第11話 不可能怪談と新たな考察

 ラドミールさんも、わたしも、維吹さんも、よそから帝都にやって来た人。でもそれぞれ、生きかたは違っていて――。

 そんなことを考えながら、ぼんやりとお茶屋の縁台でみつ豆を食べていたら、


「よっ、待った?」


 やっと雑誌記者の葉山さんが現れた。


「お姉さん、おれもおんなじの!」


 店の奥に叫んでから、


「もうすぐ夏本番だなぁ。……で? 不忍池しのばずのいけの怪談でおかしなことって?」


 さっさと話の本題に入ってくる。

 妙なご機嫌伺いされるよりも、サクッと話を進めるほうがわたしも好きだから、その点に異論はないのだけれど。


「そのまえにちょっといい? まずはくわしい内容のすり合わせをしないと。人けのない真夜中、ひとりで池に行くと女のあやかしが出てきて水の中に引きずりこまれてしまう……で問題ない?」


 はやる葉山さんを抑えて訊くと、


「ああ。おれが聞いたのもそれと同じだ」


 彼は深くうなずいてみせる。


 ……よろしい。だったらここからが本番だ。


「じゃあその怪談、目撃者がいないのにどうして広まったんだろって疑問に思わない?」


 ここで「うわ、そんなこと気づかなかったよ!」なんて間抜けなことを言ったりしたら、記者失格でさっさと席を立つつもり(もちろん、みつ豆代もお願いして!)だったんだけど。


「それねぇ……」


 なんだか思わせぶりに、葉山さんはにやりと笑う。


「うちの雑誌に、自称、郷土会きょうどかいの元会員って人からときどき投書が来るんだけど」

「郷土会?」

「なんか、明治の終わりごろに作られた学者の集まりらしくて。三、四年前に解散しちゃったけど、柳田国男やなぎたくにおとか、新渡戸稲造にとべいなぞうとかいう偉い人もいたらしいよ。で、その元会員が、日本のあちこちで集めた民間伝承を、『こんなおもしろい話もあるよ』って親切に教えてくれるのね」

「はあ」

「で、そのうちのひとつに『行くなの赤松』ってのがあった」

「……はあ」


 なんかいきなり話が脱線しかけてるんだけど、ちゃんと不忍池に戻るんだよね?

 わたしが大人しく聞いていると、葉山さんは咳ばらいをして語りだす。


「昔、ある村の外れに立派な赤松の林があって、そこには天狗が住むという噂があった。その天狗は人間の子どもが大好きで、ひとりで松林で行くとさらわれてしまう。けれど決して大人の前には姿を見せず、村人たちは対処に困っていた」

「子どもがひとりで行くとさらわれてしまう……。目撃者は皆無。なのに天狗のせいだと言われている……。不忍池の怪談と似てるって言えば似てるわね。……で?」

「ほかに、赤松の林って言われて気づくことはない?」

「……秋になれば、松茸がいっぱい……」

「そう! つまり、欲をかいて他人を出し抜こうとするガキもいたんだろうよ」

「要は、子どもがひとりで松茸狩りに行って事故に遭うと危険だから、天狗にさらわれるぞって脅したってこと?」

「投稿者も、はじめはそんなふうに思ってたんだとさ」


 ちょっと迂遠うえんな話し方に、わたしは黙って続きを促す。


「でもさ、行くなと言われれば言われるほど、行きたくなるのがガキってもんだろ? おまけに松茸が採れるんだから」

「わ、わかる……」


 たぶん、わたしだったら絶対行く。天狗なんてなんぼのもんじゃいって鼻息も荒く突入する!


