第18話 尾行されたもご存知ない

 終点の青梅おうめで汽車を降りると、駅前には一台の荷馬車とごま塩頭のおじいさんが待っていた。おじいさんは徳治とくじという名前だそうで、しわの深く刻まれた鬼瓦おにがわらみたいな顔をしている。


「上野から来た維吹さんか?」

「はい。……あ、こちらは弟子の亜寿沙さんです。今日はよろしくお願いします」


 ていねいに頭を下げる維吹さんの斜めうしろで、わたしもそろって頭を下げる。


「はあ、さすがに街の人の格好はハイカラだ。おまえさん、さぞかし偉い人なんだろうね」

「いえ、ちまたによくいる陰陽師です」


 陰陽師って巷によくいるのかな?

 ほんとはツッコみたかったけど、わたしは無言で笑顔を維持する。


 ふたりで馬車に乗りこむと、ほい、という掛け声にあわせて馬がゆっくり歩きだした。

 四方におおいのない荷駄用馬車は、風雨を遮ることはできないけど、景色を楽しむにはもってこいだ。どうにか体調が戻ってきた維吹さんは、道の周囲に広がる畑や民家を見ながら穏やかな顔をしている。


「陰陽師ってことは、サトリ退治に行くわけか」

「……あ、はい」


 ふいに徳治さんが背中越しに訊いてきて、景色に見とれていたのだろう、維吹さんが一拍遅れて返事をする。


「もう話が広まっているんですね。でしたらご老人は、サトリに会ったことは?」

「そりゃあ、あるけどよ」


 あまりにあっさりとした返答に、わたしは「えぇっ⁉」と叫んでしまう。

 やっぱりいるの、サトリって⁉ 心のどこかで「あんなの迷信だよ」って言葉を期待してたのに!


「だがな、あれは退治するようなものじゃない。会ったら引き返す。そういうもんだ」


 どこか困惑したような徳治さんのひとことに、わたしはあることを思い出す。


「そう言えば、昔話のサトリって最後は自分から逃げてっちゃいますよね。猟師が討ち取ったとか、聞いたことがないです」

「そりゃあ、相手は心を読むあやかしじゃからの。なにをしようにもバレてしまって手の打ちようなどないわい」


 えぇっ⁉ なにそれ!

 だったらどう退治すればいいんだろう? 昔話みたいに偶然に頼るとか? 焚き火がぜたとか、立てかけておいた斧が倒れたとか……。いや、それだって脅かすことはできるけど、退治というにはほど遠い。


「たとえば、維吹さんがなんらかの術を使ったら?」


 一縷いちるの望みをかけてわたしが言うと、


「その前に心を読まれて、術が編みあがる前に逃げられてしまうんじゃないかな?」


 陰陽師はあっさり言う。


「いやいや、すぐあきらめないで、どうすればサトリに勝てるか考えてみましょうよ!」

「ははっ。あいかわらず亜寿沙さんは負けん気が強いなぁ。……うん、じゃあ僕はとりあえずふたつ考えたけど」

「え?」


 は、早い!


「ま、待ってください、わたしも今考えますから!」


 自分から言い出した手前、わたしもなんとか対抗策を生み出さないと気が済まない。

 腕を組んで、首を曲げたり唇を噛んだり。百面相みたいになりながら、必死で策を練っていく。

 相手は心を読むあやかしだ。つまり、心を読まれても大丈夫な策とは?


「あ、わかりました! ひとつ目はサトリよりも早く動く! そうすればどんなに心を読まれても平気です!」


 もし、わたしが「こいつ、殴ってやる!」と思ったとして。それを察したサトリが避けるよりも早くこぶしを繰り出せればわたしの勝ちだ。


「それからふたつ目! 心のない道具に退治を任せる!」


 策としてはこちらのほうが上だろう。心を読むあやかしなら、もともと心のないものに退治を任せてしまえばいいのだ。


「うん、僕が考えたのとほぼ同じだね」

「やった!」


 グッと拳を握ったわたしだけど、徳治さんは前を向いたままで首を振る。


「いつだったか、それと同じことを考えた猟師が仕掛け弓――触れたとたん、目にもとまらぬ速さで矢が飛び出す道具を仕掛けたんじゃが。全部避けられてしまったわ」

「えぇっ⁉」


 サトリ、そんなに素早いの⁉


「おまけにサトリにバレるのを防ぐため、周囲に罠を張ったことを黙っておってな。そのせいで村人に被害も出た」


 ま、まさに踏んだり蹴ったり!

