第12話 役に立つ式神の使いかた

 葉山さんと別れたあと、わたしはいくつか買い物すると長屋に戻った。まだ日暮れには遠く、夕餉ゆうげには早い。

 維吹さんの長屋を覗くと、彼はぼんやりとした顔でなにやら難しそうな本を読んでいた。


「ただいま戻りました~っと」


 手にした風呂敷包みを破れ畳の上にそうっと置くと、硝子ガラスの触れ合うカチャリという音。その音に維吹さんが顔を上げ、不思議そうにこちらを見る。

 そんな彼の目の前に、わたしが取りだしたのは二本のびんだ。


「じゃーん、これなんでしょう⁉」


 ちょっとおどけて質問すると、


「……牛乳?」


 あっという間に答えを出されてしまった。


「あたりです! とっても滋養じようがあるんですよ」

「ああ、そうらしいね」

「そうらしい、じゃなくて。維吹さんに買ってきたんですから!」

「えっ?」


 とたんに困ったように眉根を寄せる美形陰陽師。


「せっかくだけど、僕は遠慮するよ。どうも身体からだが受けつけなくて」


 うん、言うと思った。牛乳が苦手な人ってまだまだ多いものね。


「大丈夫です、わたしに任せてください!」


 胸を張って風呂敷の中から他の材料も取りだして。維吹さんでも口にできるように、さっそく調理を――。

 そこでわたしの手がぴたりと止まる。


「いっけない! 栓抜せんぬきっ!」


 明治の初めは柄杓ひしゃくすくってどんぶりで売っていたという牛乳。今では硝子瓶ガラスびん王冠栓おうかんせんでしっかり封がされている。


「栓抜きなんてもの、うちにはないよ」

「……ぎゅ、牛乳屋さんに戻ります!」

「このあたりで一番近い牛乳屋って、たしか何町も先では?」

「急いで走って行ってきます!」

「その調子だと、途中で転んで瓶を割るのがオチのような……」


 畳みかけるような維吹さんの台詞に言葉を詰まらせるわたし。

 それ、十分ありえるかも……。

 せっかく意気揚々と牛乳を買ってきたのに、なんだか情けないよ。

 すると、維吹さんはなにかを考えこむような沈黙のあと、


「ちょっと貸してくれる?」


 細い手をスッと出してきた。

 わたしが渡した二本の牛乳瓶を目の前に置くと、


玉響たまゆら。……頼む」


 宙にむかって呼びかける。

 とたんに栓の真下に真一文字の亀裂が入り、王冠栓ごとはじけ飛ぶ!


「……はい、開いたよ」


 い、いや、平然と言われても!


「今のは⁉」

「式神」

「……へ?」


 式神って、たしか陰陽師が使ってる召し使いみたいなやつよね?

 牛乳瓶を開けてもらった手前、「まっさかぁ!」という言葉を喉の奥でかみ殺す。

 が――代わりに口をついて出たのはちょっと意地悪な質問だ。


「式神がいるなら、身の回りの世話を頼めばいいじゃないですか!」


 けれど維吹さんは首を振る。


「おまえごときが式神を使うなんて生意気だと言われてね。実際、僕に使役されてもいい迷惑だろうし」


 つまり、今はわたしが困っていたから、特別に使ってみせたってこと?

 まあ、どうせこれもまた手妻てづまなんだろうけど……。

 どうにか気を取り直すと、わたしはさっそく調理を開始した。

 一合いちごうほどの牛乳を沸かし、少しばかりの砂糖を投入。その中へお湯で溶かした寒天を入れ、良くかき混ぜながら煮立たせたあと、容器に流し入れて冷やしておく。これで牛乳寒天のできあがりだ。


「飲みものが無理でも、きっとこれなら食べられるはずですよ。牛乳の臭みもだいぶ抑えられてるはずですし」


 ほら、と目の前に突きつけると、維吹さんはわたしと牛乳寒天を交互に見て。

 やがて、覚悟を決めたように匙で掬う。


「あれ……?」

「ど、どうです⁉」

「これは大丈夫だ。むしろおいしい……」

「よかったぁ! 風邪をひいて熱を出したときとかすっごく身体からだにいいんです!」

「……うん、たしかに滋養がありそうだ」


 ぶつぶつと言ったあと、せっせと口に運んでくれる維吹さん。

 気に入ってもらえてよかった……。


「ごちそうさまでした」


 寒天を食べ終わると、維吹さんは姿勢を正してかしこまる。


「亜寿沙さん。どうして君は、こんなによくしてくれるんだい?」

「どうしてって……これから夏本番だし、維吹さん、枯れ枝みたいにひょろひょろじゃないですか!」


 しおれている花を見つけたら水を、ガリガリの人間を見かけたら食事を――もちろん、自分ができる範囲でだけど――与えるのが人間てもんじゃないの?

 すると、維吹さんは視線を落として小さくほほ笑む。

 え……? どうしてそんなに寂しそうな顔で笑うの?


「僕の都合で弟子ということにしてもらい、さらには食事の面倒もみてもらって……本当にすまないね」

「いえいえ、住むところを無料で提供してもらってるわけですし! おあいこですって!」


 なぜだろう? 陰陽師なんて胡散臭いやからのくせに、この人を見ていると放っておけない気分になる。


「それに、衣川さんから仕事の依頼を受けているんでしょう? 途中で体調を崩したら大変ですよ!」


 うっかりそんなことも口走ってしまうと、とたんに維吹さんの表情が固くなった。


「衣川さん経由の仕事は、決して口を挟まぬよう。君のためにもならないからね」


 けれどわたしは首を振る。


「でもやっぱり、どうしても納得がいかないんです。今日も不忍池しのばずのいけに行ってみましたけど、あやかしが出るなんて噂が嘘みたいにきれいな場所で」

「池に行った? あんな陰気いんきの凝った場所に? ……まあ、今はだいぶ薄くなってきたし、霊力がないなら関係ないのか」


 霊力がないって言葉があいかわらずムカつくけど、そのまえに言ったひとことがなんだか妙に気になる。


「陰気ってなんですか?」


 ここぞとばかりに食いつくと、維吹さんが顔をしかめる。


「ごめん。今言ったことは忘れて」

「そんな! あそこ、危ないんですか? だったらどう危ないのか教えてください!」


 信じるかどうかは別として、怪談の謎を解き明かすのに少しでも有益な情報を手に入れておきたい。

 わたしが必死にすがりつくと、


「まあ、本当に危ないのは、おとなりの上野の山のほうだけどね」


 ため息をひとつ、維吹さんは諦めたようにこちらを見て。

 そうして陰陽師は、訥々とつとつ剣呑けんのんなことを語りはじめたのだった。

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