第5話 接待するならカフェーでお茶を

 葉山さんが帰ったあと、再度お隣を覗くと、取材で疲れ切った維吹いぶきさんがまたもやばったり倒れていた。この状態で、オススメの働き口を教えろと叩き起こすのもなんだかこくだ。


 ――とりあえず、街に出てみようか。

 軽く身なりを整えて長屋の木戸をくぐったとたん、


「よっ」


 なんと、葉山さんが小手をかざしてあいさつしてきた!


「えっ? さっき帰ったはずじゃ⁉」

「だって、先生の目の前で弟子のあんたを物見遊山ものみゆさんに誘うなんて失礼じゃないか」

「……はぁ?」


 思い切り眉をひそめてみせたわたしに、


「ああ、そっち系の下心はないよ?」


 パタパタと片手を振って葉山さんが苦笑する。


「おれ、維吹先生の担当記者だから。そのお弟子さんとも仲良くしといたほうがなにかと得だなって思っただけ」

「さっきはアンパン食うなとか、さんざん罵ってくれたくせに?」


 警戒心いっぱいで訊いてみると、


「あのアンパンは、純粋に先生に食べてもらいたかっただけ。あの人、ほんとにずぼらで面倒くさがりだからさ、うっかり倒れられでもしたら困るんだよ」


 彼は心底心配そうな口調で教えてくれた。


「それに、あんただって先生がいなくなれば修行どころじゃなくなるだろ?」

「ま、まぁね」


 本当は修行じゃなくて住処すみかに困るわけだけど、どちらにしろなにかあったら困るのはわたしも同じだ。


「で、ものは相談なんだけど、今から一緒に東京見物はどう? このあたりも見どころが多いけど、よければ浅草寺せんそうじとか十二階とかさ。おれ、案内してやるよ」


 要は接待するから以後ご贔屓ひいきにってことなのだろう。

 たしかに浅草寺や十二階は行ってみたいし、実は花やしきもかなり気になる!

 でも。わたしに浮かれている暇はないのだ。さっさと仕事を見つけて生活の安定を図り、しかるのちお姉ちゃん捜しに邁進まいしんしなくては。


「東京見物はありがたいけど、それよりどこかにいい仕事の口はない?」

「え……?」


 わたしが一も二もなく飛びついてくると思っていたのだろう、肩透かしを食らった彼はぽかんと気の抜けた顔をする。


「あんた、維吹先生の弟子だろう? 先生の身の回りのお世話をしながら衣食の面倒見てもらうんじゃないの?」

「自分の食い扶持ぶちくらい、自分で稼ぎたいのよ」

「ふぅん? 先生がそれでいいって言ってんなら、紹介してやらないこともないけどさ」

「ほんと⁉ 助かるわ! できれば簡単で、なおかつちゃんと休みがもらえて、あれこれまわりが詮索してこないやつね!」

「……ずいぶん注文の多い奴だな」


 ぼりぼりと頭を掻いて、葉山さんが天を仰ぐ。


「まあ、ここで立ち話もなんだから、店に入って相談するか」

「だったら東京見物のかわりにお茶ってことで! あ、あと、お茶のほかにポーク・カツレツとロール・キャベーヂも!」

「そんなに? 経費で落ちるかなあ……?」


 ぼやきながら歩きだした葉山さん。わたしは彼の歩調に合わせ、ゆっくりとその背中についていく。そうして十分ほどで到着したのは、ステンドグラスが輝くおしゃれなカフェーだった。


「マスター、おれはライスカレーでこっちはポーク・カツレツとロール・キャベーヂ。あとソーダ水もつけて!」


 窓際の席で声高く葉山さんが注文すると、


「なんだ? 逢引あいびきかい?」


 カウンターの奥で熊のようなひげの店主がにやりと笑う。


「残念ながら仕事!」

「へ~え? そんな別嬪べっぴんと昼から飲み食いするのが仕事だなんて、記者ってのはよっぽど大層なご職業なんだな」

「まあね!」


 言いながらテーブルの上に鳥打帽とりうちぼうを投げ出して、


「なかなかいい店だろ? ここ」


 得意そうに葉山さんが言う。

 カフェー・フィーニクス。燃えさかる鶴のような鳥がトレードマークで、レンガ造りの店内は明るく清潔だ。あと、女給さんの格好もかわいくて、着物の上にフリフリの真っ白なレースがついた割烹着を、頭にも同じレースのついたカチューシャ(あとで聞いたらブリムというらしい)をつけている。


 料理を待つ間、なんとなく手持無沙汰になったわたしは思いついたことを訊いてみた。


「葉山さんは、記者になって長いの?」

「まぁ、ようやく一年過ぎたとこだな」

「……じゃあ、あやかしとか怪奇現象とか、心の底から信じてる?」


 思わず小声になって訊ねると、


「いや? 半々?」


 という意外な返事。


「仕事だからって部分もあるし、やっぱ不思議なことってあるんだな~って信じたくなるときもあるし。どっちつかずだね」

「ふぅん? 頭から信じてるのかと思ってた」


 わたしが素直に感想を言うと、


「まあ、そもそもうちの社長からして、『怪奇現象はあるかもしれんがないかもしれん』って曖昧な態度なんだよ」


 葉山さんは悪びれずに教えてくれる。


「ほら、かなり前の千里眼事件せんりがんじけんて覚えてる? あれであることないこと書きたててさ、しこたま儲けて今でも柳の下のドジョウを狙ってるんだ」


 ――かなり前の千里眼事件。

 それは、今から十年以上も前のことだ。

 ある新聞に、『不思議なる透見』というタイトルで、透視ができると主張する女性と、彼女に実験を施した京都帝国大学教授の記事が載った。その女性はきっちり封をした袋の中身は言うに及ばす、人の身体からだの中までつぶさに見て、病に侵された部分を言い当てたという。