 だったら……!


「みっつ目! サトリに心を読まれない遠い場所からアームストロング砲をぶっ放す!」

「あ、亜寿沙さん、自棄やけになって山を破壊するのは駄目だから! 闇落ちするあやかしをこれ以上作らないで……!」


 維吹さんが涙目になって首を振る。


「けど、なにをしても無駄なら退治なんてできないじゃないですか!」


 わたしが叫ぶと、


「できれば退治じゃなくて、もっと平和的に解決できないかな?」


 穏健派な彼らしい、大人しいこたえが返ってくる。


「え~⁉ たとえば、あやかしと膝つきあわせて話し合いとかですか?」


 でもなぁ。それってどうなんだろう? だって相手は心を読むわけで。こっちの手の内とか、駆け引きの内容とか全部バレそう……。


 あれこれ考えながら馬車に揺られること数時間、


「着いたぞ」


 徳治さんの声に我に返った。


「馬はここまでしか入れんでな。あとはふたりでこの取っつきから山を登れば、鉱夫らのいた小屋に出るから」


 わたしと維吹さんはその小屋に数日間滞在して、サトリ退治をすることになる。


「ここまでありがとうございました!」


 去っていく徳治さんにお礼を言って、山登りの装備を整える。手甲てこう脚絆きゃはん、背には荷物。


「さあ、維吹さん、ここからが本番ですよ! がんばってください!」

「……着流しと下駄じゃなくて、ほんとによかった……」


 いたるところから木の根が飛びだし、草いきれの香りもムンムンと漂ってくる細い山道。


「無理しなくていいですから。ゆっくり行きましょう」


 ……なのに。ものの十分もたたないうちに、維吹さんはヒィヒィ言い出した!

 こ、これは……予想よりも早すぎるっ!


「す、少し休んでも、いいかい……?」

「いいですよ。けど五分たったら出発します」


 さっきは「ゆっくり行きましょう」なんて言っちゃったけど、小屋に着くより早く陽が落ちたら洒落にならない!


「お水、飲みます?」


 荷物の中から水筒を取りだしていると、


「亜寿沙さん……」


 どこか緊張し面持ちで、維吹さんが唇の前に指を立てた。


「静かに。誰か来る」

「え? サ、サトリとか?」

「いや、実は汽車に乗ったとき、僕らの後をつけてくる人がいてね。行き先が同じなだけだと放置してたんだけど……。どうやら尾行されてたみたいだね」

「はあっ⁉ それ先に言いましょうよっ!」


 静かに、と言われたくせについつい声を荒げてしまう。

 あやかしも怖いけれど人間も怖い。だって相手は陰陽師とその弟子だって知って、わざわざ追ってきてるんでしょ⁉


「失礼ですけど維吹さん、人から恨みを買うようなこと、してませんよね?」

「そんなのわからないよ。自分にそのつもりはなくても、この世に生まれ落ちただけで恨みを買うのが世の常だから」


 そ、そんな悟ったようなことを言われても……。


「とにかく相手が来るのを待って、話を聞いてみようか」

「……やっぱりそうするしかないですよね」

「大丈夫、殺気はないし」


 ビクビクしながら待っていると、山道の下から二十歳はたちそこそこの男性が現れた。背が高く、髪の色も皮膚の色も妙に薄い。高い鼻筋にいたっては、日本人離れしていて欧呂巴ヨーロッパあたりの血が混じっていそうな風貌だ。


 彼は、木の根に座って休んでいるわたしたちを見つけると、


「ども。久しぶりっす」


 気楽な調子で片手を挙げる。

 対するわたしたちは顔を見合わせ――


「「誰……?」」


 同時にそんなことをつぶやいていたのだった。

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