第2話 陰陽師は虚弱体質でお金持ち

 悲鳴をあげて男たちがいなくなると、雲から太陽がのんびり顔を覗かせて、裏長屋に初夏の陽気が戻って来た。

 拝み屋が見えないなにかを手繰たぐり寄せるような仕草をすると、元のように板戸が静かに閉じる。


 この人ってばほんとに手妻てづまがうまいんだなぁ!

 感心しながら立ち上がったわたしの前を、


「あ~、疲れた……」


 と、のろのろ横切っていく拝み屋。そうして長屋に入ったとたん、眩暈めまいを起こしたように畳の上にばたりと倒れこんでしまった。


「わ! 大丈夫ですか?」


 思わず駆け寄ったわたしに、


「君……悪いが水を汲んできてくれないか?」


 うつぶせのまま彼は言う。

 要は水が飲みたいということだろう。

 三和土たたきの隅には水瓶みずがめと、その上には黒竹をひもでつなぎ合わせた風雅なふたが載っている。

 初対面でちょっと図々しいとは思ったけど、「病人にはやさしく」がわたしのモットーだ。

 そばにあった竹の柄杓ひしゃくを手に取って、なんの気なしに蓋を開けて――


「あ、そっちは……」


 拝み屋の制止より早く、わたしは「ぎゃあ!」と叫んでいた。

 だって、だって! 瓶の中にはたくさんのボウフラがいたんだもん!


「こ、この水、いったいいつ汲んだの⁉」

「さぁ? しばらく使ってないからわからない」


 はい? ずぼらにも程がありすぎるんですけど!


「こんなの飲んだらおなか壊して死んじゃうわ!」

「たぶん飲んでも死なないよ。この身体からだ赤痢せきりにも西班牙風邪スペインかぜにもなかなか罹ってくれなくて……」

「ああ、もう! ちょっと待ってて!」


 おもてのポンプ式井戸から水を汲み、おけから薬缶やかんに、さらにそれを床に転がっていた欠け茶碗に注いでやる。


「はい、お水」

「…………」


 むっくりと起き上がり、無言で水を飲む拝み屋。


「むせないように、ゆっくり飲むのよ」


 気分はなぜか、病弱な家族を介抱するいたいけな娘だ。長屋の中をよく見れば、畳だってささくれているし、障子も無様に破れたまま。あまり煮炊きをしないのか、かまどすすで汚れていない。

 ……実は貧乏なのかな?

 そんなことを思いながら、拝み屋が水を飲み終わったのを見計らって、わたしはおずおず訊いてみる。


「あの、つかぬことを窺いますが、今の騒ぎは……」

「後継者選びだよ。ある雑誌の記者にあることないこと書きたてられてね。気づいたら弟子にしてくれ、助手として雇ってくれってのが毎日のようにやって来るから仕方なく……」


 な、なんですって⁉


「わ、わたし、弟子になんかなりませんよ⁉」


 力いっぱい首を振ると、


「まぁ、君、霊力ないし苦労するのは目に見えてるよね。だからわざと選んだんだけど」


 力なく笑われて拍子抜け。

 つまりわたし、どうせ諦めるのを見越していいように利用されたってこと? おまけに霊力なんてそもそも誰にもないものを、「君にはない」と断言されるのも腹が立つ!

 一気に不愉快になったわたしを見て、


「でも、あの問題を解いたのには感心したな。君、なかなか頭がいいよ」


 すかさず褒める隙の無い拝み屋。

 上げたり下げたり、人心掌握術じんしんしょうあくじゅつを心得ているのはどの詐欺師にも共通する特徴だ。

 まったく素直に喜べないまま、わたしは「ところで」と姿勢を正す。


「あなた、維吹いぶきさんですよね? 拝み屋さんの」

「ああ。一応、拝み屋じゃなくて陰陽師って名乗っているけどね」


 うわ、出た! 自分はほかの拝み屋とはひと味違うんだぜっていうあからさま態度!

 この世には不思議な力を持つと自称する人が多すぎる。霊能者に憑きもの落とし、千里眼に神通力――。肩書も能力も人それぞれだけど、やってることは皆同じ。困りごとを抱える人間にすり寄って、容赦なくお金を巻き上げることだ。だから全部ひっくるめて拝み屋でいいじゃない、と乱暴なわたしは思っているのだが。

