第8話 陰陽師の弟子は軍人に貶される

「うわぁ、疲れたぁ……」


 どうにか初日の仕事も終わり、わたしはあかりを落とした店の前で、ぐっと大きな伸びをした。雨はどうにかやんで、水たまりに星空が映っている。

 立ち仕事って、腰に来るなぁ……。

 そんな、ヨボヨボのおばあちゃんみたいな感想を抱くわたしに、


「異人さんとおくせず話せるなんてすごいですね!」


 美津みつさんが尊敬のまなざしを向けてきて、


「やるわね、新人!」


 洋子ようこさんは洋子さんで、「私も負けられない!」となぜか気合いを入れている。

 その一方でりんさんはあくびをかみ殺しながら、「お先に失礼しまふ~」とさっさと帰るところだ。

 一日の仕事を終えたら、あとは陰陽師長屋に帰るだけ。


「待って、燐ちゃん!」


 帰る方向が同じなのか、美津さんが燐さんを追いかける。ついで、店のそばの四辻で洋子さんが「私はこっち」と左に折れ、やっとひとりになったわたしは素早くカフェー・フィーニクスに舞い戻った。

 無施錠の裏口から中に入ると、翌日の仕込みをしていたマスターが怪訝そうにこちらを見る。


「あん? 忘れものか?」

「いえ、その、実はお話があるんです」

「ああ、ラドミールさん、帰りがけにおまえのことを褒めていたぞ。もう少し試用期間を置くつもりだったが、明日から本採用だ」

「あ、ありがとうございます!」


 深々と頭を下げて、それでもその場にたたずむわたしに、鍋から目を離さずにマスターが言う。


「なんだ? 採用の有無じゃなきゃ給金の前借りか?」

「違います。実はわたし、人を捜してて……」


 昨日、葉山さんに紹介してもらったときには打ち明けていなかった事実。初対面ですべてを言うと、面倒臭い奴として門前払いを食わされる可能性があったからだ。


「ふうん? 人捜しね。いったい誰を探してる?」


 単刀直入に訊いてきたマスターにほっとしながら、わたしは「姉です」とおびの中から写真を取り出す。

 しかし、しばらくの間を置いて、湯気越しに返ってきたのは「見覚えがないな」という素っ気ない答え。

 にぎやかな街で西洋料理店を開いている人に訊けば、多少の手がかりが掴めるかも……。そんな考えは甘すぎたようだ。


 帝都に向かった、とだけしか情報のないお姉ちゃん。唯一つながりがあったのは上野の陰陽師だけで、その線が切れた今、どうしていいのかわからない。

 木を隠すには森、人を隠すには人混み。ならばにぎやかな上野か浅草あたり……と検討をつけてみたのだが、それだってあてずっぽうに近い。


「なぁ、だったら維吹先生に頼めばいいんじゃないか?」


 鍋に浮いてきたアクをすくいながら、マスターがこともなげに言う。


「へ?」

「いやだってあの先生、そういうのの専門だろ?」


 い、言われてみれば、たしかに……。

 だが、拝み屋嫌いのわたしからすれば、そんな当たりもしないものにすがるなんて絶対に嫌だ。


「まあ、このあたりの店のやつにも聞いてみるから。気を落とすなよ」

「はい。ありがとうございます……」


 ため息をつきながら長屋への道を辿たどる。

 電燈のきらめく道はさすがに帝都といったところだ。先に開発されたガス燈としのぎを削り、結果、その扱いやすさから怒涛の勢いで広まっているらしい。どちらかと言えば、わたしはガス燈の放つ柔らかな光のほうが好きなんだけど。


 そんなことを考えながらぼんやり夜道を辿たどっていると、目の前をひとりの軍人さんが歩いているのに気がついた。茶褐色の軍服に身を包み、腰には立派な軍刀。まっすぐに背筋を伸ばして一定の速さで進んでいく。しかもその軍人さんは、陰陽師長屋の木戸をなんのためらいもなく潜っていって――。


