1203 ひょっと出女将

 はて、とわざとらしく支配人と名乗った男は首を傾げた。飛び跳ねた毛が動きに合わせて揺れる。


「そのような話は聞いていませんが」


 え、と柚葉は言葉を飲んだ。住んでいる所を追い出されたばかりで、生活する当ては不気味なホテルしかないというのに。

 柚葉の困り顔を不思議そうに見た支配人は無償髭を撫でた。何か言いたげに口を尖らし、まぁ、いいかと小さく呟く。


「ちょうど女将がほしいと思っていたところなんです」


 飛んできた思い付きに柚葉は自分の耳を疑った。はい?とすっとんきょうな声が出てしまう。


「そうですか、そうですか。お受けいただけますか」

「いやいやいやいや、そうではなくて! ひょっと出の得たいの知れない人に任せていいんですか」

「いやいやいやいや、ご謙遜を。扉を叩く強さも、開ける間の取り方も、声のかけ方も、ずいぶんと手慣れたものでした。この仕事、長いんでしょう」


 実家の手伝いを入れれば十年以上にはなるが、問題はそこではない。柚葉は出かけた言葉を寸前で止めた。


「お受けいただけますね?」


 尋ねる体を取っているが、確定したような物言いだ。

 唇を噛み締めた柚葉は、真っ直ぐに千早を見返した。きれいな笑顔に苛立ちを覚えてしまう。


「こんな醜女を揶揄わないでください」


 低い声を絞り出した柚葉は情けなくなった。今まで浴びてきた視線を思い出し、彼の視線からも逃げてしまう。

 すう、と顔を引き締めた千早は口端をかき、うん、と言葉を切る。


「問題ないでしょ」


 感情の読めない瞳が柚葉を見据える。


「世間は醜女と言うかもしれない。でも、それは僕の見方と一緒じゃあない」


 シャツにループタイ、その上に半纏を着たゆるい装いらしい砕けた口調はすり減った心に穏やかに降りそそぐ。


「ここの支配人がいいって言ってんだから、気にしなくていいよ」


 ね、と無精髭をはやした男は、にやりと笑って見せた。

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