第14話 幽霊の、正体見たり、やっぱり幽霊

 さぁて、あともう少しで今日の仕事もおしまいだ!

 気合いを入れて皿を片づけ、食後の紅茶や珈琲を運び――。


 今日もわたしはカフェー・フィーニクスで給仕をしていた。

 損料屋そんりょうやでお布団は借りた。(あ、あと、ふたつ借りると安くするというので、維吹さんの分も!)お次は畳を目標に頑張るぞ!

 そんなことを考えつつ、黙々と仕事にいそしんでいたら、


「なあ、このあとって暇?」


 今日も店にやって来ていた葉山さんが、こそりとわたしに訊いてきた。

 この人、ほとんど毎日来るけどお給金は大丈夫なのかな?

 余計なお世話と思いつつ、どうしてもそんなことを考えてしまう。


「ん? なんだよ、黙り込んで」

「ううん、それより今日は長屋に帰るだけだけど」


 わたしが正直に答えると、


「そっか。実はおれ、不忍池しのばずのいけに張りこもうかと思っててさ。論より証拠っていうか、推論だけだとやっぱり弱いかな~、なんて」

「は? そんな危ない真似して本当に追剥おいはぎにあったらどうするのよ?」


 わたしは慌てて止めたけど、対する葉山さんは飄々ひょうひょうとしている。


「だから、そのためのあんたなんだって! どっかの陰に隠れてて、もしおれがヤバくなったら派出所にでも駆け込んでよ」

「……葉山さんて、友達いないの?」

「このネタ、同じ雑誌社の仲間に取られたくないんだよ!」


 うーん、その気持ちはわからなくはないけれど……。


「な、いいだろ? 協力してくれよ! あ、これ特別に貸してやるからさ!」


 そう言って渡されたのは、厚紙と真鍮しんちゅうで作られた、円筒形の物体だ。


「なに、これ?」

「取材用に、うちの会社で支給されたんだ。亜米利加製アメリカせいで懐中電灯っていうらしい。提灯ちょうちんやランタンは明かりをつけるのに手間取るけど、こいつは一瞬。ただし寿命も短いから、はっきりわからない目標物を、わずかな時間照らし出すのに向いてるらしい」

「へーえ? おもしろそう! これなら追剥もひるみそうね」


 いつものくせで、うっかりわたしは興味を抱いてしまい――。

 そういうわけで急きょ、現地集合、現地解散という怪談調査を行うことになってしまった。

 まあ、わたしもこの怪談の正体を知りたいし、こっそり明けがたに帰れば維吹さんにはバレないはず。

 そうして、仕事帰りのわたしは不忍池に出かけたのだが……。


 待てど暮らせど葉山さんは現れなかった。

 夏とはいえ、夜の池から渡ってくる風は涼しく、暑さはまったく苦にならない。

 周囲には真っ暗な陰となってお茶屋が建ち並び、出会茶屋のある方角だけ、きらきらと灯りが輝いている。でもたぶん、あそこからこっちを見ても、闇に紛れてなにもわからないんだろうな……。


 そんなことを考えながら時間を潰していたら、


「おい、そこの奴!」


 いきなり怒声が飛んで、現れたのは警邏中けいらちゅうの巡査!


「こんなところでなにをしている⁉ 良からぬことでも企んでいるのではあるまいな!」

「は⁉ そんなわけないから!」


 でも正直に、「怪談の謎を調べてる」なんて言ったらますます怪しまれるに決まってるし!

 こうなったら、三十六計逃げるにかず!

 とっさにわたしが走りだしたのは池の方向。水辺に近づきすぎると怖いから、なるべく離れて待っていたけど――この際、背に腹はかえられない。あっちのほうが暗いから、一度逃げ込んでしまえばたやすく闇に紛れてしまえる。


「くそ、どこに隠れた? すばしこい奴め!」


 あっちに行ったりこっちに来たり、しつこくわたしを探しているようだけど、お茶屋の縁台の陰に息をひそめたわたしがそうそう見つかるはずもない。

 そうこうするうち、小石混じりの土の上を、苛立たしげに歩く音が遠ざかっていき……。

 どうにかうまく撒けたかな?

 ほっと息をついて待ち合わせ場所に戻ろうとしたとき、


 ……ちゃぽん。


 背後で小さな水音が響いた。

 たぶん、鯉でも跳ねたのだろう。とくに驚くようなことではない。

 なのに――身体が動かなくなっていた。

 指一本動かせず、声も出せない。

 ――どういうこと?

 唐突に訪れた異変にたちまち頭が混乱し、恐怖に冷や汗が湧いてくる。

 これ、俗に言う金縛りというもの? あやかしが出る寸前、いきなり身体の自由が利かなくなるという、はた迷惑でお約束の現象……。


 わたしの脳裏に、衣川ころもがわさんの語った怪談が蘇る。

 人けのない真夜中、ひとりで不忍池に行くと……。

 今まさにそれに近い状況にわたしはいて、あとはあやかしの登場を待つばかり――。

 いやいや、だからあやかしなんているわけないから! 落ちつけ、落ちつくのよ、わたし!


 まことしやかに広がっている怪談は、単なる追剥おいはぎの仕業。体面第一のバンカラ学生をひとりで来させ、問答無用で金品を奪いとる。

 それにほら、広まってる噂は『不可能怪談』。被害者は殺されてしまうのに、どうして「女のあやかしが、水の中に引きずり込む」なんて詳細が伝わってるの?

