三十二話 私のとくべつ
貴族たちの情報収集は順調なようで、バルコニーに出ている人はほとんどいなかった。だから、一見すると人がいないように見えるバルコニーもある。そこをいくつか覗いて、ようやく私はお目当ての人物を見つけた。勝手に声が跳ねて、あんなに疲労を訴えていたはずの体が軽くなる。
「あっ、ルヴィ。こんなところにいたんですね!」
緩く円を描いた手摺りが壁と合流する場所、つまりバルコニーの端っこの端っこにルヴィはいた。服装こそ夜会に相応しいものになっているが、髪型は普段と変わらない。彼は目元を隠すような前髪を垂らしたまま、気怠げに壁へ凭れかかっていた。
私に気づいたルヴィは大きく目を見開き、それから心底嫌そうに顔を歪めた。
「そんな嫌な顔します?」
「お前、日頃から相当だとは思っていたが、着飾ると余計に」
「見目の話ですか? もう良いですよぉ。神々しいくらいに美しいんでしょ。分かりました分かりました」
いつも以上に苦虫を噛み潰しまくった表情で連ねられかけた言葉を、私は遮る。
脳が勝手に反応してしまうほど言われ続けたのだ。もううんざりである。
遮られたルヴィはひょいと片眉だけ上げた。
「随分とおざなりだな」
「聞き飽きましたもん。今日だけで千年分は言われましたよ」
「大袈裟すぎる」
呆れられたが、事実なので仕方ない。唇を尖らせて、お皿に盛っていたお魚を口に運ぶ。美味しい。せっかく唇を尖らせていたのに、頬が緩んでしまった。
じとりとした目で私を見た後、ルヴィは溜息を吐いた。
「さっきまで死にそうな顔をしていたくせに、もうへらへら出来るのか」
「え、死にそうな顔してました? 頑張って微笑んでたつもりだったんですけど」
「微笑めてはいた。が、俺からすれば死んでいた。お前、途中から何も話を聞いていなかっただろう」
「何故バレた」
遠くから見るだけでそこまで看破してしまうなんて、流石ルヴィ。鋭い観察眼をお持ちだ。
「あれ、ていうかルヴィ、私のこと見てたんですか」
「聖女サマはお目立ちになるからな」
「えー、ずるーい! 私はルヴィを見つけられなくて寂しかったのに!」
壁に凭れなおして不遜に鼻を鳴らしたルヴィに、私はきゃんきゃんと文句を付ける。
一拍置いて、突如発生した炎が私を襲った。反射的に悲鳴を上げる。
「あっづぁ⁉ ちょっルヴィ、なんでいま燃やしたんですか⁉」
「何となくだ」
「理不尽!」
こちらを一瞥するルヴィは、全く後ろめたさを感じていなさそうだ。ただひたすらに面倒そうで、あとついでに不機嫌そう。いちおう自国の聖女を焼いたのだからもう少し何か感じて欲しい。
今の炎はルヴィの神術だ。私に向けられるのは特別製なので、熱さははっきりと伝えてくるくせに、髪や服を焦がしたり燃やしたりするようなことは絶対にない。これが才能の無駄遣いというやつであろう。
「ていうか、燃やすの珍しいですね。いっつも殴るかち割る千切る、もしくは抉るのどれかなのに」
「どれを選んでも髪型か化粧かが崩れるだろう」
「あれ、ルヴィが私のことを考えてくれているっづあ⁉」
余計なことを言ったせいでまた燃やされてしまった。危うくお皿を落とすところだった。
「心外だな。俺はいつだって聖女サマのことを考えている」
「この大嘘吐き」
そんなわけがない。私がルヴィのことを考える回数と時間の方が絶対に多いし長い。つまり私の勝ちである。
私の突っ込みを、ルヴィは肩を竦めて受け流した。
「お前をそこまで飾り立てたのはあのメイドだろう。人の努力を自分の些細な苛立ち一つで壊すほど俺は狭量じゃない」
「そんな思い遣りがあるのなら、些細な苛立ち一つで聖女を焼くのもよしてくれませんかね」
「それはそれ、これはこれだ」
検討の余地も無いらしい。即答だった。
