二十話 美しくて美しくてうらやましい色

 海と森の瞳が、じわりじわりと見開かれる。心から綺麗な瞳だと思う。いま必死に頭を働かせているのであろう彼には悪いけれど。あぁほんとうに、ほんとうにうらやましいいろ。


 切ないのか遣る瀬無いのか腹が立っているのか、自分でも名前を付けられない感情が、薄い笑顔になって零れ落ちる。まさかそれを契機にしたわけでもないだろうが、ルヴィ殿下の顔がぐしゃりと歪んだ。


「……随分と、下らない冗談だな。今謝るなら、金輪際近づいてこないことを条件に許してやる」

「私がそんな冗談を言うような女に見えるのですか?」

「それは」


 ルヴィ殿下が言葉に詰まる。そこまで最悪な女だと思われていたら、傷付くじゃ済まないのでホッとした。


 私が嘘や冗談を言ったわけではないと分かっても、簡単に受け入れることは出来ないらしい。ルヴィ殿下はまだ険しい顔をしている。


「お前は、神の愛し子だろう」

「そうですよ? だから私はここにいます。きっと私は歴代どころか、この先においても最も神の愛を受けた聖女でしょう。けれど、だからといって。あなたと同じように呼ばれないわけではないのです」


 絞り出すような声に、私は平然と答えた。忌み子も神の愛し子も、両立出来ない称号ではない。人は、自分が理解できないものに、自分と違うものに遭遇したとき、崇めるか忌避するかしかしないのだから。


 彼だって、生まれる場所や時代が違ったなら、神の愛し子として祭り上げられていたかもしれないのだ。ただ、生まれたのがたまたまこの時代のこの場だったから、そうはならなかっただけで。


 渦巻く感情のままに怒鳴ろうとしたのか、ルヴィ殿下の口が大きく開かれた。しかし、その口は何を発することもなくゆるゆると閉じられる。


 代わりに、彼は自身を抑制しようとするかのように眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。


 冷静になるのが早い。いや、冷静にはなっていないのだろうが、判断が的確だ。ルヴィ殿下がただ心底楽しそうに爆笑しているときはそっと去っていくだけだった人々も、錯乱しきった様子の彼が聖女を怒鳴りつけていては無視するわけにもいかないだろう。いくら何でも人が寄ってくる。そして、他人がいる場所でこんな話は出来ない。当代聖女が、彼と同じく忌み子だなんて話は。


 口を噤んでしまったルヴィ殿下を、私は苦笑しながら促す。


「ルヴィ殿下。さっきも言いましたが、早くここを離れましょう。皆さんの職務が滞ってしまうのは避けるべきです。どこか、行きたいところはありますか? いえ、人避けの神術がなくとも人目につかないような場所は、ありますか」

「……あぁ、ある。ついてこい」


 不自然に平坦な調子で言って、ルヴィ殿下は私に背を向けた。彼お得意の嫌味も皮肉も、何一つとして飛んでこない。それが彼の動揺を如実に表していて、言わなければ良かったかな、なんて思いが頭を掠めた。


 でも仕方ない。私がルヴィ殿下に付き纏う一番の理由はそれなのだ。それ以外を言ったり誤魔化したりしたら、きっとこの人はずっと私を近寄らせてくれない。会話くらいはしてくれるだろうが、神官長や第一王子殿下のように『親しい相手』の席には座らせてもらえない。それは、嫌だった。


 少し歩く速度を上げて、ルヴィ殿下の隣に並ぶ。彼の顔はほんの僅かに蒼褪めていた。


「顔色悪いですね」

「誰のせいだと思っている」

「私のせいですかね。……安心してください、聖女としての力をしっかり持っていることは神樹と神官長が保証してくれています。お役目はきちんと果たせますよ」

「俺はそんなことを気にしているわけではない」


 今まで以上にぶっきらぼうな声音で吐き捨てられた言葉に、私は目を丸くする。


「そんなこと呼ばわりでいいんですそれ」

「聖女が俺と似たような存在であった事実に比べれば些末事だろう」

「そう……ですね?」


 私が忌み子だとかそうでないとかよりも、お役目を果たせるか否かの方が大切な気がするが、ルヴィ殿下が言うのならそうなのかもしれないと思えてきてしまった。


 今のルヴィ殿下は、王城と神殿の間を行き来していた人たちのように早足だ。元々足が長い彼だから、気を抜くと置いて行かれそうになる。


 若干小走りになった私に気づいて、ルヴィ殿下は速度を緩めてくれた。


 そのまま隣り合って歩く。そうして辿り着いたのは王城の中庭、その隅だった。昨日、私が第一王子殿下とお茶をした東屋のような華やかさはない。別の場所では美しさを競うように咲き誇っている花たちも、ここではどこか遠慮しているようだった。


 静かに彩度を落とされたような世界の中、奥に設置された白い鉄製のアーチに巻き付いた薔薇だけが、深く鮮やかな赤色をしている。


「ここなら人避けの術が無くとも誰も来ない。無駄に広い中庭の隅な上、大抵の人間は俺がここを気に入っていると知っているからな。話をするなら、ここが一番だろう」


 アーチの前に立ったルヴィ殿下が、私を振り向いた。青と緑の目が、睨むように細められる。


「──それで? 聖女サマ。詳しいお話を伺いましょうか? 神に愛されし貴女のどこが忌み子だというのか、愚昧なるわたくしめにお教えくださいませ」

「はちゃめちゃに嫌味ですね」


 思わず突っ込んでしまった。どうしてここにつく前よりも威力を増しているのだ。


 まぁ、たとえ強がりだったとしてもこんなことを言う気力があるのなら大丈夫だろう。多少は衝撃から復活出来たようで何よりだ。時間とは偉大である。……勿論、時間があれば全てを解決出来るというわけでもないが。


 毛先を侵食する赤にちらりと目を落として、それから答える。


「目の色ですよ」


 ルヴィ殿下が息を呑む音が、不思議とはっきり聞こえた。彼の中に生まれた動揺が手に取るように分かって、私は苦笑する。だってその動揺は、つい昨日の私が抱いたものだ。


 でも、ルヴィ殿下の場合は全く予想も出来なかったわけではないだろう。


「不思議に思いませんでしたか? 日の本の国から召喚されたはずの、私の目に宿った色を。この濃い桃色の瞳を見て、この韓紅からくれないの瞳を見て、あなたは何も思いませんでしたか?」

「……」

「私はくにのことなど知りません。この国のことだって知りません。知りませんが、ねぇルヴィ殿下。少なくとも日の本の国に、こんな瞳の人間は生まれないんですよ」


 神の敵対者の象徴として迫害されるのか、あり得ない色彩として忌避されるのか。


 含まれた意味はそれぞれ微妙に異なるものの、お互い確かに『忌み子』だった。


 自分の声と言葉に、迷いも躊躇いも何もないのがおかしかった。あれだけ苦しんだのに、いま彼に平然と語れているのがおかしかった。


「だから、私もあなたと同じ忌み子なんです。もっとも、それを知ったのは生まれて随分経ってからですが」


 唇を引き結んでいたルヴィ殿下が、細く、長く息を吐いた。相変わらず不機嫌な表情の中に、複雑なものが混じっている。


「………………やたらと俺に付き纏ってきていたのはそういうことか。俺に自分の目の色を蔑むなと言ってきたのも」

「そうです。私は、あなたの色が本当に羨ましい」


 だって、あり得ない色ではないのだ。だって、命の象徴の色なのだ。これから始まる色、育む色、生み出す色なのだ。潰した花の色となど、比べるのも烏滸がましい。


 その美しい色が、静かに私を見つめていた。

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