二十五話 かみさまへの捧げ物
ほとんど使われていない王城の一室で、白い歩兵の置き場を考えながら私は言った。
「そう言えばルヴィ。最近城下町が何やら活気づいているように思えますが、何かあるんですか?」
目の前には枡目が描かれた盤と、その上で睨み合う白と黒で色分けされた駒たち。そして盤が置かれた簡素な机を挟んだ向かいには、分厚い本を捲るルヴィがいた。
彼の長い睫毛が、窓から射し込む午後の光を受けて目元に影を落としている。数日前、聖女に同行しろと言われて死ぬほど嫌そうな顔をしていた人と同一人物だとは思えない。
本から目も上げないまま、ルヴィが口を開いた。
「当代聖女が召喚されたことがとうとう公になったからな。この城を中心に広がる王都で行われる祭りの用意だ」
「お祭りですか」
ルヴィの言葉を反復しながら、私は結局適当に駒を置く。考えれば考えるほど分からなくなってきたのだ。勘に頼るのも時には大切だと思う。
それなりに悩んだ私に反し、ルヴィは盤面をちらりと一瞥しただけで即座に自陣の黒い駒を前に進めた。もう少しくらい考えてから動かしてほしい。実力の差が分かっていても流石に虚しくなる。今やっているのがこの国で発展した盤上遊戯なうえ、私の師が彼であることまで分かっていても虚しくなる。
「……少しくらい手加減してくれても良いんですよ?」
「十手前で勝負を決めてやっても良かったんだぞ?」
「すみませんでした」
素直に謝った私に、ルヴィは鼻を鳴らした。
「ここまで手加減をしてやっている俺とやり合えないようでは、貴族の相手など夢のまた夢だぞ」
「いくら何でも言い過ぎでは。夢くらいでお願いします」
また鼻を鳴らされた。くそう。
ルヴィがこの盤上遊戯、神落としを教えてくれたのは、友人になってすぐくらいの頃だった。貴族の間でかなり人気の遊びで、あまり弱すぎると聖女でも馬鹿にされて舐められかねないのだとか。
かつての聖女が伝えた遊戯を元にしているから馴染みがあるだろうと言われたが、全然そんなことはなかった。どれだけ日の本の国で有名な遊戯を元にしていたとしても、時間の流れが『日の本の国から伝わった遊び』を『ゼーレリアで育った遊び』にしてしまうのだ。
神様だの聖女だの歩兵だのという駒の種類や強さ、関係性や進める方向などの基本的なことはすぐに覚えられたが、だからといって簡単にルヴィに勝てるわけがない。何より、神様を守るという内容があまりにも私に合わなさすぎる。
並べられた駒とにらめっこしながら、私は話を戻した。
「お祭りって神様に捧げるものでは?」
「聖女は神の愛し子だからな。民衆、というか俺たちにとっては神と同じくらい尊く崇めるべきものなんだよ」
「……ぅえー」
神様と並べられるのが嫌で、思いっきり顔を顰める。楽しくないと思って変えた話の先がまさか更に楽しくないことに繋がっているとは。
「たとえ聖女がそこまでの存在でないとしても、聖女を愛し力を授けたのが神なのだから、問題はないだろう」
「んー、まぁそういう言い方をすればそうですね」
腑に落ちないものを感じながらも、私はいちおう頷いた。まぁ捧げものなんて捧げる側の心一つだ。深く考えるのは止めよう。
「何だその不服そうな表情は。……民衆はただお祭り騒ぎがしたいだけだ。瘴気のことで最近は暗かったから余計にな。神に捧ぐだのなんだのと固いことを考えているような奴はほとんどいない」
「そうですかぁ」
盤上の聖女をつまんで、ルヴィの駒から引き離す。すぐに盤へと手を伸ばしたルヴィは、攻め入ってくれば良いのに駒を自陣に引いた。こういう一見よく分からない動きをされる度、思考をそちらに割かれる。それを隠すように言葉を紡ぐ。
「にしても、聖女ってなかなかえぐいですよね。いきなり連れ去られたかと思うと神と同等に崇められ勝手に期待されるとか」
相手の動きが分からないなりに、守るべき神様を遠ざけてみた。……ゼーレリアにいるという神は、ごく普通だった少女たちに責務を押しつけて何をしているのだろう。こんな風にどこかで守られているのだろうか。己の残滓をこの国に残して。
聖女を模した駒をこちらに差し向けながら、ルヴィが吐き捨てた。
「そうだな。だから俺は聖女が嫌いなんだ」
「意味が分かっていてもその言い方は傷つきます」
「改めよう。聖女制度が、そしてそれを疑うことなく当然だと受け入れている奴らが嫌いなんだ」
神様を守るために歩兵を割り込ませる。神様を取れるのは聖女だけ、聖女を取れるのは別の歩兵をいくつか重ねて強くした歩兵だけだ。そして聖女は歩兵を取ることは出来ない。だからこうやって膠着状態にしている間に歩兵を強くすれば。
「それこの国の人間ほとんどでは。まぁ何はともあれ命たちがいきいきとしているのは良いことですね」
少し余裕が出てきたのでうんうんと頷きながら駒を動かす。もしかしたら初めてルヴィに勝てるかもしれない。うきうきしてきた。好きにはなれない遊びでも勝てるのは嬉しい。
しかし現実はそう甘くはなかった。淡々とした声が告げる。
「チェックメイト」
「あーっ⁉」
神様が、盤面からぽいと弾き出されてしまった。
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