二十三話 いえ、二文字目まではおぼえてるんですよ?

 窓から射し込む昼の光が、王城の廊下を白く照らしている。行き交う人々は聖女のドレスを纏う私に気付くと、誰もがわざわざ足を止めて挨拶してくれた。


 最初の頃こそ戸惑ったが、召喚された日から一月も経てばいくら何でも慣れて、笑顔で応えながら進む。


 今日はこの道を通る人が少ない気がした。ここが一番使用率の高い廊下というわけではないし、そもそも同じ場所に向かおうと思っても、王城は広いのでいくつも選択肢がある。だから気にするようなことではないと言われればその通りでしかないのだが、何故だか気になってしまう。


 それは、きっと。


「聖女」

「あ、ルヴィ」


 聞き慣れた声に、くるりと振り返る。そこには普段よりも割り増しで不機嫌な顔をした友人がいた。


 彼がこの時間からこんな場所にいるなんて珍しい。いつもは自分の神具の影響を気にして私たちが最初に会った部屋や、私が忌み子だという話をした中庭のあの場所や、とにかく人目につかないような所にいるのに。


「どうかしたんですか?」


 問いかければ、ルヴィの眉間に元々刻まれていた皺が深くなった。彼はぼそりと苦々しげに呟く。


「……兄上に呼び出された」

「ルヴィもですか?」

「お前もか」


 目を丸くした私につられたのか、ルヴィも僅かに目を見張った。


 何を隠そう、私も彼の兄である第一王子殿下に呼ばれていたのだ。


 そうでなければ、既に午前中のお仕事を済ませて休憩中な私は、ルヴィのいる確率が一番高い中庭に向かっている。もしくは、余った時間で先んじて午後の仕事にかかっているところだ。


 何はともあれ、第一王子殿下の元に行くのが私一人じゃなくて良かった。


 ほっと胸を撫で下ろしていると、訝しげに覗きこまれた。


「おい、何をおかしな顔をしている」

「ルヴィってすぐおかしな顔とか間抜け面とか言いますよね。ルヴィも一緒だと分かって安心していただけですよ」

「実際に間抜け面ですぐおかしな顔をするから言われるんだろうが。……何だお前、兄上が嫌いなのか」

「別に嫌いという訳ではありませんが」


 ちょっと楽しげなルヴィに、私は言葉を濁す。きょろきょろと大した意味も無く周囲を見回してから小さく手招きすると、彼は素直に私の方へと体を傾けてくれた。それでも少しばかり遠かったので、肩に手をかけて耳元に口を寄せる。


「あのですね。その、お名前が、ですね……」

「名前が、ってお前まさか」

「そうです、お察しの通りです」


 流石はルヴィだ。事細かに説明する前に分かってくれた。鼓膜と心臓への被害を減らすために、私は彼の肩から手を離し、数歩分距離を取る。ルヴィが短く深く息を吸い込んだ。


「ッア、ハハハハハハハハ!」

「ルヴィって結構笑い上戸ですよね」


 予想通り身を反らして大爆笑し出すルヴィ。この一月で知ったが、彼はかなりよく笑うのだ。それを知らない人たちがドン引きしているが、ルヴィは意にも介さない。ケラケラと愉快そうに笑っている。


 思う存分笑ったルヴィは、目尻に浮かんだ涙を拭いながら言った。


「お前が人の名前を覚えるのが苦手なのは知っていたが、ここまでとはな。もう一月経っているんだぞ? ディークの名前は覚えられたくせに」

「そりゃ神官長は毎日会いますし、何よりルヴィがよく名前を出しますから」

「俺が彼奴の話ばかりしているというような言い方はやめろ、気色悪い」


 唇を尖らせた私に、ルヴィは心底嫌そうな顔をする。気色悪いも何も、実際そうなのだから仕方が無い。他の誰より神官長に懐いているくせに、素直じゃない人だ。


 それをそのまま言うと頭をかち割られるので黙っておく。代わりに話を戻した。


「で、ルヴィ。お兄さんの名前は」

「はっ。精々必死こいて思い出すんだな」

「酷い!」


 喉の奥でくつくつ笑うルヴィは、私の非難など一切気にせず歩き出してしまう。置いて行かれまいと私は小走りになった。やっぱりルヴィは足が長いので私より速いのだ。


 まだ笑みを含んだままの瞳でちらりと私を見下ろしたルヴィは、速度を合わせてくれた。


「ねぇルヴィ、第一王子殿下のご用事って何でしょうね」

「俺たちが親しくしていることへの苦言かもな」


 確かに揃って呼び出されるのならその可能性もある。第一王子殿下の顔を思い浮かべて、私はすぐさま独力での説得を諦めた。絶対に無理だ。口であの人に勝てるわけがない。


「……そのときは二人で説得しましょうね?」

「嫌だ面倒臭い。やるなら一人でやれ」


 即答である。しかもその後しっかり私を見て鼻を鳴らしやがった。


「冷たすぎません?」

「冗談だ。それはないから安心しろ」


 ないのはどれのことだろうか。私一人で第一王子殿下に立ち向かわせることだろうか。そもそも苦言を呈されることだろうか。


 考え込んでいる内に、第一王子殿下の部屋に着いた。とんとん、と扉を軽く叩いて声をかける。


「聖女です。入っても良いですか。ルヴィもいるんですけど」

「あぁ良いよ。入っておいで」


 扉越しに返ってきた声からは、彼がどんな用事で私たちを呼び出したのかを推察することは出来なかった。


 内心戦々恐々としながらも部屋に入る。部屋の主は、重厚な机の前に座って薄く微笑んでいた。

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