1218 宿泊客と従業員

 九十九つくもが言ったように、宿泊客の予約がどっと増えた。増えた理由を聞いてみれば、案外、簡単な理由らしい。


「冬至は一年で一番長い・・・・夜やけ」

「え、それだけですか」


 柚葉の驚きの声に、九十九は不思議そうな顔をする。まるで、そういうもんやろ、とばかりにれいに目配せをする。


「まぁ、何人かは料理長のご馳走を楽しみにしとるんやと」

「柚子風呂とかされないんですか?」


 柚葉の冬至の思い出と言えば、もっぱら湯に浮かべた黄色い果実だった。朝からかごいっぱいの柚子を洗い、香りが出るように岩に少しだけ擦りつける。外にでずっぱりの作業は体の芯まで冷えたが、客の綻んだ赤い頬を見るのは好きだった。

 ああ、そういうもんもあるなぁと顎に手をあてた九十九は、零と目だけで話をしたようだ。


「よし、柚葉。楽しそうやし、支配人に頼みに行こう」


 戸惑いの声は、零に手を引かれたことで飲み込んでしまう。

 カウンターの前を通りすぎようとしたら、新たな客が受付に陣取っていた。青白い顔で淡々とこなす受付係の影井かげいの顔が明らかにほっとする。目線の先は九十九だ。客に詫びを入れて、駆け寄ってくる。


「九十九さん、接客お願いできますか」


 あいよ、と請け負った九十九が前に出る。少年の前には相撲取りのような婦人がいた。着物の合わせの上に、紙風船がふくれたような顔が乗っている。並ぶ目も鼻も頬につぶされてしまいそうだ。怖く見えないのは、ふぐのように可愛らしい瞳が瞬いているからだろう。

 九十九は物怖じせずに進み出て、そこいらの大木よりも太い婦人の真っ正面に立つ。


「どうされたか」

「きょねんどおなずへやさとまりで。あさもばげままとおなずぐらいだすてほすい」


 婦人の話は濁音混じりで耳慣れない韻を踏み、柚葉はもちろん影井も全く聞き取れていない様子だった。

 唯一、何度も頷いているのは九十九だけだ。


「きがえはあるはんで、ねまぎはいね。ぢかぐにみやげやはあるが。まごよろこぶようなもがほすい」


 婦人の勢いに押されていると、後ろから新たな客がやって来た。今度は線の細い紳士だ。帽子と杖を脇にかかえて長い背を折るように礼をする。青白い顔で微笑まれても寒気しかしない。

 青白さなら負けていない影井が零に視線を送った。

 示される前から動いていた零は前に進み出て軽く膝を折る。着物姿なのに、洋装のような振る舞いを優雅にこなして、手で奥にある階段を案内する。

 気付けば、婦人も紳士も柚葉の前から居なくなっていた。我に返り、カウンターに引っ込んでいた影井に詰め寄る。


「宿泊帳を見せていただけますか」


 初めて、影井がきょとりとした幼子のような顔を見せた。怯えてもいない、かしこまってもいない、真ん丸な瞳がゆっくりと瞬きをする。


「ございません」


 存在事態を知らないような物言いも含めて、柚葉は衝撃を受けた。宿泊客の住所と名前を控えることは、国の法律で決まっている。もし、疫病が出た時、経路を辿るためとなっているからだ。


「今までの分、全部ですか? 問い合わされたら、どうするっていうんです」


 つい声を荒げてしまった柚葉に圧され、影井はぽろりと溢す。


「わたしが答えます」


 嘘をつくことを知らないような無垢な瞳だった。



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