――血だね。しかも人間の」


 わたしのさらにうしろから、維吹さんが低くつぶやく。


「う、嘘⁉ だってサトリは凶悪なあやかしじゃないはずじゃ⁉」

「サトリがやったと決まったわけじゃないよ。でもなにかしら、きな臭い事件があったのはたしかみたいだ」

「こ、衣川ころもがわさんはなんて?」

「さあ? このことについてはなにも。おそらく小屋がこんなありさまになってるなんて知らなかったんじゃないかな」

「そ、そんな! こんな気味の悪いところで寝泊まりなんて!」


 涙目になるわたしをよそに、小泉さんは無言で奥へと進んでいく。

 そうして数分がたち、小屋から出てきた彼の胸には大きめの蚊帳かやが抱えられていた。


「これを使えばいいんじゃないすかね?」

「……ああ、なるほど。それを外に張れば、無理して小屋を使わなくてもいいからね」

 感心したような維吹さんに、「晴れの日限定ですけど」と小泉さんが付け加える。


「あと、布団や七輪、炭もあったんで使わせてもらいましょう」


 わたしが恐慌状態に陥っている間に、テキパキと小屋の中から必要な道具を取り出してくる小泉さん。


「すまないね、小泉くん」

「いや、自分も泊まるんで」

「…………」


 どうも小泉さんといると調子が狂う。維吹さんを運んでくれたのは感謝しかないし、今だって冷静な対応をしてすごいな、とは思っているんだけど。

 わたし、自分が役立たずすぎてなんだか嫌になっちゃうなぁ……。

 思わず自己嫌悪に陥ってしまったら、


「おまえ、『なんだか嫌になっちゃうな』と思ったな?」


 潰れたヒキガエルのような、しわがれた声。そうとした形容のできない、不気味な声がふいに流れた。


「えっ⁉」


 慌ててあたりを見まわすと、茂みのむこうに子どもほどの大きさの、猿みたいなあやかしがいて――。


「サ、サトリ⁉」


 ひぃい、とうとう現れた!


「おまえ、『とうとう現れた』と思ったな?」


 ニヤニヤとした細い瞳に、きゅうっと吊り上がった三日月のような唇。


「ちょっと! 人の心を読まないでよ!」


 そういうあやかしだってわかっていたけど、実際に言い当てられると気分が悪い。特に自分の弱った心を周囲にぶちまけられるとなおさらだ。


「サトリ? あれが?」


 小泉さんも驚いたように目を見張っている。


「亜寿沙さん、落ちついて! ここは僕に任せて、君は小泉くんと離れていて!」

「ん? おまえ、陰陽師か」


 維吹さんの姿を認めたとたん、サトリのニヤニヤ笑いが引っ込んだ。


「また面倒なものを寄こしおって! おまえらもあの鉱夫らのように、ここにはおれんようにしてやろうか?」

「待ってくれ、僕は君と話し合いたいだけなんだ!」

「笑止! こちらに話したいことなどひとつもないわ! わしを排除したくば力ずくでやってみよ!」


 いやいや、そういう活劇的な展開まったく求めていないから!

 こっちは虚弱体質なほっこり陰陽師と霊力のない偽弟子にせでし、それから正体不明の元美校生っていうよくわからない一団だし! おまけにさっきの話でサトリを倒すのはほぼほぼ無理って結果が出ちゃってるんだから!


「おまえ、『こっちは虚弱体質なほっこり……』」


 て、また勝手に人の心を読んでるし!


「それ以上、言うなぁ!」


 慌てたわたしが足元の小石を投げつけると、それはサトリの頭上に張りだした木の枝に飛びこんで、一瞬後には鳥の巣となって落ちてくる。


「いてっ」


 あ、当たった……。


「お、女! 今日のところはこのくらいにしといてやる! だが覚えておれよっ!」


 真っ赤な顔でわたしをビシッと指さして怒鳴るサトリ。

 うわ、めちゃくちゃ怒らせちゃったよ……!

 そうしてあやかしが去ったあとには、「こいつ、心の中でなに考えてたんだ?」と言いたげな小泉さんと、とりあえず安堵した顔の維吹さん、そうしていまだに肩で息をしているわたしが残されたのだった。

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