 それを皮切りに、千里眼や念写の力を持つという女性が各地に出現。数年に及ぶ一大ムーヴメントを巻き起こしたのだ。

 しかし、自称能力者たちが行った透視実験で、納得のいく結果が出せなかったばかりか、胡散臭い印象ばかりが拡散し、最後は自殺者までも出して騒ぎは収束。


 あのときのわたしは小さな子どもだったけど、日本全国「透視」や「千里眼」で持ち切りで、うちの女中さんたちも暇さえあればカード当てなんかをやっていた。そう思うと、日本人は昔から不思議なことが大好きな、好奇心旺盛な民族なのかもしれない。


「じゃあ、維吹さんのことも半分は信じていないとか?」


 あんなに慕って仲も良さそうだったけど。あれは全部お芝居だよ、とか言われちゃうと、それはそれできついものが……。拝み屋風情に同情するのも癪だけど、人をだますってやっぱり嫌な行為よね。

 じっと葉山さんを見つめてしまうと、


「よくわかんないけど、あの人はたぶん本物」


 ぽつりと言って、彼は目の前に運ばれてきたライスカレーをぱくりと頬張る。


「どうして? あやかしを退治したとか、不思議な術を使ったとか、そういうのを見たことあるわけ?」

「うん、まぁ……手妻てづまって言われてしまえばそれだけの、小さなものばかりだけどね」


 ――たぶんだけど、長屋の木戸が勝手に開いたり閉まったりする、わたしが昨日見たのと同じような程度のものを、彼も目撃したのだろう。


「ただ、役人や軍人が頻繁に来るのは本当でさ。あとおれ、いろいろお世話になってるから。人格者として尊敬してるって言ったほうが近い」

「お世話になってる?」


 とたんに葉山さんはしまったというような顔になり、


「まあ、いいからおまえも早く食っちまえ」


 今まさにテーブルに置かれたカツレツに、ぐいっとあごをしゃくってみせった。


「いいか、残すなよ? あんたひとりでふたり分頼んでるんだからな!」

「もちろん、その点はご心配なく。できればほかにスポンジ・ケーキなんかも追加して……。あ、献立表は?」

「もういい! 頼むな!」


 手を伸ばしたわたしから、葉山さんはひとあし早く献立表をスパンと引き抜く。


「けち」

「こんなに大食いだなんて、想定外だ……」


 わざと道化を演じることで、触れてほしくない話題から一気に方向転換させてあげたのに……なんて言っても格好悪いだけだから、ここはぐっとこらえておく。


「あ、このカツおいしい……!」

「はいはい、よかったな」


 お世辞ではなく、カラッと揚げられたポーク・カツレツは豚肉の旨味がぎゅっと詰まっていて本当においしい。これはロール・キャベーヂも期待大だ!


「というわけで、おまえ、この店で女給でもしたら?」

「……は?」

「なあ、マスター。今ってたしか女給を募集してるんだよね?」


 振り返ってカウンターに大声を放つ葉山さん。

 その言葉に、硝子ガラスのコップを黙々と磨いていたご主人が、一拍遅れて「ああ」と答える。


「だったらこの子なんてどうかな? ちょっと気は強いけど身体からだは頑丈そうだし、たぶん、頭も悪くない」

「それはいいが、身元は?」


 奥さんのいる男性客といい仲になって騒ぎを起こしたり、店の売り上げを持ち逃げしたり。中にはそんな筋の悪い女給もいる……とどこかで聞いたことがある。それを警戒してのひとことだろう。

 さあ、どうする⁉ 家出人に身元の保証なんてないぞ!

 ところがわたしが悩むよりも早く、葉山さんはしれっとした顔で言ったのだ。


「この人、維吹さんの親戚だよ」


 えぇっ⁉

 あえて弟子、と言わなかったのは、余計な興味を持たれるのを防ごうとしたからだろう。

 とたんに店主が手を滑らせ、硝子のコップが宙に舞う。

「わぶっ!?」と妙な声をあげて済んでのところで受け止めると、


「あ、あの陰陽師先生の親戚ぃ? あの人に親戚なんていたのか?」


 ぎょろりと目をき訊いてきた。


「そりゃあ、木の股から生まれでもしないかぎり、いるでしょうよ! な?」


 にこにことわたしに笑顔を向けながら、テーブルの下でそっと足を蹴ってくる葉山さん。対するわたしもひたすら笑顔で、こくこくとうなずきかえす。


「ま、どういう親戚かはおれもよくわかってないから、あとでちゃ~んとこの子から聞いてくれよな!」


 要は、細かな設定はそっちで考えろ、ということなのだろう。

 ありがとう、葉山さん! さっきはちょっと軽そうとか思ってごめん!

 ——西洋料理をおごってくれる人に、悪い人はいない。

 わたしの辞書に、新たな一頁いちぺーじが加わった瞬間だった。

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