「そうしたら、後日わかったのが、村外れのならず者が子どもをさらってどこか遠くに売り払ってたって事実でさ」

「……は?」

「神秘的な存在をかくみのにして、実は人間の仕業でしたってオチ。たとえ目撃者はいなくても、山の中だったら天狗や山姥やまうば、川なら河童、海なら海坊主ってだいたいの相場が決まってる。そこをまんまと利用されたって村の古老が話したらしいよ」

「じゃあ、今回の不忍池の話も、誰かが怪談を隠れ蓑にしてるってこと?」


 夜の池ってたしかになにかが出そうな雰囲気あるし。怪談をうまく利用して、なんらかの利益を得ているやからがいる――。そう考えたほうが女のあやかしが出てきて水の中に……なんて話よりよっぽど現実的だし納得がいく。


「けどその場合、問題はどうやってその怪談を利用してるのかってことよね?」

「まぁ、そこが難しいところでさ」


 注文したみつ豆が来たのを確認して、葉山さんがさじを手に取る。


「……実際、行方不明者は出てるのよね?」

「ああ。といっても身代金を要求するような誘拐事件にまでは発展してないけど」

「てことは……怨恨えんこん?」


 お金目当てでないのなら、恨みつらみから相手をさらって亡き者に、というセンもある。


「あ、でも、確実に相手が来るかわからないのに、怨恨てのも無理があるわね」

「だよな……」


 いきなり推理が行き詰まり、わたしは「うーん?」と首を捻る。

 行き当たりばったりに思考をこねくり回してるだけじゃらちが明かない。状況をはじめから整理し、見落としがないか確認しないと。となると、まずはこの噂の発生源だけど――。


「ねぇ、この話、学生の間に広まってるのよね?」

「特に帝大生の間な」

「じゃ、手の込んだ物取りってセンは? あやかし役の女の他に、実は仲間の男がいるとか」

「だったら若くて元気のいい学生より、よぼよぼで適度にくたびれた金持ちのほうがよくないか?」

「でもそんな金持ちが、ひとりで肝試しなんかに来る?」

「……まずないな」


 葉山さんが即座に自分の意見を取り下げる。


「じゃあ反対に、学生ばかり狙う利点はなんなんだよ?」

「学生と言っても、やって来るのは腐っても帝大生。身ぐるみいで質屋に売ればそこそこお金になるんじゃない? 場合によっては万年筆や懐中時計くらい持ってそうだし。で、ここが一番重要なんだけど、バンカラ気取ってる学生にとったら、肝試しに行って追剥おいはぎにやられたなんて、口が裂けても言えないと思うの」

「あ、なるほど!」

「だから、仲間に知られたくないばっかりに、こっそり下宿を引き払って田舎に遁走とんそう。ほとぼりが冷めるまで休学しちゃう……ってセンは?」

「尻尾を巻いて故郷に帰っただけなのに、いつのまにか行方不明者のひとりに数えられてるってわけか!」


 ポンと手を打ち葉山さんがうなずく。


「で、一方の追剥は、警察に届けを出されることもなく、次から次へと犯行を重ねるの」

「は~、よくそんなこと思いつくなぁ! ……よし、あんたと話してたら記事が一本書けそうな気がしてきた! ありがとな!」


 勢いよく縁台から立ち上がり、お礼とばかりにこちらのみつ豆代も払ってくれる葉山さん。


「またなんかおもしろいこと思いついたら教えてくれよな!」


 そう言うとひらりと手を振り、「次の号の特ダネにしてやる!」と駆けだしてしまう。

 葉山さん、ほんとに記者の仕事が好きなんだな……。

 彼と話したことで、怪談の謎はあっけなく解けてしまった。あとは維吹さんや衣川さんに打ち明けるだけなんだけど……。

 こんなに簡単に解ける謎に、国が動く? もしや、わたしたちが出した答えなどとっくに予想済みで、「甘いな、女」とまたもや言われてしまったら?


 なぜか急に不安になって、わたしは周囲をぐるりと見回す。

 さぁっと一迅いちじんの風が吹き抜けると、池の蓮がゆらゆら揺れ、水面が小刻みに震える。昼間の不忍池は美しくて穏やかで――あやかしが出ると噂がたつような、そんな場所にはとても思えなかった。

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