 それに、


「陰陽師っておっしゃいますけど、明治三年に廃止されてますよね?」

「うん、表向きはね。国家官僚の官人陰陽師かんじんおんみょうじはいないけど、在野だとまだ少し残ってる」

「そのうちのひとりがあなただと?」

「まぁ、そういうことになるのかな。……で? 弟子志望じゃないってことは、なにか困りごとかい?」


 話が進まないと思ったのか、ちょっと改まった口調で拝み屋――もとい、陰陽師が訊いてきた。

 ここで事を荒立てても仕方がない。飽くまで伏し目がちに、薄幸の美少女のような細い声でわたしは言う。


「わたし、来宮亜寿沙と申します。実は人を捜していて……」


 そっと、帯の間から取り出したのはセピア色の写真だ。振袖を着た、これぞ大和なでしこといった雰囲気の女性がこちらを涼やかな瞳で見つめている。去年の春、街の写真館で撮ったもので、遠い異国に送られるはずがそれきりお蔵入りとなってしまった。


「ほう? 二十歳はたちくらいのお嬢さんか。彼女の名前は?」

来宮翔子きのみやしょうこ……わたしの姉です」

「……ああ」


 ぽんと軽く手を打って、陰陽師が小さくうなずく。


「去年の秋ごろだったかな? 僕に手紙をくれた人だ」

「本当ですか⁉」


 やっぱりお姉ちゃんは、この人とつながっていたんだ!


「それ、どんな内容だったんですか?」


 思わず身を乗り出すと、陰陽師は記憶をさかのぼるようにすっと目を細めてみせた。


「……ある雑誌を見て、あなたが高名な陰陽師だと知りました。つきましては、わたくしのおもびとが存命かどうか占ってはくれませんか、だったかな? ご丁寧にお相手の髪まで添えられていたよ」


 ……たぶんそれ、お姉ちゃんだ……。

 わたしほどではないにせよ、常に現実的で占いは楽しむものだと割り切っていたお姉ちゃん。そんな人が、陰陽師みたいな胡散臭い人に自ら進んで占いを頼むほど追い詰められていたなんて……。


「残念だけど、お相手は生きていないと手紙を書いて、髪も送り返した。お礼として結構な額の金子きんすも包んであったけど、もらいすぎだと返したら、さらにまた送り返してきて――。仕方なく礼状を書いて、それきりだ」


 おそらく、わたしが姉の部屋で見つけたのは二通目の手紙だ。ありがたくいただきます、という短い一文と、帝都の住所、さらにこの人の肩書と名前がしたためられていたのだ。

 それにしても、せっかくもらったお金を送り返しただなんて。結局は受け取ったみたいだけど、趣味が清貧なのかな? この人、今まで出会った拝み屋たちとはなんとなく雰囲気が違うし。


「で? 今度は妹さんが直接訪ねてくるなんて……。彼女を捜してるってことは、失踪でもしたのかい?」

「ええ。姉が今年の春に行方知れずになってそれきりなんです。それで、帝都に向かったのを知ってやって来たのですが」

「君ひとりで?」


 間髪入れずに問い返されて、心臓がどきりと跳ね上がる。


「……そ、それは」

「すぐに返事がないってことは、ひょっとしなくても家出だね」


 こうなったら最後、どうせ次に続く言葉は「ご両親が心配している」「すぐに帰れ」に決まっている。だからお説教が始まる前に、わたしはさっさと言ってしまう。


「姉がいなくなったのはわたしのせいなんです」

「だからどうあっても君が見つけなくちゃならないと? でも話から察するに、恋人を亡くして傷心のあまり失踪した……。そうとしか思えないんだけど」

「それでも。失踪のきっかけはわたしが作ったようなものなので」

「……ふぅん?」


 わかったようなわからないような返事をして、陰陽師は欠けた茶碗を上がりかまちにそっと置く。

 ……あれ?

 不思議なことに、いつまでたってもお説教が始まらない。恐る恐る陰陽師の顔を窺うと、代わりに彼が発したのは、「責任感が強いんだね、君」という、どこか感心したような台詞で。


「責任感じゃなくて罪悪感です」

「自分がしてしまったことに罪悪感を覚える人は、たぶん性根がやさしいんだよ」

「はぁ……」


 なんでわたし、陰陽師になぐさめられてるんだろう?

 妙な方向に話が逸れそうだったので、わたしは慌てて話題を戻す。


「そ、それで、姉はここには来ていないんですよね?」

「ああ。それらしき人に心当たりはないな」

「わかりました。お時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」


 深々とお辞儀をしてきびすを返すと、肩越しに「どこに行くの?」と声がかかった。


「そ、それは……」


 手あたり次第、としか言いようがない。帝都で姉が立ち寄りそうな場所は、ここしかなかった。それが駄目になったのだから、後はしらみつぶしだ。

 といっても、手持ちのお金に限りはあるから、どこかに安い下宿を探して場合によっては仕事もしなくちゃならないし――。でもまぁ、くよくよしてても仕方がない。


「どうぞ、ご心配なく!」


 カラ元気をだして歩きだすと、


「待って!」


 なんと、足音をたてて陰陽師がわたしの後を追ってきたのだった!

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