避暑の代わりにあやかし退治

第16話 サトリサトラレ、フリフラレ

 帝都にお盆がやって来た!

 ……というわけで、せっかく働きはじめたカフェー・フィーニクスはしばらくお休み。常連のラドミールさんは「避暑にでも行きますかね」と呑気に笑い、葉山さんも「しばらく実家に帰るわ」と慌ただしく去っていった。


 帰る場所のないわたしはとうぜんのことながらお姉ちゃん捜し。早朝から上野や浅草を歩いたけれど、残念ながらなんの手がかりも見つからなくて。


 汗だくのまま、泣きたい気持ちで帰ってきたら、陰陽師長屋にはさらに泣きたくなるようなお客が来ていた。

 そう、冷酷無慈悲な軍人の衣川ころもがわさんだ。

 涼をとるため開けっ放しになった引き戸のむこう、そこに維吹さんと向かい合った茶褐色の軍服が見え、わたしはついつい口元を引きつらせてしまう。

 ……とはいえ、苦手意識を持ったまま避け続けるのもなんだかしゃくだ。

 わたしは足音も高くお隣りへ行き、


「ようこそいらっしゃいました、衣川さん」


 ぼろ畳の上に正座をすると、指先を揃えてわざとらしくお辞儀をする。


「……女、なぜわざわざやって来る?」


 目だけでじろりとこちらを見、冷血軍人は不愉快そうだ。


「だって、隣の部屋で聞き耳たてたら、また壁越しに軍刀突き刺してくるんでしょ?」

「ほう? よくわかっているじゃないか」

「だったらここで聞いていようかと。あ、お茶淹れますね」


 ところが衣川さんは首を振る。


「あいにくだが、たった今話が終わったところなのでね。……それでは維吹殿、これにて失礼する」


 軍人らしいカチッとした礼をして、衣川さんは帰っていく。

 そのうしろ姿が長屋の木戸に消えていくのを見送って、わたしは維吹さんの部屋に改めてあがりこんだ。


「衣川さん、いったいなんの用だったんです?」

「前回のお礼だよ。不忍池しのばずのいけのあやかし退治の。で、そのときのことをくわしく教えてくれって」

「げっ」


 つまりわたしがドジ踏んだことも、衣川さんに筒抜けってこと?

 か、かっこわる……。

 しょげるわたしに維吹さんはゆったり笑う。


「ああ、もちろん、亜寿沙さんが無暗に池に行って危機に陥った話は伏せておいたから」

「え、そうなんですか? なんかすみません……」

「まあ、僕の弟子がいたずらにおとしめられるような話題は、師匠としても避けたいし」

「……わたし、ほんとの弟子じゃないですからね?」

「うん、わかってるよ」


 維吹さんは弟子や助手のような存在はいらないと、初めて会ったときに言っていた。でもその代わり、ちょっとした知り合いくらいはほしいと本心では思っているのかもしれない。あやかし退治のあとで、「気味悪がられて逃げてしまったのかと」なんて、寂しい台詞を吐いたくらいなのだから。


「そうそう、衣川さん、手土産も持ってきてくれたよ」


 考えこんでしまったわたしを穏やかな声が我に返す。


「手土産! そんな気の利いたことするんですねぇ、あの人」

「衣川さんはいつだって気が利くよ?」


 そう苦笑いしながら維吹さんが取りだしたのは、紫のふくさに包まれた桐箱で――。

 わわっ、これはまさか!


「カ、カステラだぁ!」

「亜寿沙さん、好きかな?」

「はい! とっても!」

「じゃあこれ全部亜寿沙さんに……」

「とうぜん、維吹さんも食べるんですよ⁉」


 この人、食が細すぎて食べさせるのが大変……。

 カフェーの女給は出勤が遅いから、そのときごはんも置いていくんだけど、あんまり食べてくれないんだよね。あとうちの店、昼と夜の間に休憩があるから、心配になって様子を見に行くと死んだように寝てることが多いし。


「今からお茶を淹れますから。一緒に食べましょうよ」

「……うん」


 カステラなんて、普通は飛びつくほどうれしいものだけどなぁ。

 そんなことを思いながらお湯を沸かし、薄めのお茶を湯呑に注ぐ。カステラは一寸くらいの幅に切って、端の欠けた皿に並べる。


「いっただっきまーす!」


 ほんとは黒文字くろもじ――ようかんなんかを食べるときに使う、幅の広い楊枝ようじみたいなやつ――があればよかったんだけど、そんなものは当然ないので、行儀を無視して手づかみだ。

 ああ、カステラってふっわふわでほんとにおいしい!


「これ、『あやかし退治お疲れさま』って意味ですかね?」


 ザラメの甘さに感動しながらわたしが訊くと、目の前でちまちまとカステラを食べていた維吹さんがうなずく。


「それと、『別件もよろしく』ってことだと思うよ」

「別件?」

「ああ。実はまた依頼が来てね」

「お盆なのに? 世間は休みなのに?」

「あやかしには休みなんてないからね……」


 本気なのか冗談なのか、維吹さんが困ったようにぽつりと言う。


「で、今度はいったい?」

「サトリだそうだよ」

「サトリぃ?」


 その胡散臭うさんくさい響きにわたしは思わず唸ってしまう。


「あれ? 亜寿沙さんも知ってるんだ?」


 維吹さんは意外そうに言ったけど。

 サトリって昔話に出てくるけっこう有名なあやかしだよね?

