第4話 生きているとお腹が空きます

 思いがけず、陰陽師長屋(わたしが命名)で暮らし始めたわたしは、翌日から厳しい現実に直面した。

 いくら家賃がタダとは言っても、生きていくにはお金がいる。がま口の中を改めれば、仕事もせずに姉を捜していられるのは持って半月。

 それに、軟弱者なんじゃくものだと言われそうだが、そもそも長屋の床は板張りで、自分で畳を用意しなければならない『裸貸はだかがし』。場合によってはむしろで我慢する人もいるらしいが、たった一晩で身体が音をあげたわたしにそんな暮らしはできようもない。


 となれば、早急に職を探すべし!

 女性の仕事で花形と言えば、電話交換手にバスガール。でもそういうのって、良家の子女の仕事って感じで。なんのうしろ盾もない家出少女がおいそれと就けるようなものじゃあない。

 だったらなにが、一番手っ取り早くて確実なのか……?


 近所の煮売にうで買ってきた総菜で朝食を済ませ、お隣の陰陽師の家に行く。

 帝都に住んで、諸々もろもろの困りごとを請け負っている人なら顔だって広いはず。どこかで人手を求めてないか、聞いてみようと思ったのだ。


「おはようございます、維吹いぶきさん」


 ぴたりと閉まった障子越しに声をかけてみるが、返事はない。


「維吹さーん?」


 障子の穴から中を覗くと、昨日と同じ着流しのまま、大の字になってぶっ倒れてる⁉


「うそっ⁉」


 ガタピシャン! と建てつけの悪い戸を一気に開けて、


「しっかりして!」


 草履ぞうりを脱ぐのももどかしく、畳の上に駆け上がる。

 この人、ほんとに病的なくらい細くて色白だし。おまけに昨日も眩暈めまいを起こして倒れたり、ちょっと走ったくらいで息切れもしていた。いつぽっくりってもおかしくないんじゃ……と薄々思っていたら、それがいきなり現実になるなんて!


「お願い、目を開けて!」


 必死で肩を揺すっていたら、きれいな二重のまぶたがぱっちり開いてわたしを見上げた。


「……ああ、おはよう」

「うわぁん、よかった、生きてた!」


 思わず叫ぶも当の本人は不思議そうだ。


「生きてた……? 寝ていただけだけど……?」

「え⁉ でもお布団は⁉」

「うちにはない」

「はぁ? か、買いましょうよ、お布団くらい!」


 そりゃあ、わたしだって昨日は着物と風呂敷でどうにか一夜をしのいだけれど。でも、長屋を一棟買いっとうがいしちゃう人がどうして布団を持っていないの⁉

 ひとりで頭を抱えていたら、トントンと叩戸ノックの音がして、開け放たれた障子のむこうで誰かが顔を覗かせた。


「どもっ! 我が帝都の陰陽師は、ご機嫌いかがでしょーか⁉ さっそく雑誌の取材に来たよ!」


 白いシャツにズボン吊り、ニッカポッカの洋装姿で、頭にはいき鳥打帽とりうちぼう。年はわたしと同じくらいの男性が、右手をこちらに差し出すという、なんとも芝居じみた格好で立っていた。明るく人懐こそうな色男だが、どこか軽い雰囲気も漂わせている。


