第3話 偽装結婚ならぬ、偽装師弟関係始めます!

 長屋から立ち去ろうとしたわたしを、とっさに追いかけてきた陰陽師。

 ものの五間ごけん(約十メートル)も走ってないのに肩でぜえぜえ息をして、それでも上背うわぜいがあるせいか、わたしの前に立ちふさがった姿はかなりの迫力だ。

 まさか、わたしを心配して追いかけてきてくれた……とか?

 いつも強気で片意地張って、かわいげのないわたしだけど。こうもあからさまに女の子扱いされるとちょっとうるっと来てしまう。


「あのね、君!」

「はい……」

「君は、僕の弟子だから! 勝手にどこかに行かれると困るんだけど!」

「……はい?」

「だから! 君がいなくなったのが知れると、また一から面倒な弟子選びをするハメになるんだよ!」


 ちょっと待った! わたしを追ってきたのって、まさかそのため⁉


「い、いや、でもわたしを選んだのって、力がないからすぐあきらめるってたかくくった結果でしょ⁉」

「でも、いきなりいなくなったらそれはそれで僕の面子めんつが丸つぶれなんだよ!」

「はぁっ⁉」


 とたんにわたしの中でなにかが勢いよくブチ切れる。


「馬っ鹿じゃない⁉ あんたの面子なんて知らないわよっ!」


 返す刀で一喝してやったのに、しかし、敵もるものだ。


「とにかくここに残って、しばらく弟子として振る舞ってほしいんだよ!」

「嫌でーす。わたしがこの世で嫌いなのは、拝み屋と乾酪チーズなんで~す!」

「わかるよ。乾酪の味って独特だよね!」


 えぇっ⁉ 食いつくの、そっち⁉


「それはそうとお願いだから! この長屋、好きに使っていいし!」

「ふん、こんな狭くてぼろい部屋、一緒に住むとか頭に虫でも湧いてんじゃないの⁉」

「いや、この長屋一棟、全部僕の持ちものだから!」

「…………へ?」


 その言葉に、わたしはぎょっとあたりを見まわす。

 どうりで、こんなに騒いでも他の住人が出てこないわけだ……。


 今さらだけど、長屋というのは長い建物に仕切りを入れ、そこを一軒一軒個別の住居にしたものだ。玄関に入ると三和土たたきがあって、そこに水瓶と小さなかまど。上がると四畳半か六畳の部屋で、そこに数人の家族が肩を寄せ合い住んでることさえある。たいがいは表通りの木戸をくぐると長屋の敷地で、井戸と掃き溜めが共同だ。


 世の中は明治、大正と目まぐるしく変わってきたけれど、庶民の家はお江戸のころとほとんど様子が変わっていない。もちろん、帝都の山の手には洋風のおしゃれな家も建ち始めているそうだけど、それは一部の上流階級の話だ。


「僕が一番手前を使っていて、残りの三つは空きだから」

「……あ、あの、お家賃は?」

「もちろん、タダでいいよ」

「タダ……」


 情けないけどいきなりしおらしくなるわたし。だって家出人に家なんて、猫にかつぶしみたいなものだもの。


「維吹さん、貧乏に見えて本当はお金持ち……とか?」


 こんなこと訊いていいのか迷ったけど、ぼろ家でボウフラ飼ってるような人が実は大家だなんて不思議すぎる。

 すると、陰陽師はどこか困ったような顔で頭を掻いた。


「正直、もらったお金をどう用立てていいのかわからないんだ。ひとりで大きな家だと持て余すし、試しに長屋に住んだら軍人だの記者だのが昼夜構わずやって来るから、鬱陶うっとうしがられてね。『あんたがいると借り手がつかないから、いっそのこと一棟買ってくれ』って話になって、いつのまにかこんなありさまに……」


 言われるままに、長屋一棟お買い上げ! しかも軍人が頻繁に来る⁉

 わたしの疑問が顔に出たのか、


「あやかし絡みの相談に来るんだよ」


 陰陽師は薄く苦笑いをしてみせる。


「えーと? その理屈で言うと、お国はあやかしの存在を認めてるってことになるんですが。おまけに陰陽師を廃止したくせに、今でも頼りにしてるってこと?」

「まぁね。この国は御一新で国教を神道にしようとしただろう? だけど陰陽道にはその神道も混じっているから、放っておくとどちらが上だと厄介なことになりかねなかったんだ」

「だから陰陽師を廃止した。けれどやっぱり手がまわらなくて、あやかし退治の依頼が来ると……」

「そういうこと。君、理解が早いね」


 いやいや、そんなことって本当にあるの⁉

 証拠を見せろと言いたいけど、「細かいことは秘密」とかうまい具合にかわされそう。


「……というわけで、君は弟子ということで、しばらくここにいてほしい」


 話を戻した陰陽師に、わたしはうーんと考えるそぶりをしてみせる。


「修行とかそういう怪しいこと、死んでもやりませんよ? それでいいならここに住みます」


 とたんにほっと笑顔をつくってみせる陰陽師。


はなからやらせるつもりはまったくないよ。だって君、霊感がゼロの、それこそ零感ぜろかんなんだから」


 えぇい、うまいこと言ってやった、みたいな顔をするな!


「こういうの、なんて言えばいいのかな? たとえるなら偽装結婚ならぬ偽装師弟関係?」


 おまけにそのたとえ、ビミョーに嫌なんですけど。

 脱力したまま、美男子のくせに全然身なりにこだわらない残念陰陽師の顔を見上げる。格好をどうにかすれば、もう少し箔がつくと思うんだけど。ほんともったいないわ。


「ん? どうかしたかい?」

「いえ、とりあえずよろしくお願いします」

「ああ、よろしくね」


 得体が知れないけれど、たぶん、悪い人ではないと思いたい……。

 そんなふうにして、わたしの帝都の一日目は過ぎていったのだった。

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