1202 支配人

 長机の影には何もない。いよいよ扉だけしかないとわかった柚葉は覚悟を決めた。扉を叩いても返事はない。一定の間を取って声をかける。


「こちらで世話になるよう言われてきた、柚葉と申します。恐れ入りますが、中を拝見させていただきます」


 扉の奥にも聞こえるよう声を張るが、返事はなかった。唇を軽く噛み締めて扉を開く。

 中の惨状は頭が痛くなるようなものだった。

 うず高く積まれた書物の山は床を覆いつくし、足の踏み場はない。隙間を通れるのはネズミぐらいなものかと思えるほどに、布団に座布団、皿に箸、お盆、果ては蜜柑まで転がっている。

 一つの山が揺れている、と思ったのは錯覚で、綿入りを着た腕が海草のように振っていた。

 山をかき分け、たどり着いた柚葉は震える手を思いっきり引っ張った。案の定、潰されていた人物が転がり出てくる。


「ひっさしぶりの外の空気だ」


 からりと笑った顔に無精髭は気持ち良さそうに空気を吸った。めっきり散切り頭ばかりになったご時世で、肩まで延びた髪をゆるく結んでいる。癖のある毛先はすっとのびた鼻先をかすめるほどに長い。唯一の救いは繊細な顔立ちをしているので、むさ苦しく見えない所だ。

 柚葉は胡座をかく男から距離を取り、口を開く。


「失礼ですが、こちらのホテルの方でしょうか」


 申し遅れました、と男は襟を整えた。半纏を来ているので、申し訳程度にしか様にはならなかったが。それでも、粗野に見えないのは姿勢の取り方が美しいからだろう。無精髭をはやした口元を軽く上げる。


「支配人の千早ちはやです」

「……柚葉です。こちらで世話になるよう言付かりました」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 23:23 予定は変更される可能性があります

まほろばホテルには神々が住まふ #アドベントカレンダー2024 かこ @kac0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画