1214 飛び入り客
腹が満たされ、よく寝たら、気にしていたことがちっぽけなものに思えてくる。人間って生きるために単純にできていると柚葉は体を伸ばした。
料理長の作ったニジマスのムニエルは絶品だった。
心配していた九十九や零の態度も変わった様子がない。気が抜けて仕事初日ということもあって、早々に床についたら、もう朝が来ていた。
朝といっても、冬の空には朝日の兆しは見えない。骨の髄まですり込まれた習慣に感心しつつ、かけていた着物を見上げた。
孔雀緑の着物と亜麻色の帯。
従業員は色味は違えど、皆、緑を身につけていた。九十九は若葉を思い起こさせる明るいもので、零は朝露と似た緑を帯びた白い着物に胡桃色の帯、帯揚げは深い緑だ。支配人は黒い半纏姿だったが、首元に光る石は翡翠に違いない。
擦り切れた寝間着をぬいで、真新しい袖に腕を通した。帯を締め、いつもより念入りに髪をまとめる。姿見がないので似合っているかはわからないが、心がくすぐったかった。こんなに上等な着物を身につけたのは五つの祝い以来だ。手で後れ髪がないことを確認して、階下に降りる。
一階につくと、すでに影井が受付で慎ましく立っていた。
柚葉がよく通る声で挨拶をすれば、気聞いとりづらい声で返される。
「本日のお客様はいらっしゃいますか」
「おひとり様だけ」
飛び入りでと自信のなさそうな声がついてくる。
「昨晩、遅くに来られたんですか」
問いを重ねる柚葉は急ぎで大変だっただろうと同情したら、どうも違うらしい。
「先程、来られました」
「え、先程って、朝に?」
信じられずに確認すれば、受付係は小さく頷いた。
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