「おおっと、朝からお楽しみのところ、無粋な真似をしちゃったかな?」

「お、お楽しみ⁉」


 言われて我に返ってみれば、わたしは仰向けの陰陽師の上にまたがるように立っていて――おまけに着物のすそもはだけてる⁉

 慌てて三和土たたきに飛び降りると、陰陽師もゆっくりと起き上がり、上がりかまちに腰を下ろした。


「彼女、僕の寝姿を見て、死んでるって勘違いしたんだよ」

「あ~、なるほど! 先生ほんと、正体を無くしたように眠りますもんね!」


 すぐさま納得すると、記者はわたしに視線を注ぐ。


「ところでこちらが噂のお弟子さん? へ~、なかなかの別嬪べっぴんじゃないの。さっそく取材してもいい?」


 ピッと鉛筆を向けられて、


「で、弟子なんかじゃ、」


 とっさに応えてしまってから、わたしは慌てて口をつぐむ。

 とりあえず、わたしは陰陽師の弟子ということで長屋に住まわせてもらっているのだ。悔しいけれど、ここはそれらしくしなくては。


「年は?」

「数えで十七です……」

「出身は?」

「北海道、ですけど」

「へぇ? ずいぶん遠いところから来たんだね。北海道のどこ? 函館? 札幌? それとも小樽?」

「釧路です……」

「釧路?」


 そんなとこ知らん、という顔をされ、わたしはムッと言い返す。


「北海道の東部じゃ一番大きな街です! 電気も電話も通っているし、ハイヤーだって走ってます。大きな百貨店も二軒もあるし!」


 そんなわたしの背後で、維吹さんはうんうんとうなずいてみせる。


「海に面していて、年によっては流氷も来るところだよね?」

「湿原や霧だって有名です!」

「流氷に湿原に霧? つまりは田舎ってことじゃん!」

「はぁっ⁉」

「ま、それはあっちに置いといてっと。お弟子さんのお名前は?」


 さっさと話を本題に戻し、記者はどんどん質問してくる。


「ちょ、ちょっと待って! 名前を雑誌に載せるのだけはカンベンして!」


 家に残した書き置きには、「お姉ちゃんを捜してきます」とひとことだけ。それが、雑誌にばっちり名前が載って居場所がバレてしまったら? おまけに人一倍拝み屋を軽蔑していたわたしが、陰陽師の弟子をしているのが知れたら……。恥ずかしすぎて百回は死ねる!


「――太一たいち。あんまり彼女を困らせると、取材を受けてやらないぞ」


 陰陽師がぴしゃりと言って、太一と呼ばれた記者は小さく肩をすくめてみせる。


「あー、もう、わかりましたよ。とりあえず女弟子ってことで名前は伏せときますから! そのほうが読者の興味もけるしね」

「わかってくれたらそれでいい」

「はいはい。……まったく、先生には勝てないよ」


 ふたりのやりとりを見ていると、なんだか気心の知れた兄弟のようにも思えてくる。うまく互いの距離を測って、ギリギリのところで立ち回ってる感じ。


「そうそう、今さらだけど、おれは葉山太一はやまたいち。『月刊げっかん 神秘世界しんぴせかい』の記者さ」


 得意そうに胸を張って、わたしを見つめる葉山さん。


「月刊、神秘世界?」

「そう。もしかして知ってる?」


 知ってるもなにも! だってその雑誌、うちの父様の愛読書だし!

 おそらく、その雑誌に維吹さんの記事が載っていて、ひょんなことからそれを読んだお姉ちゃんが手紙を出した――ということなのだろう。


「……太一の記事のせいで、僕は平穏な日常を奪われたんだけどね」


 ため息をひとつついて、陰陽師は迷惑そうに記者を見る。


「もう! 先生は商売が下手くそなんですよ。記事も宣伝のひとつと割り切って、どんどんおれらを利用すればいいのに!」

「……僕は、自分ひとりが食べていければそれでいい」

「そんなこと言って、食事すらろくにとらないじゃないですか! ……あ!」


 ふと思い出したように、葉山さんは手にした鞄をがさごそまさぐる。経木きょうぎに包まれたなにかを勢いよく取りだすと、


「これ、先生に差し入れです!」


 有無を言わさず陰陽師に押しつけた。


「これは……香りと大きさからするとアンパンかな?」

「ええ! たくさんアンコが入った上物です!」


 うわ、いいなぁ……。

 さっき朝食を食べたばかりなのに、ついついよだれが出そうになる。アンパンてほんとにおいしいよね。値段は倍もしちゃうけど、ジャムパンだって最高だし。

 我知らず見つめてしまったら、


「あんたの分はないからな」


 ぴしゃりと言われ、わたしは慌てて首を振る。


「べ、別にほしいなんて言ってないから!」

「目は口ほどにものを言うってな」

「……ああ、ではこれは亜寿沙さんに……」

「だから! 先生が食べてくれなきゃ駄目なんだって!」


 ……この陰陽師って、物欲もなければ食欲もないわけ?

 拝み屋って、例えるならこってりとした豚油ラードみたいな人が多いのに、目の前の陰陽師はなんだか天日に晒されてシワシワになった干瓢かんぴょうみたいだ。


「では、後でいただくよ」

「絶対に食べてくださいよ! このまえなんか、思いっきりカビを生やしたじゃないですか!」

「カビ⁉」


 な、なんて勿体もったいない!

 またしてもアンパンを食い入るように見つめてしまうと、


「だからあんたは食うなよ!」


 再度鋭く釘を刺され、噛みつかれっぱなしのわたしは、一時退散とばかりに自分の長屋に撤退したのだった。

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