第8話 陰陽師の弟子は軍人に貶される
「うわぁ、疲れたぁ……」
どうにか初日の仕事も終わり、わたしは
立ち仕事って、腰に来るなぁ……。
そんな、ヨボヨボのおばあちゃんみたいな感想を抱くわたしに、
「異人さんと
「やるわね、新人!」
その一方で
一日の仕事を終えたら、あとは陰陽師長屋に帰るだけ。
「待って、燐ちゃん!」
帰る方向が同じなのか、美津さんが燐さんを追いかける。ついで、店のそばの四辻で洋子さんが「私はこっち」と左に折れ、やっとひとりになったわたしは素早くカフェー・フィーニクスに舞い戻った。
無施錠の裏口から中に入ると、翌日の仕込みをしていたマスターが怪訝そうにこちらを見る。
「あん? 忘れものか?」
「いえ、その、実はお話があるんです」
「ああ、ラドミールさん、帰りがけにおまえのことを褒めていたぞ。もう少し試用期間を置くつもりだったが、明日から本採用だ」
「あ、ありがとうございます!」
深々と頭を下げて、それでもその場にたたずむわたしに、鍋から目を離さずにマスターが言う。
「なんだ? 採用の有無じゃなきゃ給金の前借りか?」
「違います。実はわたし、人を捜してて……」
昨日、葉山さんに紹介してもらったときには打ち明けていなかった事実。初対面ですべてを言うと、面倒臭い奴として門前払いを食わされる可能性があったからだ。
「ふうん? 人捜しね。いったい誰を探してる?」
単刀直入に訊いてきたマスターにほっとしながら、わたしは「姉です」と
しかし、しばらくの間を置いて、湯気越しに返ってきたのは「見覚えがないな」という素っ気ない答え。
にぎやかな街で西洋料理店を開いている人に訊けば、多少の手がかりが掴めるかも……。そんな考えは甘すぎたようだ。
帝都に向かった、とだけしか情報のないお姉ちゃん。唯一つながりがあったのは上野の陰陽師だけで、その線が切れた今、どうしていいのかわからない。
木を隠すには森、人を隠すには人混み。ならばにぎやかな上野か浅草あたり……と検討をつけてみたのだが、それだってあてずっぽうに近い。
「なぁ、だったら維吹先生に頼めばいいんじゃないか?」
鍋に浮いてきたアクを
「へ?」
「いやだってあの先生、そういうのの専門だろ?」
い、言われてみれば、たしかに……。
だが、拝み屋嫌いのわたしからすれば、そんな当たりもしないものにすがるなんて絶対に嫌だ。
「まあ、このあたりの店のやつにも聞いてみるから。気を落とすなよ」
「はい。ありがとうございます……」
ため息をつきながら長屋への道を
電燈のきらめく道はさすがに帝都といったところだ。先に開発されたガス燈と
そんなことを考えながらぼんやり夜道を
維吹さんにお客さん⁉ おまけに軍人さんなんて! もしかしなくても、あやかし絡みの依頼とか⁉
まさか、という思いと、噂は本当だったの? という衝撃と。
足音を忍ばせ木戸をくぐると、軍人の姿はとっくに見えなくなっていた。わたしは素早く自分の長屋に駆け込むと、灯りもつけずに壁に耳を押しつける。
「
軍人の、少し渋めの声が壁のむこうから聞こえてくる。
「なるほど。とっくに退散したのか、まだ潜んでいるのか……。どちらも安易に喜べませんね」
続いていつもと同じ、維吹さんの淡々とした声。
「いろいろ気になることはあるが、その件はしばらく保留としていただきたい。というのも、別件のあやかし騒ぎの報告が入った」
「つまり、そちらに注力せよと?」
「ああ」
――え? えぇっ⁉ やっぱり維吹さん、国からあやかし退治の依頼も受けてたの⁉
両手をぴたりと壁にあて、さらに身体を押しつける。
「……
――て、あれ?
この話と似たような怪談、最近どこかで聞いたような……?
思わず首を捻っていると、
「――失礼。
次の瞬間ドスッと鈍い音がして、わたしの目と鼻の先に夜目にも白い刀の刃がきらめいた!
「ぎゃあああああっ!」
「……仕損じたか」
薄い壁を突き抜けてきた刀が、まるで生きもののように、するすると元へ戻っていく。
「仕損じたか、じゃないわよ! もう少しで串刺しにされるところだったじゃ……きゃっ⁉」
壁越しに叫んだ言葉が終わるよりも早く、入り口の引き戸を倒して飛び込んできた軍人に、素早く軍刀を突き付けられる。
「貴様、何者だ?」
わ、わたし、刺されて殺されるっ⁉
軍人の歳は二十代の半ば。切れ長の瞳にキリッとした口元で、なんの感情もこもっていない冷ややかな顔がわたしの心臓を凍てつかせる。
「こ、
遅れて追いかけてきた維吹さんが、ぜえぜえ言いながら声をあげる。
「……弟子?」
「は、はい……!」
「なぜわざわざ女弟子を? 口さがない噂をする者もいるだろうに」
「か、彼女が適任だったからです!」
「……では、この女に話を聞かれても問題ないということか」
静かに刀が降ろされ、それと同時に維吹さんとわたしは申し合わせたようにへたり込む。
「ご、ごめんなさい、維吹さん。ほんの出来心で……」
「僕に謝罪はいいから。今夜は一番奥の部屋に行ってて!」
「ええっ? でもわたし、あらかた聞いちゃいましたよ⁉ それにその怪談、おかしいじゃないですか!」
一気にまくしたてると、衣川さんの猛禽のような目がキラリと光った。
「おかしい、とはいったいなにが?」
「人けがない場所にひとりで行って、水の中に引き込まれる……。それ、いったい誰が見たんですか⁉」
そう、ハッキリ言って『不可能怪談』、矛盾しまくりなお話なのに!
けれど、あたりに響いたのは甲高い笑い声。
「ははっ、なにかと思えばそんなことか!」
「そんなこと?」
「甘いな、女。そんな浅い読みしかできない者が陰陽師の弟子とは……。いや、失礼」
「弟子の不調法は僕から謝ります。亜寿沙さん、君はもういいから!」
「で、でも!」
「お願いだから!」
必至に食い下がろうとするわたしに、維吹さんが懇願する。
このままわたしが残ったら、弟子を
とっても腹が立ったけど、寝具替わりの着物を手に、わたしは一番奥の長屋にすごすごと引き下がったのだった。
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