家出娘、帝都で陰陽師の弟子になる

第1話 おんぼろ長屋のあやかし問答

「えぇっと、なになに? 『次の怪談にいて、思ふところを素直に述べよ』?」


 わたしはぎゅっと眉根まゆねを寄せる。

 手にした紙にはよくある怪談。


『人けの無い眞夜中、ひとりで寺に行くとあやかしが現れ、頭からごくんと丸呑みされてしまふ』のだという。


 こんな話に『思ふところを』だなんて、正直呆れてしまう。

 あやかしなんて現実にはいない。うさんくさいやからが「呪われている」「たたられている」と商売のダシに使っているだけ。

 いつもだったら「あほくさっ!」と思いきりコケにしてやるんだけど……今はひたすら我慢、我慢だ。


 時は大正十年、西洋歴では一九二一年の初夏の午後。

 わたし、来宮亜寿沙きのみやあずさ、数えで十七歳は、東京は上野の裏長屋の前にいた。

 大きな声じゃ言えないが、実はわたしは家出人。失踪した姉を捜して遠い北の街からはるばる帝都へやって来た。

 もちろん、姉のことは地元の巡査にすぐに捜査を依頼した。なのにいつまでたっても手がかりがない。


 おまけにわたしの父親は、大がつくほどの占い好き。

 姉の行方を求めては、妙なやからに飛んでもない額の金子きんすをばらまいてきた。

 まぁ、鉱山主やまぬしなんて商売は、運や景気に左右されがち。娘の居場所は言うに及ばず、「どの鉱山のどこを掘れば?」なんて質問を、何度重ねてきたことか。

 要はゼロか壱かの稼業だから、なにかにすがりつきたくなる気持ちもわからなくはないのだけれど……。


 もくもくとかれるこうのかおりや、屋敷に響く奇声や銅鑼どら、まったく当たりもしないのに、「これは願主の心掛けが悪いから」としれっとした顔でお金だけは要求してくる怪しい人たち――。

 そんなものに取り囲まれて育ったわたしは、人一倍、占い師や拝み屋に嫌悪を覚える人間になってしまった。


 今回だって父親任せにしておけないと、探偵さながら調査を開始。

 苦労の末に姉が帝都に向かったことが判明し、さらになぜか、上野に住まう拝み屋と多少のつながりがあったことも判明して、書き置きひとつで屋敷を飛び出してきた。


 華の帝都の拝み屋だもん、しこたまもうけて豪邸にでも住んでるんだろうなぁ……。

 そんなふうに想像しながら上京したのに、いざ目の前に現れたのはおんぼろ長屋。おまけに戸を開け放ってなにやら集会の最中と来た。

 男性ばかり、二十人はいるだろうか? おそるおそる近づいてみたら、三和土たたきから中を覗き込んでいたひとりにこの紙を渡されて今に至る、というわけだ。


 うーん、もしかして間が悪かった?

 どうしようかとその場に立ちつくしてしまったら、


「それでは皆、準備はいいかい?」


 長屋の奥から、役者もかくやと思われる澄んだ声がりんと響いた。


 え? 今の、拝み屋の声?

 人が多くてはっきり顔は見えないが、ずいぶん年が若そうだ。なんとなくだがおじいさんを想像していたわたしは一瞬あっけに取られてしまう。


「では、この怪談についてひとりずつ意見を言ってくれたまえ。そうだね、まずは目の前の君から」

「はっ」


 正座をしてかしこまっていた大きな風体ふうていの人が、ピンと背筋を伸ばして言う。


「え~、まあ、いわゆるこれは、典型的な怪談ですね」

「はい、では次のかた」

「……え?」


 まだ続きがあったのか、間の抜けた声が響くも「今ので十分だから」とやんわり止められてしまう。


「あの、寺にあやかしが出るとか、自分は妙だと思いますっ」


 お次の書生風しょせいふうの男性が胸を張って答えると、


「なぜかな?」


 静かな声が訊き返す。


「それは、あやかしや幽霊を鎮めるはずの坊さんがいる場所に、そういう不逞ふていやからが出没するのはおかしいということで……」

「では、寺の墓場に幽霊やあやかしが出ることもないと?」

「……うっ」

「次」


 え? え? なにこの問答?