 ……自分で自分を落ちつかせるため、必死で理屈をこねくりまわす。


 なのに。

 ここまで来て、わたしはもうひとつのとんでもない可能性に気づいてしまった。


『甘いな、女。そんな浅い読みしかできない者が陰陽師の弟子とは』


 脳裏に響く、冷徹軍人の冷めた言葉。

 それはたぶん、今までのわたしだったら絶対に気づかなかったもうひとつの視点。


 ――それ、いったい誰が見たんですか⁉

 ――ハッキリ言って『不可能怪談』、矛盾しまくりなお話なのに!


 いや、話は矛盾なんてしていなかった。この怪談の中には、もうひとりの目撃者が潜んでいたのだから。

 それは、加害者である、あやかし本人で……!


「ほう? 今宵こよい女子おなごか」


 ぴちゃぴちゃという水音に紛れてぬめりとした女の声がする。


きのいい男に噂を流し、ひとりでやって来た愚か者を狙って喰ろうておったが。たまには女子もよいな」


 肩越しに真っ白な両手が伸びてきて、わたしの身体を背後から抱きしめる。

 着物の背中がじわりと濡れて、頬にかかるのは生臭い息だ。

 う、嘘でしょう? これきっと葉山さんが仕組んだいたずらで――!

 そんな願いも虚しく、ちろりと喉に舌が這う。


「む? この女、力を持たぬくずではないか! わらわへの当てつけというのなら、腹さばいてなぶりものにしてくれようぞ!」


 い、嫌ぁっ!

 ぎゅっと目をつぶった瞬間、


「ぎゃああああっ!」


 悲鳴と同時に響き渡る水音、嘘のように解ける金縛り。

 え? い、いったいなにが起こったの……?

 ほうけたようにあたりを見まわすと、


「亜寿沙さんっ!」


 鋭い声が闇を裂いた。

 むこうから必死で駆けてくるのは着流し姿の男性だ。


「維吹さん⁉」


 弾かれたようにわたしも駆け出し、その細い身体にしがみつく。

 年頃の女性が異性に抱きつくなんて、破廉恥はれんちでみっともない。そんなことを考える余裕すらなかった。


「き、君という人は! あまりに帰りが遅いから、気配を辿って来てみれば――!」

「維吹さん、わたしのこと待っててくれたんですか⁉ てっきり寝てしまったかと……!」

「とうぜんでしょう? 君が長屋に戻ってくるまで毎晩起きて待ってたよ!」


 言い争うわたしたちの前で池の水が左右に割れ、中から女が現れる。


「くそ、この陰陽師めっ、わらわの邪魔をするとはいい度胸じゃ!」


 それは、下半身が蛇体の、夜目にも白い女のあやかしで……。

 あれ、作りものじゃないんだよね? だって蛇の部分も神経が通ってるみたいにうねうねしてるし!

 食い入るように見つめてしまうと、維吹さんが静かに言う。


「申し訳ないけど、目を閉じていて」

「え?」


 わたしの頭に手がまわされ、ぎゅっと胸に押さえつけられる。


「すぐに済ませる」

「はは! 女をかばいながら、どれだけのことが――」


 その言葉を遮るように、


玉響たまゆら、好きにしていい」


 直後に響く悲鳴と甲高い水音。


「もう少し事を穏便に済ませたかったが、こんな状況で手加減はしないよ。恨むなら、僕の弟子を襲った自分を恨め」

「お、おのれ……! おまえなぞ、わらわのこの手で——」


 その言葉が途中で途切れ、西瓜すいかのような重いものが水の中にどぷんと落ちる音。

 あとはひっそりかんとして、風が池の上を渡っていくさらさらとした音ばかり。


「……維吹さん?」


 視線を上げると、今見たあやかしよりも真っ白な維吹さんの顔が目と鼻の先にあった。


「……終わったよ」

「終わった?」

「ただすまない、ちょっともう立ってられそうにない……!」

「えぇっ⁉」


 そうだった、この人ってば虚弱体質!


「あの、すぐそこにお茶屋の縁台が出しっぱなしになってますから! そこで休んでください!」


 へろへろの維吹さんに肩を貸し、縁台に腰を下ろさせる。

 と思ったら、そのままぱたりと仰向けに倒れてしまった。


「……お説教したいとこだけど、今夜はやめにしておくよ」

「ほ、ほんとにすみません……」

「行くなと言われて行きたくなるって……子どもじゃないんだから」


 やめておくと言いながら、いつのまにかお説教を始めてしまう維吹さん。


「ほんとにごめんなさい! 反省してます! どんなお仕置きも甘んじて受けますから!」


 とにかく維吹さんを休ませたくて、勢いで言ってしまってからしまったと思う。


「――お仕置き? どんなことでも甘んじて受ける?」

「い、いえ、無理にしなくてもいいんですよ⁉」


 自分でもよくわからない言い訳をして、目の前でパタパタと手を振ると、


「なるほど……。じゃあ、君の気が向いたとき、また牛乳寒天を作ってくれないか? 

今度はちゃんと、栓抜きを用意して……おく、か、ら……」


 そのまま維吹さんは意識を失い、すやすやと寝息をたてだしてしまったのだった。

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