 猟師が山の中で焚火たきびにあたっていたら、猿みたいな毛むくじゃらが現れて、一緒に火にあたりだす。

 ――なんだか気持ちの悪い奴が来たな、と思っていたら、


「おまえ、『気持ちの悪い奴が来たな』と思ったな?」


 ――うわ、心を読まれた、恐ろしい! と思ったら、


「おまえ、『心を読まれた。恐ろしい!』と思ったな?」


 で、最後はぜた焚火がサトリの顔を直撃し、「人間は心にも思ってないことをやってのける、怖い怖い!」と逃げていっておしまい。


「う~ん、でもそんなのほんとにいるんですか?」


 不忍池の一件で、不思議なことを頭から否定したらいけない、と思い始めたわたしだけど。でもだからといってすんなり信じることもできない。


「まぁ、僕もサトリに会ったことはないんだけれどね。ただ衣川さんが持ってきた話だから」

「お国から来た仕事は無下に断れないと?」

「うん。そこが無力な一市民の辛いところだよね」


 凶悪な池のあやかしを、一発で沈めた維吹さん。そんな彼を「無力な一市民」と言っていいのかはなはだ疑問はあるけれど。本人がそう思っているならあえて否定はしまい。


「で、具体的には?」


 ずいっと膝を進めたわたしに維吹さんは首をひねる。


「僕が聞いたのは、奥多摩おくたまにいた鉱夫の前にサトリが現れたこと、そのせいで仕事を放りだしてみんな逃げてしまったこと――くらいかな」

「鉱夫……? 奥多摩に鉱山なんてあるんですか?」


 わたしが訊くと、


「どうやら試掘しくつらしいよ。奥多摩の北には秩父鉱山ちちぶこうざん、西には甲斐かい黒川金山くろかわきんざんと、昔から有名な鉱山がいくつもあるだろう? だからここでもなにか出るんじゃないかって調査をしていたらしい」


 維吹さんはすらすら答えてくれたけど、そちらの知識が皆無なわたしは「へー、そうなんですかぁ(棒読み)」としか答えようがない。うちの父さまも硫黄の鉱山やまを持ってるけど、わたしはそっちにまったく興味がなかったし。


「とにかく今回はサトリ退治に奥多摩に行けってことですね?」

「うん。できれば早急にね」


 うう、お盆休み返上でお国に尽くせって……こっちは軍人じゃないんだから!

 あからさまにげんなりしてしまったわたしに対し、維吹さんはさらりと言う。


「もちろん、君はここにいなよ。僕ひとりで行くから」


 ――はぁ?


「ちょっとそれ、本気で言ってるんですか⁉」


 思わず身を乗り出して叫んでしまうも、


「……本気でって?」


 うわ、この人ったら自覚がないよ!


「いやだって奥多摩ですよ? 山ですよ? 維吹さん、絶対途中で倒れますから! キャラメル千箱賭けてもいい!」


 怒涛の勢いで畳みかけ、


「あとその着流し姿、どうにかしません⁉ たとえば葉山さんみたいなニッカポッカにするとか!」


 なのにすぐさま返った応えは、「え? これじゃ駄目かい?」という頓珍漢とんちんかんなもので。


「……下駄と着流しで登れる山とか、あるんだったら教えてほしいです」

「上野の山とか」


 はああっ⁉ 言うに事欠いてこの人はっ!


「あれは山という名の公園です! よちよち歩きの子どもだって登れるんですから!」


 それでも納得できない可哀そうな陰陽師に、わたしは根気強く言ってやる。


「いいですか? 維吹さんが下駄と着流しで山に行くのって、たとえるなら、霊力のないわたしがなんの準備もないまま龍退治に行くようなものです」

「……そ、それは……。十中八九死ぬよね?」

「わかってもらえました?」

「たとえが的確過ぎて震えが来た……」


 いやいや、すべてあやかし絡みにしないと理解できない陰陽師脳のほうに震えが来たから! いったいどういう環境で育てばこんなふうになるわけ⁉

 頭に湧いた罵詈雑言をぐっと呑み込み、わたしは高らかに宣言する。


「そうと決まれば今すぐ準備です! 洋装のお店、まだ開いてますかね?」

「動きやすさ第一なら、もんぺとかでもいいんじゃないかな?」

「いやいや、洋装のほうが押し出しがいいんですよ! 田舎ってただでさえよそ者に冷たいですから! 洋装なら無言で『金持ち』『ひょっとしてお貴族様?』な自己開示ができるんで、馬鹿にされずに済むんです」

「なるほど……。そこまで考えていなかったな」


 感心したように維吹さんがうなずいて、


「亜寿沙さんはほんとにすごいな。これで振られたら大変なことになりそうだ」

「ふ、振られる⁉」

「相手に嫌われて突き放されることだよね?」

「正しいけど、正しくない使い方ですね……」


 ああ、この人といると精神的に振り回されるなぁ。

 今からちょっと疲れつつ、わたしは残りのカステラをごくんと呑み込んだのだった。

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