二十一話 怒りんぼのおともだち
長くて短い沈黙の後、ルヴィ殿下が徐に口を開いた。
「……俺は、この国の誰よりも聖女について調べ、考えてきた自負がある」
静かなその声を後押しするように、柔らかな風が吹く。ルヴィ殿下の長めの前髪がふわりとそよいで、彼の綺麗な瞳がよく見えた。
「だから、確かに昨日会ったときからお前の目の色には違和感を覚えてきた。その毛先だけが染まった髪にもな。だが。だがまさか当代聖女が俺と同じく忌み子だとは、思っていなかった」
紡ぐ内に、ルヴィ殿下の眉間の皺が深くなっていく。
どう見ても爆発寸前の彼に、私は返す言葉を持っていなかった。
たとえ聖女の力を持っていても、私が忌み子だという事実は揺るがない。それは、聖なる女に救いを求めたゼーレリアにとって酷い裏切りだろう。王族たるルヴィ殿下のみならず、この国に住まう人々すべてに怒る資格がある。勝手に期待をかけて勝手に喚び出したくせに、なんて詰るつもりは私にはなかった。
せめて彼には謝ろうと頭を下げかけた途端、ルヴィ殿下が舌打ちをする。それに続いた怒声は、私が想像していたものとは全く違った。
「こんな面倒な事実を、よりにもよって俺に打ち明けやがって……!」
「え」
「なに間抜け面をしている。
困惑する私などに構っている余裕は無いのか、ルヴィ殿下は忌々しげに顔を歪め、悪罵を連ねている。疑う余地も無く私に怒っているはずなのに、何故かその矛先が私に向かない。彼はずっと私ではなく地面へと毒突いていた。
ルヴィ殿下ルヴィ殿下、それ鉄で出来てるんだから殴らない方が良いと思いますよ。薔薇にも影響出ちゃうかもですよ。髪ぐしゃぐしゃにするのも止めた方が良いかと。
一人怒り狂う彼をじっと見守っていると、一周回って冷静になってきてしまった。
「えーっと、ルヴィ殿下」
「うるさい黙れ。俺は今お前への怒りでまともに話を出来る状態ではない」
「出来てると思いますけど。というか私に怒っているなら地面ではなく私に矛先を向ければ良いのでは」
「うるさい黙れ」
いえルヴィ殿下、うるさいじゃなくて。確かに私に怒れば良いとは言いましたが、別にそういう意味ではないのです。今あなたが地面に向けている怒りをこちらに向けてはどうでしょうという意味なのです。
よもやそんなことを言って更に怒らせるわけにもいかないので、私は素直に口を噤んだ。
それから数分ほど経って、ルヴィ殿下の怒りがようやく地面から私へと移動する。地面にあれだけ怒りをぶつけて疲れているだろうに、左右色違いの瞳に宿る炎はまだ燃え盛っていた。
「──他の奴には」
「はい?」
彼の目がこちらを捉えていなければ一人言かと勘違いしてしまうような声色に、私は首を傾げる。
彼はまた苛立たしげに舌打ちをして、それでも怒鳴らずに繰り返してくれた。
「他の奴には、話していないだろうな」
「あ、はい。話す必要ありませんし」
「じゃあ何故俺に話した……っ」
ルヴィ殿下が呻く。もう怒りを通り越して悲しそうですらある。
申し訳ないとは思うが、私とルヴィ殿下が似ていると思った一番の理由がそれだったのだから仕方ない。事の発端となった問いかけはルヴィ殿下が発したものなので、恨むなら自分を恨んで欲しい。
頭を抱えていたルヴィ殿下が、鋭く私を睨み据えた。
「お前、その事は絶対に隠せよ。誰にも言うな。良くも悪くも俺は聖女というものに理想を重ねていない。だからお前が忌み子だと聞いてもこうやって取り乱す程度で済んでいる。だが、他の奴らは」
途切れた彼の言葉を継ぐように、私は深く頷く。
「分かっています。私が忌み子だなんてこと、皆さんが知る必要はありません」
「その皆さんに俺も含んで欲しかった」
切実そうに言って、ルヴィ殿下は項垂れた。その姿勢のまま前髪をかき上げて、地面に刺さりそうな溜息を吐いている。どれだけ地面を虐めれば気が済むんですあなた。
地面と対話している彼には見えないだろうけど、私はへらりと笑った。
「あはは。次回にご期待ください」
