第6話 帝都の陰陽師は謎だらけ

「というわけで、明日からカフェー・フィーニクスで女給をすることになりました!」


 葉山さんと別れたわたしは、長屋に戻ってまっさきに陰陽師に報告した。

 カフェーで小金を稼ぎつつ、休みの日には姉を捜す。もし捜索が長丁場になったとしても、これで金銭的な問題は解決だ。


「君の生活費くらい、僕が面倒みてあげるのに」


 寝起き姿の維吹さんはそう言ったけど、拝み屋にほどこしを受けるほど、わたしは落ちぶれてはいないつもりだ。


「あ、あとわたし、維吹さんの遠い親戚ってことになってるので! もし誰かに訊かれたら、そういうことにしといてください」


 とたんに眠たげだった維吹さんの目が、ぱちりと大きく見開かれる。


「親戚……?」

「はい、維吹さんの祖父母の従兄弟のお嫁さんの、そのまた兄妹の子どもの子どもってことになってます」

「それ、普通は他人って言わない?」

「でもそのほうが、いろいろ聞かれたときにぼろが出にくいなぁと。まぁ、真面目な話、維吹さんてお故郷くにはいったいどこなんですか?」

「言いたくない」


 やや食い気味に言って、視線を落とす維吹さん。

 それって知られると困るってこと? たとえば、実は名家の御落胤ごらくいんとか。反対にすねに傷持つ前科者とか。


 ちなみに生まれも育ちも上野だというご主人によれば、維吹さんは何年か前にふらりとこの地に現れたのだという。物静かで人畜無害、ちょっとしたせもの探しやかんの虫封じに抜群の力を発揮するから、たちまちこの界隈で有名になった。でもどこかよそよそしくて、無暗に人を立ち入らせないような雰囲気もあるから、くわしい素性を知る人はまったくいないのだという。

 たぶん、わたしがしつこく訊いても絶対に教えてくれないんだろうな……。


「ところで維吹さん、昼食は?」


 気持ちを切り替え問いかけると、


「今日はアンパンを食べたから大丈夫」


 という、なぜか自信満々の応えが返ってきた。


「朝昼兼用ですか」

「夕飯もあれでいいよ」

「はあ⁉」


 一日をアンパン一個で過ごすって……。もし葉山さんが差し入れてくれなかったら、それすら口にせずにいたってこと? そんな生活してるから、枯れ枝みたいに細いし顔色も悪いのよ!


「じゃあ、夕飯はわたしが作ります!」


 勢いで言ってしまってから、自分のお節介さ加減に呆れてしまう。でもやっぱりこれは見捨てておけないよ!


「いや、僕、食欲が……」

「お米はっ⁉」


 問答無用で訊ねると、


「……そ、そこにあるけど」


 畳の隅の、桐でできた小さな米櫃こめびつを指さされる。

 なんだ、お米はちゃんとあるんじゃない!

 嬉々としてふたを開けると、瞬時にうなじの産毛が逆立った。


「ぎゃああああああっ⁉」


 力任せに蓋を閉じ、畳の上をお尻で後じさりながら米櫃との距離を取る。

 脳裏にふと過ぎったのは、昨日の水瓶みずがめの一件だ。


「い、今の、見ました⁉」

「うん、ちょっとだけど見えちゃった……」

「一応訊いておきますが、このお米、いつのですか?」

「……たしか、去年の暮れだったかな?」


 うわあああああああっ! この米櫃、絶対開けちゃいけないパンドラの箱だった!


「す、捨てましょう! おひつの中は穀象虫こくぞうむしの一大帝国になってます! ひとり暮らしで寂しいからって、やたらと妙なもの飼わないでくださいよ!」

「いや、僕が飼いたいんじゃなくて、自然と湧いてくるんだよ。……ひょっとして好かれているのかな?」


 軽口なのか本気なのか、よくわからない会話に頭がくらくらしてしまう。


「まったく。お米を駄目にしちゃうなんてもったいない……」


 思わずひとりごちると維吹さんが言い訳のように口を開く。


「あのときは珍しく食欲が湧いて、自分でごはんを炊いたんだけど、なぜかおいしくなかったんだよ。それで残りを食べる気なくして」

「どうやって炊いたんですか?」

「お米を研いで、普通にお釜でだけど?」

「わかりました。ちょっと時間をいただきますね」


 わたしは水を汲んだあと、がま口を手に米屋に走る。帰りに煮売り屋で炒り豆腐や煮魚も買って、味噌屋で少々米味噌も調達する。

 そうしてごはんを炊いて味噌汁も作って、ほこりを被った箱膳ふたつを発掘して、今宵の夕飯をきれいに並べれば完成だ。


「いただきます……」


 深々と頭を下げて、茶碗を手にする維吹さん。

 おそるおそるといった体で、銀シャリをそっと頬張って――


「あれ? おいしい?」


 不思議そうに首を捻る。


「水もお釜も同じなのに? 見ているかぎりは火加減だって僕と変わらなかったし」

「ふふふ、どうしてでしょう?」


 ちょっぴり答えをらしてから、先生よろしく顔の横に人差し指を立ててみせる。


「まず第一に、お米を買うとき気をつけなければいけないのは、粒の大小です。バラつきがあると小さなものは柔らかく、大きなものは硬く炊けてしまうので食感が悪くなるんです。それから第二。井戸水もできれば汲み立ててではなく、しばらく置いて上澄みだけを使うといいですよ。実はきれいな井戸水も、目に見えない不純物がたくさん入っているので」

「なるほど。亜寿沙さんは物知りだな」


 維吹さんはしきりに感心してくれるけど、実はこれ、すべてお姉ちゃんからの受け売りだ。結婚したらいい奥さんになるね、なんて言われていたお姉ちゃん。ほんと、今はどこでどうしているんだろう……。


「ありがとう。炊き立てを食べるなんて久しぶりだな」


 目の前では、茶碗を押し抱くようにして、維吹さんがひと口ひと口ごはんを大切そうに食べている。


「おかわりもありますよ?」

「いや、そんなに食べると胃が受けつけないから」


 台詞がぶっちゃけ病人で、聞いてるほうが辛くなる……!

 この人、今までどういう暮らしを送ってきたの?

 素性を教えてくれない、過去も謎。お姉ちゃんの行方を捜すその次に、維吹さんのとがなんだか気になってしまったわたしだった。

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