 集会の意図がまったくわからないわたしは目をぱちくり。でも、そんな中で確かなことがただひとつ。それは、このままでは遅かれ早かれわたしの番が来てしまう、ということで……。

 怪談に対して言いたいことはあったけど、妙な集まりの一員にはなりたくない。ならばここはとりあえず、一時退散が吉だろう。

 抜き足差し足、そっと小砂利混じりの地面を踏んで回れ右したとき――。


「そこのお嬢さん、かわやかい?」

「は? 違うから!」


 背後から飛んできた拝み屋の声に反射的に答えてしまい、しまったと思ったときには時すでに遅し。大声を発して振り返ったわたしは、その場に居合わせた全員から一身に注目を浴びてしまった。


「厠ではない? では、なかなか順番が回ってこないので、しびれを切らして出ていこうとしたのかな?」

「そ、そういうわけでも……」

「なるほど、それでは先に発言権を与えるよ。西洋で言うところのレディーファーストだね」


 いやいや、ちゃんと人の話を聞きましょうよ!

 ぶんぶんと首を振ってみせたのに、声の主――人垣のむこうで姿が見えない拝み屋は、「どうぞ、遠慮なく」とまったく取り合おうとしてくれない。

 おまけに「見苦しい女だな」「さっさと答えろよ、後が詰まってんだから!」なんて聞こえよがしのつぶやき声や、「ただの小娘になにがわかる?」「どうせ答えられないから逃げ出そうとしたんだろ?」という心無い声も響いてきて――。


 ……たしかにわたしは一度だけ、現状に耐えきれず逃げだしたことがある。だから今でも女学校時代の友達には会いづらいし、地元の街でも肩身が狭い。

 でも。帝都に来てまで見ず知らずの人間にののしられる筋合いはない!

 そう思った瞬間カッと身体からだが熱くなり、わたしの負けん気に火が点いた。

 わかりましたよ、答えてやろうじゃないの!

 ごくんと唾を飲み込んで、声が裏返らないように注意して――


「そもそもですが、この話、いったい誰が目撃者なのでしょう?」


 弁論大会もかくやと思わせる、朗々とした声でわたしが言うと、あたりの空気が水を打ったように静まり返った。


「この紙には、『人けのない眞夜中、獨りで』と書かれています。ですが、もしあやかしが現れて食べられてしまったら、目撃者は皆無。どうしてこの話が伝わっているのか、わたくしは理解に苦しみます」


 そう、わたしが言いたかったのはまさにこれ。

 名付けて『不可能怪談ふかのうかいだん』!

