三十話 好きになるひとなんていない
少し足が遅くなった私に合わせて速度を緩めながら、第一王子殿下が笑みを含んだ声で言った。
「公の場に姿を見せたこれからは、婚姻を申し込まれることも多くなると思うよ。頑張って」
「凄く他人事」
完全に面白がっている彼に、私は唇を尖らせる。結婚などどうせ出来ないのだから、申し込まれたってどうしようもない。
もしそうなったら神官長辺りが何とかしてくれるだろうか。彼は今のところこの世界で一番信用できる大人だ。ずっと私に親切にしてくれているし、なによりあのルヴィが懐いている。そのルヴィはこの件ではあまり頼りにならなさそうだ。
そこまで考えて、はたと気付いた。
「あれ、聖女って結婚できるんですか?」
「この国ではね。誰かと交わった程度で神に与えられた力が消えるわけもないから」
「ほえー」
見た目のことと同じでいまいちピンと来ない。曖昧な返事だけしておいた。この場にルヴィがいたら、恐らく間抜け面とか何とか罵倒されている。
いくらルヴィの兄でも、流石に第一王子殿下が罵倒してくることはなかった。が、代わりに苦笑いをされる。
「よく分からないって顔だね」
「あはは。まぁでもどうせ結婚なんて出来ないので、分かる必要もないかと」
「おや。……もしや、元の世界に思い人でも残してきたのかな?」
へらへらと言えば、少しだけ第一王子殿下の声音が低くなった。探るような口調に、私は首を振る。
「いいえ。それなら出来ないではなくしませんと言いますよ」
「それもそうだね。では何故?」
「色々ありますが……まず私を好くような奇特な人間はいないでしょう」
実際に来たらどうしようなどとぐだぐだ考えたが、結局のところ、婚姻の申し込み云々は第一王子殿下の見込み違いだと思う。たとえ聖女という立場があったとしても、私などと生涯を共にしたい人はいないと思うのだ。
そう口にすれば、第一王子殿下はゆったりと首を傾げた。
「そんなことはないと思うけれど。聖女であるということを抜きにしても、きみは美しいから」
「……それは、もうこの国の価値観ではそうなのだろうなと納得することにしますが」
私には理解しにくい価値観でも、郷に入っては郷に従えである。何かちょっと違う気がするが。
吐息混じりに言葉を続ける。
「まぁ万が一、いえ億が一私を好いてくださる方が現れたとしても結婚など出来ませんし、考えても詮無きことです」
「頑なだねぇ。他の理由をお聞きしても?」
第一王子殿下のわざとらしく恭しい問いかけに、私は曖昧な笑みを浮かべた。
「何というか、誰かと共に在る未来を想像できません。そんな想像をしていたのは随分昔の話ですから、感覚を忘れてしまいました。何より」
「何より?」
「どうせ、元の世界に帰らなければなりませんから」
苦笑しながら告げれば、第一王子殿下の足が止まった。つられて私も立ち止まる。そっと覗きこんでみると、彼は今度こそ明確に困った顔をしていた。
それがいつもの笑顔のような、ただ浮かべられただけの表情ではない気がして、目を細める。
「どうかしましたか?」
「……ううん。何にもないよ。それより、そろそろ僕の名前は覚えてくれたかな」
私の問いかけをさらりと流し、彼はくるりと話を変えてしまった。私と同じくらい強引な変え方のはずなのに、第一王子殿下のやり方のほうがいくぶん自然に思えるのは何故なのだろう。話術が巧みだからだろうか。
とにもかくにも、痛いところを突かれた私は彼の困った顔の理由をこれ以上聞くことが出来なかった。再び歩き出した彼について前へ進みながら、視線を斜め上に向ける。
「えーっと、ですねぇ」
「聖女たるきみがルヴィだけを名前で呼んでいるというのは少々外聞が悪かったりするのだけれど」
「……ルヴィの名前は覚えているのに自分だけ忘れられているのが気に食わないだけでは」
「それもあるね。さ、聖女」
私のじっとりとした突っ込みを軽やかに肯定して、第一王子殿下はにこやかに急かしてきた。これはもう答えざるを得ない。
「あー、えっとぉ。ラッ……セル殿下、ですよね?」
「あやふやだね」
「今日ルヴィにも同じことを言われました」
これでもルヴィに問われたときよりは滑らかに答えられているのだ。そして一月前からしてみれば大幅に成長しているのだ。感じ取って欲しい。
……そういえば、ルヴィはもう会場についているのだろうか。ついているのだとして、どこにいるのだろう。嫌なことを言われていなければ良いとは思うが、それはきっと難しい。せめて、なるべく傷つけられることのない場所にいて欲しい。
目の前の人ではなくその弟さんへと逸れた意識を、不服そうな声が引き戻した。
「ルヴィの名前はあっさりと覚えたくせに」
「運命ってことにしといてください」
ルヴィには即座に拒否された言葉を返す。さてお兄さんはどんな反応をするのかなと待っていれば、なんか吹き出された。
「ふっ、ははは。運命、運命か、いいね」
「どの辺りがあなたのツボを刺激したのか、私にはさっぱりです」
ルヴィといい彼といい、王子たちは良く笑う。良いことだとは思うのだが、ツボがいまいち分からないから困る。
くつくつと楽しそうに肩を揺らす彼が、尚も笑いながら言った。
「ふふふ、気にしないで。あぁほら、もう会場だよ。行こうか」
「えぇラッセル殿下」
久しぶりにきちんと名前を呼べば、ラッセル殿下は目を丸くした後、微笑んだ。
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