 維吹さんにお客さん⁉ おまけに軍人さんなんて! もしかしなくても、あやかし絡みの依頼とか⁉

 まさか、という思いと、噂は本当だったの? という衝撃と。

 足音を忍ばせ木戸をくぐると、軍人の姿はとっくに見えなくなっていた。わたしは素早く自分の長屋に駆け込むと、灯りもつけずに壁に耳を押しつける。


久方ひさかたぶりだな、維吹殿。まずは例の話だが、こちらは春以降、まったく動きがない」


 軍人の、少し渋めの声が壁のむこうから聞こえてくる。


「なるほど。とっくに退散したのか、まだ潜んでいるのか……。どちらも安易に喜べませんね」


 続いていつもと同じ、維吹さんの淡々とした声。


「いろいろ気になることはあるが、その件はしばらく保留としていただきたい。というのも、別件のあやかし騒ぎの報告が入った」

「つまり、そちらに注力せよと?」

「ああ」


 ――え? えぇっ⁉ やっぱり維吹さん、国からあやかし退治の依頼も受けてたの⁉

 両手をぴたりと壁にあて、さらに身体を押しつける。安普請やすぶしんの長屋だけど、壁が薄いことが吉と出るとは!


「……市井しせいに出回る噂では、人けのない真夜中、ひとりで上野の不忍池しのばずのいけおもむくと、女のあやかしによって水の中に引きずりこまれてしまうらしい。実際に池に行くと言ったきり、すでに何名も行方不明になっている」


 ――て、あれ?

 この話と似たような怪談、最近どこかで聞いたような……?

 思わず首を捻っていると、


「――失礼。ねずみが」


 次の瞬間ドスッと鈍い音がして、わたしの目と鼻の先に夜目にも白い刀の刃がきらめいた!


「ぎゃあああああっ!」

「……仕損じたか」


 薄い壁を突き抜けてきた刀が、まるで生きもののように、するすると元へ戻っていく。


「仕損じたか、じゃないわよ! もう少しで串刺しにされるところだったじゃ……きゃっ⁉」


 壁越しに叫んだ言葉が終わるよりも早く、入り口の引き戸を倒して飛び込んできた軍人に、素早く軍刀を突き付けられる。


「貴様、何者だ?」


 わ、わたし、刺されて殺されるっ⁉

 軍人の歳は二十代の半ば。切れ長の瞳にキリッとした口元で、なんの感情もこもっていない冷ややかな顔がわたしの心臓を凍てつかせる。


「こ、衣川ころもがわさん! この人は僕の弟子です!」


 遅れて追いかけてきた維吹さんが、ぜえぜえ言いながら声をあげる。


「……弟子?」

「は、はい……!」

「なぜわざわざ女弟子を? 口さがない噂をする者もいるだろうに」

「か、彼女が適任だったからです!」

「……では、この女に話を聞かれても問題ないということか」


 静かに刀が降ろされ、それと同時に維吹さんとわたしは申し合わせたようにへたり込む。


「ご、ごめんなさい、維吹さん。ほんの出来心で……」

「僕に謝罪はいいから。今夜は一番奥の部屋に行ってて!」

「ええっ? でもわたし、あらかた聞いちゃいましたよ⁉ それにその怪談、おかしいじゃないですか!」


 一気にまくしたてると、衣川さんの猛禽のような目がキラリと光った。


「おかしい、とはいったいなにが?」

「人けがない場所にひとりで行って、水の中に引き込まれる……。それ、いったい誰が見たんですか⁉」


 そう、ハッキリ言って『不可能怪談』、矛盾しまくりなお話なのに!

 けれど、あたりに響いたのは甲高い笑い声。


「ははっ、なにかと思えばそんなことか!」

「そんなこと?」

「甘いな、女。そんな浅い読みしかできない者が陰陽師の弟子とは……。いや、失礼」

「弟子の不調法は僕から謝ります。亜寿沙さん、君はもういいから!」

「で、でも!」

「お願いだから!」


 必至に食い下がろうとするわたしに、維吹さんが懇願する。

 このままわたしが残ったら、弟子をぎょせない師匠として、維吹さんまで馬鹿にされてしまうだろう。

 とっても腹が立ったけど、寝具替わりの着物を手に、わたしは一番奥の長屋にすごすごと引き下がったのだった。

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