1221 前日の朝
念のため皆に聞いて回ったが、腕に抱えた柚子は誰のものでもなかった。それとなく客にも聞いてもらっても、心当たりがないらしい。
「伊予のお客さんが怪しいっちゃあ、怪しいんだきゃ、部屋から出てこんき」
「いらっしゃらないのではなく?」
「ぎゃあぎゃあ、とうるさいのはうるさいんやと」
なぁ、と九十九が顔を向ければ、零が呆れたように頷く。現場の有り様を見てきたようだ。
あとは、実家が送ってくれたという線があるが、香りのいい柚子は腐っているようにも見えない。
部屋の隅に物が転がることがたまにあった柚葉は、今回はずいぶん大きな忘れ物だなと思った。春に竹の子、夏は瓜、秋は柿、冬には蜜柑と餅が転がっていたこともある。周りの者は、気持ち悪がっていたけれど、いつも腹を空かせていた柚葉はこっそりと食べていた。
冬至は柚子風呂にしようとしていたことを忘れていた。従業員と宿泊客が人ではないことに悩み、柚葉の様子を気遣ってか九十九も零も口にしなくなったからだ。
「ちょうど明日は冬至ですし、私たちだけでも柚子風呂にしますか」
思い付きで言った柚葉を驚かせるぐらいに、九十九と零はぱっと顔を輝かせた。
「大風呂に入んにゃ! ぜってぇ楽しいに決まっのら! 支配人に頼んでくる!」
「大風呂ってお客様のお風呂でしょ、て……あーあ」
連れだって駆けていく二人に、柚葉の制止の言葉は間に合わなかった。
そして、一番に乗り気だったのは、南瓜で頬袋を作る支配人だ。
「厄除け風邪よけ健康第一! 柚子風呂でぽっかぽか。ついでに、部屋付の風呂にもドンと入れよっか」
どうやっているのか、れんこんとにんじんの煮物、松葉串に刺さった焼き銀杏、金柑の寒天固めを次々と腹に納める支配人は従業員からの提案を承諾し、ついでとばかりに話を広げた。頬袋の中身を腹に納めて、次に狙いを定めながら続ける。
「柚葉くんなら手慣れたものでしょ。四国は柚子の名産地だし」
まぁ、と言葉を濁す柚葉に、真面目な顔が向けられる。
「僕としては、あまぁい柚子湯も捨てがたい」
どきりとした気持ちを返してほしいぐらいの食い意地が炸裂した発言だ。
可笑しそうに笑う九十九と零に、柚葉も気が抜けてしまった。
横からのびてきた手が、支配人の前に置かれた空の皿を次々に取り上げていく。
「支配人がぜーんぶ平らげる前に、早く食べなよ」
新しくよそった皿にのびる手をぺちりと叩いた料理長の言葉が、朝餉の挨拶となった。
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