三十四話 綺麗に隠される方が、わたしは

 この一月と少しを一緒に過ごして分かったが、ルヴィの目は結構雄弁だ。主に怒りの方面で。今も長い前髪の隙間から『この馬鹿女!』と私を責め立ててきている。


 申し訳ない。申し訳ないとは思うのですが、咽せてしまったのは不可抗力なのでご容赦いただきたい。心配の声に応えてしまったのは反射なので、やはりこちらもご容赦願いたい。


 目だけで罵倒してくるルヴィに、私も目だけで謝罪する。……許されなかった!


「──本当に、お二人は仲がよろしいのですね。聖女様、もし兄上に迷惑をかけられてしまったらいつでも僕におっしゃってください」


 私たちの無言のやり取りを断ち切るように第三王子殿下が言った。並べられた言葉そのものは穏やかなのに、その声には隠しきれない苛立ちが滲んでいる。


 除け者にされた感があったから怒っているのだろうか。いや、単に私が大嫌いな聖女だからかもしれない。


 改めてちらりとルヴィを見る。私に迷惑をかけていないか、なんて言われたせいか、物凄い顔をしていた。表情筋大活躍である。


「いえ、むしろ私がお兄さんにご迷惑をかけている側と言いますか」

「何を曖昧な言い方をしている。堂々と言い切れ」

「私がご迷惑をおかけしている側です。お兄さんにはいつもお世話になっております!」


 元気一杯に宣言すると、ルヴィはよし、と言わんばかりに頷いた。対照的に、第三王子殿下は浮かべていた笑みを引き攣らせる。


 うむ、その反応になるのも良く分かる。だが事実なので受け入れて欲しい。当代聖女はあなたのお兄さんに迷惑をかけまくっています!


「ははは、ご冗談を。……ご冗談、ですよね?」

「残念だったな」

「残念ながら」


 二人揃って第三王子殿下の問いかけを否定すると、可哀想な彼の笑顔は更に引き攣った。


 それでも自身の目的を果たすためか、第三王子殿下は咳払い一つで気を取り直す。取り直し切れていないのはご愛嬌だ。


「…………そうだ、聖女様。今日は貴女に会っていただきたい者がいるのです。お疲れのご様子だったのでまた後ほどと思っていたのですが、こうしてお話が出来ているのも神のお導き。是非ともお目通りを願いたく」


 突如出てきた神という単語につい反発したくなる。その小さな反抗心をすぐ抑え込んで、ルヴィを窺う。彼は嘲るように鼻を鳴らした。


「そうなるように仕向けておきながらいけしゃあしゃあと。まぁ何も考えずに返事をしたこの阿呆も阿呆だがな」

「言い返せないので大人しく阿呆の称号を背負って進んでいこうと思います。それで、その会わせたい相手というのは」


 ここまで来てしまったら会いたくないと突っぱねることも出来ない。反聖女派の第三王子殿下が会わせたいという人物なのだから、同じく反聖女派なのだろうと覚悟しておく。


「少々お待ちを。ガスパール!」


 取り戻した笑顔でにこやかに告げて、第三王子殿下は会場の方へと声を投げる。


 それに応じて、あちら側の壁の影から一人の男性が出てきた。上等な革靴の音を敢えて聞かせるように響かせながら、私たちの前、第三王子殿下の隣に立つ。


 その赤い瞳と目が合った瞬間。




 何故だか背筋がぞくりと粟立った。




 見る限り、ごく普通の男性だ。歳は四十前後だろうか。神官長と同じかそれよりも下くらいに見える。容姿もある程度整ってはいるものの、ルヴィやラッセル殿下たちのような華やかさはどこにもない。私でなくとも翌日には忘れてしまうような、平凡な顔立ちだった。


 可もなく不可もなく。強いて言うのならくたびれたような雰囲気が気にかかる程度、のはずだ。


 だというのに、亜麻色の髪に隠れがちな赤く濁った瞳が私を絡めて離さない。

 彼の口が開く。


「お会いできて光栄です、聖女様。ガスパール・カアンと申します。どうぞお見知りおきを」

「……カアン家と言えば公爵家。聖女への目通りなど、早々に叶えられたはずだがな?」


 柔和に笑うガスパールを威嚇するかのように、ルヴィが口角を吊り上げた。しかし、ガスパールは一切動じない。


「他の貴族を待たせた状態では落ち着いてお話が出来ないではありませんか。なので親しくさせていただいているリオン殿下の御力を借りたのです」

「わざわざご苦労なことだな」


 嫌味をたっぷりと乗せたルヴィの言葉にも、ガスパールはにこにこと穏やかに微笑んだままだ。敵意も悪意も嫌悪も侮りも、一切感じられない。それは忌み子であるルヴィに対してだけではなく、私に対してもだった。


 第三王子殿下が連れてきたからと警戒しすぎただけで、別に彼は反聖女派というわけではないのだろうか。だとしても、どうして私の背を冷や汗が伝うのだろう。ただの敵意なら、悪意なら、嫌悪なら、侮りなら、どうとも思わないのに。


 動けないでいる私を、ふとガスパールが捉えた。またひやりと背が冷える。その感触で、ようやく分かった。私は、この瞳を知っているのだ。こんな人間を、知っているのだ。


 奥の奥の奥の奥、そのまた更に奥で敵意と悪意と嫌悪と侮りを飼っている瞳を。それら全てを、親しげな態度と偽りで上手に丁寧に包んだ人間を。

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