第13話 龍も闇落ちするそうです

「そもそも上野の山は、元々呪術的な役目を担わされていたんだ。今は、公園として整備されているけどね」


 背筋を伸ばし、維吹さんと向かい合うように正座をして。せっかく話をしてくれるのだからと、わたしは黙って耳を傾けている。


「亜寿沙さんは鬼門封きもんふうじとか鬼門除けってわかるかい? 鬼や邪気が出入りするといわれる不吉な方角――北東に、寺とか巨石を置くまじないの類でね。平安京だったら比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ、江戸城だったら上野の山の東叡山寛永寺とうえいざんかんえいじが鬼門除けだ」

「まぁ、それくらいなら知ってますけど……」


 おがみ屋嫌いが高じて、ちょっとした神秘家しんぴかよりもその手の知識にくわしくなってしまったわたしだ。小さくうなずいてみせると、維吹さんは「だが」と言葉を続ける。


「鬼門封じの寛永寺は、新政府軍と旧幕府軍の戦い――上野戦争で焼け落ちてしまった。今はもう少し西のほうに再建されてるけど、力はかなり弱まってしまっている」

「要はものすごく神聖な場所だったはすが、上野戦争で力を削ぎ落されてしまったってことですか?」

「削ぎ落されたなんて生易しい状態じゃなく、死者やたくさんの負傷者のせいでけがれた場所に変わってしまった。それに、聖なる場所が一気に邪に転じると、少なからずそこにいた神やあやかしも影響を受ける。闇落ち、なんていう同業者もいるけれど」

「闇落ち……」


 その、いかにも恐ろしげな言葉に自然とわたしの声は震えてしまう。


「そんな場所で、明治の初めに妙な噂が流れるようになった。君は、龍の昇天しょうてんって知ってるかい?」

「地上にいた龍が、天に帰ることですか?」

「不合格。字面じづらどおりの意味をわざわざ訊ねる人はいないよ」

「は、はい……」


 あやかしがらみになると、とたんに維吹さんの態度は厳しくなる。


「上野の山に突如として大音響が響き、足元の地面がぐらりと揺れる。大慌てで空を見れば、白い煙のような軌跡きせきがたなびいていて、どうやらなにかが土の中から飛びだしていった様子。それが龍の昇天だよ」

「へぇ? 不思議なこともあるもんですね」

「ああ。こんなことが幾度となく起こってね。上野戦争で寛永寺が焼き払われたあと、この地を守護していた龍たちが、お役御免とばかりに次々空へと帰っていくんだと噂がたった」

「ほう……?」


 なかなかおもしろい話だけど、龍なんて現実にはいやしない。

 となれば――どう考えたら理屈が通るんだろう?

 大音響。地揺れ。空に伸びる煙――。


「あのう、上野戦争って、鉄砲だけじゃなく大砲も使われたんですよね? アームストロング砲とか、四斤山砲よんきんさんぽうとか」


 確認のためにわたしが訊くと、


「へえ、君、けっこうくわしいね」


 維吹さんが感心したように目を見開く。


「ええ、北海道には維新のドタバタで本土から流れてきた人も多いですし。話を聞いたことがあったので」

「じゃあ、だいたいの予想はついてるんだ?」

「もちろんです! なんらかの理由で地面に埋まったままになっていた無数の不発弾が、何年もあとにいきなり爆発した。それが龍の昇天の正体では?」


 きっぱり言うと、


「あ、亜寿沙さん……」


 維吹さんが急にうろたえたような声を出した。


「君ってすぐに正しい答えを出してしまうから、師匠としては物足りないんだけど」

「わたし、維吹さんの弟子じゃありませんよ⁉」

「こんなに物知りで機転が利いて……なんで君、力がないわけ?」

「し、知りませんよっ!」


 弟子なんていらない、みたいな態度だったくせに、なぜか残念がるのはやめてほしい。


「で? 陰気と龍と、話はちゃんとつながるんですか?」

「大丈夫、きちんと最後まで説明するから」


 維吹さんは深くうなずいて――。


「実はね、その中に本物がいたんだよ」


 急に声をひそめ、誰かに聞かれたら大変だとばかりに前かがみになる。


「……はい? 今なんと?」

「だから本物」


 ――科学的に決着がついた。

 そう思って安堵していたら、いきなりまたおかしな方向に話が転がりだすのはやめてほしい。


「龍にしてみれば、上野の山の中でお江戸の平和を守っていたのに、ある日突然、硫黄や金属――大嫌いなもので作られた砲弾を雨あられと撃ち込まれ、さらには野ざらしになった遺体から大量の血やとろけた肉が大地に染みこんで……恐怖や怒り、絶望のたっぷり入った陰気を浴びておかしくなっちゃったんだろうね。完全に闇落ちしてた」

「…………」


 いやいや、これってどういう返事をすればいいわけ⁉

 微妙な表情になるわたしなどお構いなしに、維吹さんは話を進める。


「あのときは衣川ころもがわさんが長屋に駆け込んできて、今すぐ山に来てくれって――。正直、上野戦争からどれだけたってるんだって、泣きたくなったよ」

「た、大変だったんです、ね……?」

「うん」


 ねぎらいの言葉をかけるととりあえず納得したようで、「もう二度と、ひとりで龍の相手はしたくない」とぼやく。


「あの、そのとき衣川さんは? 手を貸してくれなかったんですか?」

「それが、やむにやまれぬ事情で現場を離れてね……」

「はあ? 凶暴化した龍を目の前にして、戦線離脱するほどの事情って⁉」

「……かわやとか?」


 維吹さんが笑って答えをはぐらかすから、それだけでもう嘘くささ満点。


「というわけで、話を元に戻すけど。あのあたりはちょっとした神やあやかしが変な方向に力を増幅させやすい場所なんだ」


 呆れ顔のわたしの前で、維吹さんが表情を改める。


「力のない君が行ってもお手上げだから、あまり近づかないほうがいい」


 ――へぇ、そうなんですか、納得しましたぁ……。

 なんて、素直に言えないわたしはどうしたらいいのか。


「つまり、今回の不忍池の怪談も、大したことないあやかしが、山からの陰気で凶悪化した可能性があると?」

「ああ」


 ……くっ! これ笑ったらいけないんだよね⁉ 維吹さん、真面目に言ってるんだよね⁉


「亜寿沙さん?」

「い、いえ、なんでもありません!」


 結局、『不可能怪談』である不忍池の話はよくわからないまま、この話題はお開きになって。

 陰陽師の意見を内心であざ笑ったむくいが来たのか、その翌日、わたしは今までの価値観がすべてひっくり返されるような、ひどい目に遭ってしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る