涼しい風が吹く。月の前から雲が退いたらしい。会場の明かりがあまり届かないこの場に、月光が届いた。
ルヴィの瞳と髪が、銀の光に柔らかく照らし出される。その姿は何だか浮世離れしていて、まるでお伽噺に出てくる王子様のようだった。
彼に目を奪われながら口を開く。
「……それにしてもルヴィ、私を指して相当だと言っていましたが、あなたの方こそ相当ですよね。普段からかなり美人さんですが、盛装すると尚更です。王子様って感じがします」
「残念だったな、元々王子様だ」
「そうでした。にしてもルヴィ、どうせならもっと着飾れば良かったのに」
私がオリビアにしてもらったくらい、とは流石に言わないが、もうちょっと雰囲気を変えても良いと思うのだ。せっかくこんなに綺麗で美しいひとなのだから。
ルヴィが思い切り顔を歪めた。
「忌み子である俺が必要以上に着飾ってどうする」
「私だって同じですけど着飾ってますよ?」
「お前は少なくともここでは聖女だろうが。そもそも、乗り気じゃない夜会の為に凝るわけがないだろう面倒臭い」
「夜会に出席するように言われたとき、すんっごい顔してましたもんね」
あれはこの世のありとあらゆる苦いものを口に詰め込まれたような顔だった。まぁそんな表情をしている彼相手に、不安だから一緒に出て欲しいと駄々を捏ねたのは私なのだが。
私はルヴィの前に回りこんで、彼に手を伸ばした。
「でもせめて髪型くらい変えたら良かったのに。ほらこうやって耳にかけたりとか」
「ッ⁉」
いきなり断りなく髪を耳にかけてきた私に、ルヴィはびくりと体を跳ねさせる。燃やす余裕もないくらい驚いているらしい。
彼の反応など気にせず、私は呑気に言った。
「あ、やっぱりこっちの方が良いですよかっこいい」
「っおい、勝手に触るな」
「思ったんですけど、ルヴィって前髪長いですよね。邪魔じゃないんですか? よくかき上げてますし」
言いながら、今度は目元を隠しがちな前髪を上げる。私の手が冷たかったのだろう、額に触れたとき、ルヴィは僅かに肩を震わせた。
罵っても意味がないと思ったのか毒気を抜かれたのか諦めたのか、眉間に深く刻まれていた皺がゆるりと浅くなる。消えはしないのがルヴィらしいところだ。
「……こっちの方が都合が良いんだ、放っておけ」
「何にどう都合がいいんです。本読みづらいでしょうに」
「目が隠れがちになる」
「あー成程ぉ。私も伸ばした方が良いです?」
ルヴィの前髪を持ち上げたまま小首を傾げると、疲れ切った溜息を吐かれた。
「お前はこの国においては忌み子でも何でもない。隠す必要などないだろう」
「それはそうですね。……ふふっ」
「何を笑っている気色悪い」
思わず漏れてしまった笑みに、ルヴィが顔を歪める。それすら何だか心をくすぐって、私はまた笑った。
「ルヴィ、前髪伸ばしっぱなしにしてくださいね」
「言われずともそうするが。どういう意味だ」
「だって、こんなに近くで邪魔するものなくルヴィの目が見れるのは私だけ、なんて素敵じゃないですか? あなたの綺麗なこの瞳を、独り占めできるんですよ」
そんな身勝手な独占欲が醜悪なことくらいよく分かっている。
でも嬉しいのだ。彼の海と森の瞳を、正面からこうして見られるのが私だけだなんて。自分だけの特別など何一つとしてなかった私の、初めての特別だ。
ご機嫌にニコニコしている私を、本日三度目の炎が襲う。ルヴィから手が離れて、彼の髪がぱらりと落ちた。
「あっづぁ⁉ 無言で燃やさないで⁉」
「うるさい」
「えええええ!」
短く言って、ルヴィはそっぽを向いてしまう。その彼に、かけられる声があった。
「──随分、聖女様と親しいんだな、兄上」
そちらを見たルヴィが、目を見張った後、苦々しげに呟いた。
「……リオン」
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