三十三話 私、わるい聖女じゃありませんよ
リオン。
って誰だっけ。
ルヴィが口にした名前を転がして、私は首を傾げた。
名前を聞いた覚えはある。ならそれに伴って何かしらの説明があったはずなのだが、それをてんで思い出せない。
改めて、静かにルヴィと睨み合っている人物に目を向ける。
まず、男性だ。年の頃は恐らくルヴィよりも下。夜会の為に飾り立てたのであろうその姿は、ルヴィやラッセル殿下とは違う魅力があった。
そして、ルヴィと同じ茶色の髪を、ルヴィとは違って後ろに撫で付けている。瞳はルヴィの左目と同じ森の色だ。目つきは凄まじく悪い。ルヴィを睨みつけていることを差し引いたとしても、幼い子供が見たらたぶん泣く。
……ルヴィの血縁っぽいことだけは分かった。
私が彼の見た目と、ふんわり浮かんできた記憶から推理を進めていると、ルヴィが前に進み出てきた。
「何か用か? 見ての通り、聖女サマはお食事中なんだが」
「その程度分かっている。僕は兄上に話しかけたんだ。何ら問題ないだろう?」
今ルヴィは完全に私に背を向けているので、その表情は何も分からない。それでも、彼の眉間の皺は深くなったのだろうなということは容易に想像がついた。
とりあえず、ルヴィの言葉に真実味を持たせるように私は軽食を口に運ぶ。美味しい。
どうすれば良いのか分からないなりにもぐもぐ味わっていると、ルヴィの弟さんの視線がこちらを向いた。私への嫌悪感を隠そうともしていない態度で、彼は鼻を鳴らす。
「忌み子たる貴方が当代聖女に近づいて、何を企んでいらっしゃるんだ?」
「こいつが俺と同等に何か企めるような女に見えるか? どこからどう見ても間抜け面だというのに」
「もご」
あんまりな言い草に喉まで出かかった文句を、私は慌てて飲み込んだ。
自分の弟のはずなのに、ルヴィが警戒している。いつも通りと言われればそうかもしれないが、それにしたって私を庇うような体勢を取るのは変だ。
せっかくマナーに守られているのだし、無闇に口を挟まない方が良い気がする。自ら会話に参入してしまってはマナーも何もないだろう。軽食を手にしている側から声をかける分には問題ないのだから。
そう結論を出した私は、大人しく一歩下がって彼らの話を聞くのに専念することにした。
「僕は貴方が彼女を利用しようとしているのではないかと言っているんだ。例えば……国家転覆とかに?」
「はっ。お前、今年でいくつになるんだ? 馬鹿げた夢を見るのは構わないが、現実と混同するのはいただけないな」
凄い、兄弟の会話だとは思えない。それとも私が知らないだけで、世の兄弟という者は日々こんな風に嫌味の応酬をしているのだろうか? ちょっと怖いのでそんなことはないということにしておこう。きっとこの二人が特殊なのだ。
「それで、お前がわざわざ話しかけに来るなんて何事だ? 明日は槍でも降るのか」
「敬愛する兄上と語らおうとすることの何が不思議なんだ?」
「よく言う」
ルヴィが弟を真似るように鼻を鳴らす。実の弟に嫌われているとしょげていた彼はどこにもいない。そんな態度を取っているから嫌われたのではないだろうか。もっと素直になれば良いのに。まぁ捻くれ者なルヴィには無理か。
なんて考えていると、何故か突然ルヴィに睨まれた。もしや考えていたことを悟られたか。ルヴィなら出来かねない。ぷいと顔を背けて知らぬ顔をする。
ひたすらに噛んでいた料理が、とうとう噛めなくなってしまった。いま私の口の中にあるのはお肉ではない。お肉だった何かだ。どうしようもないので飲み下す。
それにしても、ルヴィとこんなに仲が悪い弟さんは何者なのだろう。私に対する嫌悪と敵意だけはひしひしと伝わってくるのだが。この世界に来てからここまで負の感情を向けられたのは初めてかもしれない。みんな聖女というだけであれやこれやと世話を焼いて好意を向けてくれるから。
目を彷徨わせながら考えて、ふと違和感に気付いた。
ルヴィの弟。ということはつまり第三王子殿下ということでは? そして、第三王子殿下ということは。
ぱち、ぱちと大きくて見落としようもない欠片が、彼の正体を形作っていく。
じんわりと滲むように浮上してきた答えに、私は咽せた。
「ぅえほっ! げほごほ!」
「おい、何をしている。大丈夫か」
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……です。ごほっ」
そうだ、ルヴィの弟さんということは第三王子殿下ということで、第三王子殿下ということはつまり。
反聖女派だ。
第三王子殿下と反聖女派という情報の紐付けは出来ていたのに、どうして今まで思い出せなかったのだろう。恐らくルヴィと弟さんがバチバチしすぎていたからだ。そちらに気を取られていた。あと料理が美味しかった。
少し前屈みになった体を起こすと、ルヴィが苦虫を噛み潰したような顔で私を見下ろしていた。やはりさっきの失礼な考えを読み取られていたのだろうか。ルヴィは誰かが突然咳き込んだからと不快な顔をしたりはしない。
彼の視線の強さに首を傾げ、それからつい「あ」と声を漏らしてしまった。
今し方私を心配してくれた声は、二つあった気がする。何より、その心配に返事をしたことで自然と会話に参入してしまった気がする。
恐る恐る、弟さん──第三王子殿下の方を見る。目が合った。彼の唇が、笑みを模るように三日月を描く。
「お飲み物でもお持ちしましょうか、聖女様」
「……いいえ。お気遣いありがとうございます」
どうやら、マナーによって張られていた結界は砕けてしまったようだった。
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