第17話 乗りもの酔いってきついよね

 ガタゴトと揺れる汽車の中。

 わたしはニッカポッカ姿の維吹さんと向かい合って座っていた。

 昨日はしきりと「落ち着かない……」と不安そうに繰り返していた彼だけど。実のところ、その洋装姿はかなり様になっていて、通りすがりにわざわざ振り返る人もいるくらいだ。


 ちなみにわたしはいつもの着物姿で、現地についたら脚絆きゃはん手甲てこうをつける予定。本当はご婦人用のニッカポッカを維吹さんが買ってくれようとしたんだけど、生憎そっちはなかったのだ。


 それにしても、こうして見ると貴族のお坊ちゃまに女中って感じだなぁ。

 世間的には師匠と弟子ってことになってるから、主人と御付おつきって見方もあながち間違いじゃないんだけど。維吹さんがこういう格好をすると色気が増すっていうか、気品みたいなものも漂ってきて、女性のわたしでも太刀打ちできないと思ってしまう。


 できたら背広にズボンで実業家っぽい格好もさせてみたいな。たとえば……。

 ふとある人物の顔が浮かび、わたしはしかめ面をしてしまう。

 若いのにやり手だって噂だけど、「贅沢ぜいたくは言っていられない」なんて発言するのは人としてどうかと思う。お互い、きちんとあいさつしたわけでもないから、このまま何事もなく終わってしまうのが一番なんだけど。きっとそうはいかないだろうなぁ……。


 なんとなくあれこれ物思いに沈んでいると、


「貴重な時間を僕のために使わせてしまって悪かったね。本当はお姉さんを捜さないといけないのに」


 維吹さんが申し訳なさそうに謝ってきた。


「い、いえ、姉のことは帝都にいるとしかわからないんです。それを言ったら奥多摩だって帝都……ギリギリ東京府の一部ですし」


 わたしが話を聞きだしたひとりによれば、お姉ちゃんは「帝都に待ち人がいる」と夢遊病者のようにつぶやいていたという。

 だから、一番確率の高い維吹さんの長屋に行ったのに空振りで。あとは行き当たりばったりな捜査になっているのは否めない。


「そう言ってもらえると、僕も気が楽だけど……。実は、君に内緒でお姉さんの居場所を占ってみたんだ」

「……え?」

「でもどうしても答えが出ない。こんなことは初めてで……正直僕も戸惑ってる」


 ちょっとうつむき、やっぱり申し訳なさそうな維吹さん。


「あの、姉を捜す手伝いまでしてもらおうとは思ってませんから! 余計な気遣いは無用です」


 何度も言うけど、わたしはまだ完全に不思議な力や出来事を受け入れたわけではない。それに、外れたら外れたで逆恨みをしてしまいそう。


 ……ふたりの間になんとなく気まずい沈黙が流れ、なにか新しい話題を、と柄にもなく焦ってしまう。

 それは維吹さんも同じだったようで、「ところで」とわたしの手元を指さす。


「それはいったいなんだい?」

「ああ、時間を持て余してしまうと思ったので」


 そう言ってわたしが胸に掲げたのは、古本屋で買った一冊の本、『伊蘇普物語イソップものがたり』だ。


「へぇ? たしかそれ、ためになりそうな教訓がいっぱい載ってるんだよね?」

「尋常小学校のとき、先生が薦めてくれて。たまに読みたくなるんです」


 足の速さを鼻にかけたうさぎが、のろまな亀に負けてしまう『兎と亀』、狼が来たと嘘ばかりついていた少年が、本当に狼が来たのに信じてもらえず食べられてしまう『羊飼いと狼』――。


「でもこんなところで読んで乗りもの酔いしないかい?」

「全然! 大丈夫ですよ」


 だって家出を決行したとき、釧路から函館だって汽車で丸一日かかったのだ。これくらい苦でもない。


「そうか……。すごいな」


 感心したように維吹さんがつぶやいて、


「僕なんて、だんだん気持ちが悪くなってきて……」

「はぁっ⁉」


 そういえば、なんだかいつもよりも顔色が悪い⁉


「な、なんで言ってくれないんですか⁉」

「いや、亜寿沙さんが平然としてるの見てたら言い出しづらくて……」

「妙なところで対抗心燃やさないでくださいよ! ほら、シャツのぼたんゆるめて楽な格好で!」

「すまないね。汽車なんて乗るの、京都から出てきて以来だから……」


 ――え⁉

 自分のことなど滅多に話さない維吹さんがうっかり口を滑らせた。

 いや、陰陽師で京都なんてベタ過ぎるし、そういう設定なのかも……なんて意地悪く思ってしまう自分もいるわけだけど。


「ちょっと休むよ……」

「あ、はい! 立川たちかわに着いたら起こしますから!」


 立川駅で乗り換えて、終点の青梅おうめに着いたら今度は馬車で四里(十六キロ)ほど。

 窓に寄りかかるような姿勢で、維吹さんは寝息をたてだしてしまい。

 この人、寝顔もきれいなんだよなぁ。まつ毛とか思いきり長いし。ほんと、うらやましい……。

 なんとなく本を読むのも忘れ、わたしはじっとその顔に見入ってしまったのだった。

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