二十七話 夜会なんておおげさな

 眉間に皺を刻んだまま外を眺めていたルヴィが、ふいに目だけを動かして私を見た。


「──そういえばお前、いつまでもこんな所で遊んでいて良いのか。今日の夜会の準備は?」

「ふふん、オリビアなら大丈夫です!」

「他力本願にも程があるだろう」


 両手を腰に当て、無駄に胸を張って元気よく言う。何の感情も浮かんでいなかったルヴィの瞳が呆れに歪んだ。


 本当に自分でも他力本願だと思う。でもその通りなのだ。オリビアはとにかく優秀なので大抵のことは何とかしてくれる。


 呆れられても偉そうな態度を崩さない私をしばらく見詰めていたルヴィだったが、やがて一つ溜息を吐いた。


「あのな。今回はお前が主役なんだぞ、分かっているのか?」

「分かっていますよ」


 そう、今回の夜会は私が主役なのだ。国を救ってくださる聖女様をお披露目するだとかで。勘弁していただきたい、私はそんな大層なものじゃない。


 まだ疑わしそうな顔をしているルヴィに、私は自信たっぷりに笑ってみせた。


「優秀なオリビアがいる上、公の場での振る舞いを礼儀作法の先生からしっかりと習った私に死角はありません」


 あれは厳しい日々だった。誰もそこまで見てないでしょ、というところまで王城が手配してくれた先生に指摘されまくり冷たい視線を浴びせられまくった。あれは多分ルヴィの目より冷たい。物覚えはさして悪くないつもりだったが、実はそんなことは無かったのかもしれないと思わされた。


 思い返してちょっぴり涙ぐむ私に、ルヴィが問う。


「そうだお前、兄上の名前は覚えたのか?」


 ふと思い出したというような口調の質問に、私は硬直した。


 ぎしぎしと顎に手を当て、視線を斜め下に向ける。


「ラッ……セル……でん、か?」

「あやふやすぎる」


 ちゃんと答えを出したというのに、ルヴィの表情は微妙だった。


 その気持ちは分かる。分かるのだが、その上で私の成長を感じ取って欲しい。


「でもあってるでしょう? え、間違ってます?」


 少し不安になって尋ねれば、ルヴィは眉間の皺を深くした。


「あってる。だがいくら何でも覚えるのに時間をかけすぎだろう。夜会では貴族たちにうんざりするほど挨拶されるんだぞ」

「無理して覚えようとするくらいなら、教えられたことを意識する方が得策だと先生に言われました」


 いちおう夜会に出る貴族の一覧は見せてもらったのだが、誰一人として覚えられなかった。一時間頑張っても誰の顔と名前も一致しない私に、いつもは厳しい先生が慈悲深い顔をしていた。ごめんなさい、申し訳なく思っております。


 ルヴィがさっきよりも大きな溜息を吐いて前髪をかき上げた。


「頭痛がしてきた。まったく、こんな有り様のくせに何故俺の名前だけは最初から一度も忘れないんだ?」

「運命とかそういうことにしておきます?」

「やめろ気色悪い」

「気色悪いって言われた」


 しかも食い気味で。嫌がられるのは想定内だったが、その素早さは想定外だった。

 まぁ自分でも言っていてどうかと思ったのでいいのだが。


「ところでルヴィ。ルヴィも今日の夜会には出るんですよね? 準備はいかがですか」


 普段ならこういう行事には参加しないらしいルヴィなのだが、今回は自身も同行するということで出席が義務づけられてしまったのだ。あと初めての夜会で心細かったので私が駄々を捏ねた。


 腕を組んで、ルヴィはふんと鼻を鳴らす。


「お前と一緒にするな。俺は時間を把握しながら話をしている」

「流石ルヴィ」

「よって、用意を始めるべき時間が来たら容赦なく部屋に戻る」

「流石ルヴィ」


 私を置いていくことに何の躊躇いもない。実にルヴィらしい。


 堂々と宣言したルヴィに感心していると、ふと彼の声が低くなった。


「今日はリオンも参加する。気を付けろよ」

「りおん……?」


 突然出てきた名前に心当たりがなくて、首を傾げる。聞いた覚えがあるようなないようなないような。


 私の反応に、ルヴィの瞼が半分ほど下ろされる。


「反聖女派」

「あっ第三王子殿下!」


 そうだそうだ、リオンというのはルヴィの弟さんだ。私が会う可能性がある中で反聖女派筆頭の人。召喚されてからずっと接触がなかったのですっかり忘れていた。というか、第三王子殿下という肩書きとリオンという名前が結びつかなかった。反聖女派の第三王子殿下、のことは覚えている。神官長にも気を付けろと言われたし。


 そこまで考えて、私は元に戻した首をまた傾ける。


「第三王子殿下……リオン殿下? って反聖女派なんですよね。なのにどうして」

「お前に接触したいんじゃないか。普段は俺がいて近寄れなかったからな」

「もしかしてルヴィ、実の弟に怖がられてます?」

「嫌われている」

「嫌われている……」


 思わず反復すると、ルヴィが遠い目になった。忌避されることに慣れている彼でも、実の弟に嫌われるのは堪えるらしい。慰めるように肩を叩くと「やめろ」と普段より若干弱々しい声が返ってきた。


 それと同時に、とんとんと扉がノックされる。傷心中のルヴィの代わりに返事をすると、しずしずとオリビアが入ってきた。ルヴィの肩に手を置く私を見ると一瞬だけ動揺を露わにしていたが、すぐさま取り繕うとあの見事なカーテシーを披露してくれる。


「ご歓談中失礼いたします。夜会のお支度の時間となりましたので、聖女さまをお呼びしに参りました」

「もうそんな時間ですか? ほーらルヴィ、オリビアなら大丈夫だったでしょう?」

「お前のメイドが優秀なのは分かったが、それにしたって頼り切りになるな。瘴気祓いには連れて行けないんだぞ」

「努力しまーす。あだっ」


 お小言を適当に流したら殴られた。さっきまで落ち込んでいたくせに切り替えの早い人である。


 オリビアの方を見ると、彼女は目を見開いて固まっていた。毎晩毎晩ルヴィと戯れているときの話はしていたが、だからといって実際に現場を目撃したときの衝撃がなくなるというわけではないだろう。申し訳なさを感じないわけではないが、改善するつもりはないので慣れてもらうより他ない。


 とりあえず、この場での彼女の動揺をこれ以上大きなものにしないために、私はさっとルヴィから離れた。追撃を恐れたとも言う。


「お待たせしました。そろそろ行きましょう」

「は、はい聖女さま」


 戸惑うオリビアの背中を押しながら、肩越しにルヴィを振り返った。


「ルヴィ、ではまた今夜」

「あぁ、また今夜」

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