「次回などあってたまるかっ! ……おい待て、まさか他にも何か隠しているのか?」
「聞きたいですか?」
「………………いや、いい。これ以上背負い込みたくない」
「良かったです」
弾かれたように顔を上げたルヴィ殿下が、水をずっと与えられなかった花のように萎れていく。
話さずに済んで良かった。お互いの為にも。まぁ、たとえ話せと言われても素直に語っていたかどうかは怪しいが。
アーチに背を預けたルヴィ殿下は、そのままずるずると座り込んでしまった。
「えっと、ルヴィ殿下」
「ルヴィで良い」
「へ?」
思ってもみなかったことを言われて、声がひっくり返る。睨まれてしまった。
「友人になるのだろう。ならそんな鬱陶しい敬称など必要ない」
「……もしかしてアーチで頭打ちました?」
そうとしか考えられない。今に至るまでずっと頑なだったのに、ここまで急変するなんて。強く頭を打つような音はしなかったが、打ち所が悪かったのだろうか。
半ば本気で心配していると、ルヴィ殿下の口角がぐいっと上がった。筋肉の動きは大差ないはずなのに、明らかに笑顔ではない表情が出来上がる。
「そうかそうか、俺に付き纏ってきていたのには別の理由があるんだな。そっちの方が理解しやすく面倒も無いからありがたい」
「違う違う違いますけど!」
不遜な態度で鼻を鳴らされて、私は大慌てで両手を振った。ドレスのことなど気にせず、彼の前にすとんとしゃがみ込む。
どうせ誰も聞いていないし、私が忌み子だという事実に比べれば大したことの無い話なのだけど、思わず片手を口元に添えてひそひそ囁いてしまう。
「あ、あんなに嫌がってたのに、何があったんですか?」
手の付け根で額を支えるような体勢で私を見たルヴィ殿下の瞼が、半分下ろされる。小さく開いた唇から漏れた吐息は、苛立ちよりも呆れを多く含んでいた。
「同類相哀れむ、だ。忌み子と聖女ならば見下され慈悲をかけられているようで腹立たしいが、忌み子と忌み子であるのなら話は別だ」
「難儀な人ですね」
「その難儀な人間に目を付けたのはお前だ。……お前も俺と同じ忌み子であるというのなら。傷の舐め合いにくらい、思い出作りにくらい、付き合ってやる」
ほとんど吐き捨てるように言ったくせに、その語尾は僅かに弱々しい。
「どうして急にちょっと自信失くすんですか」
「うるさい黙れ」
「本日三回目ですねっだぁ⁉ え、いま殴りましたね⁉」
照れ隠しのような低い言葉につい笑うと、目の前に星が散った。何でそんな即座に頭を攻撃してくるんですか。さっき私が頭を打ったかと聞いたからその意趣返しですか?
頭を押さえて悶える私に、ルヴィ殿下はいけしゃあしゃあと真顔で宣った。
「聖女と忌み子でしかなかった今までならばともかく、友人関係となるのならこの程度の
「これは戯れ合いになるんですか?」
「そうだぞ」
一切の躊躇いなくルヴィ殿下が頷く。そんなに堂々と肯定されるとそうなんだという気持ちになってしまう。
まだじんじんと鈍く痛む頭を押さえながら眉間に皺を刻んでいると、ルヴィ殿下の眉間にも皺が刻まれた。
「あれだけしつこかったくせに、案外喜ばないんだな」
「喜びより先に困惑と痛みが来ています。痛みが引いたらすっごい喜んでみせるので待っていてください」
「鬱陶しいからしなくて良い。殴っておいて正解だった」
「酷すぎる。……ねぇルヴィ?」
「何だ」
言われた通り、彼の名前をそのまま呼んでみる。特段不機嫌そうでも不快そうでもない声が返ってきた。その事実一つで、少しだけあった気恥ずかしさが吹き飛んでいく。
どうしようもなく、笑みが弾けてしまう。
「ふふ、えへへ。ルヴィ」
「だから何だ」
「ルヴィルヴィー」
「無駄に呼ぶな」
何の躊躇も無く私の頭をかち割ろうとしたのだから、気に入らないのなら今度もそうすれば良いのに、ルヴィはそうしなかった。
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