 ちょっと気をつければこの手の話は山ほどある。

 たとえば、ある深い山の中には人とは思えぬ絶世の美女が住んでいる。だが、彼女をひと目見ようと山に入れば、道に迷って二度と帰れなくなってしまう、とか。

 この場合、今の怪談と同じく、「二度と帰れない山なのに、どうして美女がいると伝わっているのか?」という疑問にぶち当たる。

 どうよ? と胸を張るわたしだったが、しかし、束の間の静寂を断ち切るように、誰かが大きな声をあげる。


「はっ、なにを偉そうに! 怪談とは元来そういうものだ。理屈が通らないからこそ、怪談は『怪しげなるかたり』と書くのだ!」


 あーあ、面倒臭い人が来ちゃったよ……。


「お言葉ですが、今は読み書きの時間――まして、字解じかいの講義の時間ではありません」


 わたしはにっこり笑いながら、小刀こがたなめいた言葉で鋭く相手に切り返す。


「第一、『怪談とは理屈が通らないもの』として思考を止めてしまうのが気に入りません。そういったあきらめや先入観が両のまなこを曇らせるのでは?」

「いや、だが、骨や血があたりに残っていたのかもしれないぞ? それが証拠となって――」


 またもや別の誰かが声をあげたが、わたしは小さく首を振る。


「いいえ。この紙にはわざわざ『丸呑み』と書いてあります。『丸呑み』されて、骨や血が残るとでも?」

「しかし、それなら目撃者がいない怪談で『丸呑み』というのもおかしな話だろ⁉」

「ええ。ですから先に、理解に苦しむとわたしは言ったじゃあ、ありませんか!」


 ああああ……。きっとわたし、鼻もちならない嫌な女だって思われてるんだろうなあ。

 けどそれでもいい。わたしはお姉ちゃんのような、やさしくてかわいげのある女性ではないのだから。


「だ、だが! 力のある拝み屋なら、その場でなにが起こったのか、察するくらいできるはず!」


 さらに鼻息も荒く誰かが叫び、それをきっかけにあたりは騒然としはじめていた。

 いわく、「あやしげな気配がその場に残されていて……」とか、「口寄せで被害者を呼び寄せて……」とか。


 ふん、いくらだって噛みついてきなさいよ。返り討ちにしてやるから!

 赤い鼻緒の草履を踏みしめ、わたしはぐっと顔を上げる。

 屋敷に出入りする怪しげな拝み屋の鼻を明かす。それがわたしの日常だった。だからこんな問答なんてちゃんちゃらおかしい。知識での殴り合いなら、いくらだって受けて立つわ!


 ところが――。


「そこまで」


 低く、それでいてよく通る声に、殺気立ったあたりの空気が静まり返った。


「勝負あったようだね」


 とたんに方々であがる、「まさか!」「そんなっ!」という悲鳴じみた声。


維吹様いぶきさまは、こんな小娘を後継こうけいに決めるおつもりですか!」

「どうか今一度、お考え直しください!」


 後継? て、なに、それ……?

 わたしがうろたえていると、目の前の人垣がさっと割れて、奥からぞろりと着流しをまとったひとりの男が現れた。痩せぎすで肌の色が白く、年齢は二十代前半から半ばほど。黒くつやのある猫っ毛が、頭のところどころで跳ねている。

 ただ、だらしない格好をしていても、それがかえって艶っぽく見えるほどのかなりの美形で。くっきりとした二重まぶたに高い鼻梁びりょう、薄くしゅいたような形のいい唇に、角度によっては青く底光りして見える瞳が不思議な印象を与えている。


「さて、そうと決まった以上、無暗にここを訪れて助手にしてくれ、弟子は取らないのかと騒ぎ立てるのはやめていただきたい」


 きっぱりと言い放った彼に、しかし、この場に集まった人たちは納得がいかないようだ。互いの顔を見合わせたまま、まったく動こうとしない。


「しかし、こんなどこの馬の骨ともわからぬ娘が後継とは……!」

「そうだ! 弟子と飯炊き女を同等に見てもらっては困る!」


 すると、拝み屋はため息をひとつ。


「すぐにここから立ち去らなければどうなるか、わかっているよね?」


 その言葉が終わるか終わらないかのうち、あたりが急に暗くなり、空気がひんやり冷たくなった。


「な、なんだ?」

「いきなりお天道様が陰ったぞ?」


 誰もが気味悪そうに首をすくめた瞬間、今度は表通りへ続く板戸が、誰もいないのにするすると音もなく開いていき――。

「ひっ」と最初に息を呑んだのは誰なのか、続けて「ほうら、僕は忠告したからね」という拝み屋の低い声と共に、長屋の障子戸が一斉にガタガタと鳴りだして――。


「うわあ!」

「助けてくれぇ!」

「え⁉ こ、こっち来ないで、きゃあっ!」


 我先にと逃げだした人たちに、わたしはぶざまに突き飛ばされて尻もちをつく。おまけに下駄と草履が盛大に巻き上げた土ぼこりでむせてしまい、まさに踏んだり蹴ったりだ。


 それにしても、扉が勝手に開いたり鳴ったりする手妻てづまって、ちょっと工夫すれば簡単にできることなのになぁ。

 冷静に分析して苦笑い。

 そうして、あたりの土ぼこりが収まったころには、わたしと拝み屋だけが長屋の路地に残されていたのだった。

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