1207 忘れん坊料理長

「まあ、いけない。味噌汁にお味噌忘れてたわ」


 それでは、ただの出汁では、と言いかけた口をきゅっと柚葉は結んだ。

 白い割烹着姿の妙齢の女はおっとりとしているが、そこはかとなく色気をかもし出していた。格式ある料亭の女将の方がよほど似合っているように見えるが、こうも忘れっぽい所を見ると仕事を任せるのは心配だ。

 付いてきた九十九は頭の後ろで手を組み、けらけらと笑っている。


「料理長の忘れん坊は相変わらずじゃなぁ」


 笑い事ではないと半眼を向けた柚葉は頬に手をあてた料理長に念を押す。


「支配人は、かぼちゃは忘れないようにって言われてました。準備されているでしょうか」

「それは大丈夫。夏に収穫したものを納屋に入れてるもの」

「……ねずみに噛られたりしていませんか」

「それも大丈夫。ねずみなんて来るわけないもの」


 のんびりとした口調のわりに、きっぱりと返されたことに柚葉は面食らった。

 九十九も口を挟まないことから、よっぽど隙のない納屋か、秀逸な罠が仕掛けられているのだろう。

 会話が途切れたことを見計らって九十九が訊ねる。


「なぁなぁ。今日の昼飯は何作ると?」

「今日はおうどんを……あら、麺を用意するの忘れてたわ。すいとんにしましょうか」


 腹をすかせた柚葉は何も聞かなかったことにした。



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