三十一話 愛想を振りまくのだってらくじゃない

 疲れた。


 とにかく、疲れた。


 夜会が始まって三時間。ラッセル殿下と神官長に挟まれて微笑み続けている私は、色々と限界を迎えようとしていた。


 限界を迎えそうな部位その一、足。突っ立っているだけでこんなに辛くなるなんて知りたくなかった。


 その二、腰回り。オリビアが頑張って締めてくれたコルセットがじわじわと効いてきている。普段はコルセットのないドレスを身につけているから尚更だ。


 その三、これが一番きつい。表情筋。ルヴィのそれより柔軟でよく動くとはいえ、長時間の愛想笑いを想定した作りにはなっていないのだ。そろそろ顔が攣りそう。


 神官長みたいに真顔になってみようかとも考えたが、今までずっと笑顔だったのに急にスンッとなっては流石に怯えさせてしまうので諦めた。


 数えるのにも飽きてしまったのでもう何人目かも分からない貴族の話など、当然ほとんど耳に入ってこない。今は向けられる声に作業的に返事をしているような状態だ。礼儀作法の先生にしごかれまくったあの日々の成果が出ている。良かった頑張って。


 目の前の貴族にバレないよう、私はこっそりと視線を巡らせた。


 広い会場の中、美しく着飾った男女が思い思いの場所でグラス片手に談笑している。ルヴィの姿はどこにもなかった。いくつかあるバルコニーのどこかにいるのかもしれない。


 ずっと右耳から左耳へと通り過ぎていた貴族の言葉が、ふと頭に引っ掛かった。


「──それにしても、聖女様は本当にお美しい。神々しさすら感じます」

「そう称えていただくほどのものでは」


 これで綺麗だの美しいだのと見目を褒められるのは何度目だろうか。嫌というほど聞かされたせいで、脳が反射的に単語を拾ってしまった。ピンと来ないことを褒め言葉として並べ立てられても何一つとして喜べないというのに。


 既に瀕死の表情筋に鞭打って笑みを深くしながら貴族の相手を続けていると、神官長が良い具合に助け船を出してくれた。欲を言うならもっと早く助けて欲しかったけど。


「そういえば聖女。今日は緊張のせいで何も口に出来ていないのではありませんでしたか」

「おぉ、そうだったのですか。聖女様には初の夜会ですからな、緊張もなさるでしょう。長々と話に付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした」

「いいえ、あなたのような方とお話が出来て光栄でした」


 満足げに頭を下げた貴族が離れていくのにつられるように、自分の番を待っていた人々も去って行った。決して張り上げているわけではないのに、水面に広がる波紋のように良く通る神官長の声のお陰である。


 それでもまだ油断せずに顔を微笑みの形に引き攣らせながら、私はラッセル殿下に問うた。


「貴族さんたちの挨拶、これで終わりで良いですか?」

「うーん、そうだね。……うん、上級貴族の挨拶は大体終わったからね、良いんじゃないかな」

「うあぁ~」


 ラッセル殿下直々のお許しに、肩から力が抜ける。ぷはぁ、と特に詰めてもいなかった息を吐いていると、苦笑された。


「あはは、お疲れだね。少し休憩した方がいい」

「……休憩している間にもわらわら来たりしませんか」


 今は神官長効果で取り囲まれてはいないが、話しかけたそうにちらちらこちらを見ている人が結構いるのだ。もうしばらくしたらまた表情筋を酷使しなければいけない予感がする。嫌だ。閉店したい。


「あのテーブルから軽食を取ってくると良いよ。軽食を持っている相手に自分から話しかけることはマナー違反になっているから」

「また出ましたね上流階級特有の謎ルール。先生も言っていましたけど、何故です?」


 主賓は後から来るべきだとか下級貴族は先に会場にて上級貴族たちを待たねばならないだとか。誰が考えたんだこんなの。


 眉を寄せていると、神官長が静かに説明してくれた。


「食事中の方を邪魔してはなりませんから。ごく当たり前の話です」

「そうそう、親しい存在であるならば、軽食を持っている方から声をかけるだろうしね」

「あー、成程ぉ」


 確かにそう言われてみればそうだ。一応ちゃんとした理由があったらしい。じゃあ他の謎ルールにも何かあるのだろうか。


 ちょっと気になったが、それより三時間も頑張り続けた健気な表情筋の方が今は大事だった。別にお腹など空いていないが、休憩のために軽食を取ってこよう。


「ではお言葉に甘えて行ってきます」

「うん、行っておいで」


 ラッセル殿下の声に見送られながら、私はぎしぎしと軽食が並べられたテーブルに近づく。乗せられた料理たちはどれも美味しそうで、そして手を付けられた形跡がなかった。勿体ないが、貴族たちにとって夜会とは情報収集の場であるらしいから、食べている暇などないのだと思う。


 品があって淑やかで、それでいて獲物を狙っているかのような視線たちを無視しつつ、料理を真っ白なお皿に取っていく。あ、お肉美味しい。


 無事に食料を確保した私は、くるりと軽く周囲を見回した。シャンデリアが光を散らす会場の中、人々がお喋りを楽しんでいる。煌びやかなその光景は、まるでお伽噺の中に迷い込んだかのようだった。


 そして、やはりその中にルヴィの姿はなかった。

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