十七話 へたっぴ笑顔とやわらかさ

 そんなこんなで神官長から許可を得た私は、早足に進むルヴィ殿下の周りをうろちょろしていた。ちなみに、うろちょろされているルヴィ殿下の顔は死んでいる。人の表情筋ってそこまで死ぬんだ、とつい感心してしまう程だ。


「ルヴィ殿下ルヴィ殿下、顔死にすぎじゃないですか?」

「誰のせいだと思っている」

「私のせいですかね」

「あぁそうだその通りだこの阿呆」

「昨日も似たようなやり取りをした覚えが」


 言えば、ルヴィ殿下が溜息を吐いた。これは昨日のやり取りを再現した方が良いのだろうか。猛烈に嫌がられそうだ。やめておこう。


 思い直して、私はふと振り返った。ついさっきルヴィ殿下と出てきた神殿が、朝より強くなった陽光に照らされている。王城が穢れのない真白い羽根だとすれば、神殿は穢れを知らない淑やかな銀砂のようだった。


 初めて王城を見たときにも息を呑まされたが、神殿も負けず劣らず美しい。


 目を細めると同時に、私たちを見送って銀砂の中へと戻っていった神官長の姿が頭を過ぎった。


「……神官長、ほんとに許可してくれたんでしょうか」

「はぁ? それを笠に着て纏わりついてきたくせに、今更そこを疑うのか」


 ぽつりと呟けば、ルヴィ殿下の表情筋が息を吹き返した。先程まで死亡していたとは思えないほどしっかりと主人の感情を表している。今この時の為に力を温存していたのだと言われても納得してしまいそうだ。


 そのくらい嫌な顔を向けられた私は、唇を尖らせた。


「だって、神官長見送ってくれるときすっごい顔してたじゃないですか。ほっぺ引き攣りまくってましたよ。後ろにぼんやりと禍々しい何かが見えてきてもおかしくはありませんでした」


 要するに、めちゃくちゃ怖かったのである。静かに佇んでいたはずなのに、圧迫感が凄まじかった。彼の標準装備である真顔もなかなかに迫力があるが、あの表情には敵わない。あれは見た子供全てを恐怖に叩き落とす顔だった。なんなら既に子供ではない私すらちょっと引いてしまった。どう考えても仲良くして良いよと許可をくれた人の顔ではなかった。


 私の訴えを聞いたルヴィ殿下の目が点になる。かなり間抜けだ。でも見目が非常に整っているので、滑稽さよりも可愛らしさの方が立つ。


 彼はしばしそのまま沈黙していたが、やがて思い切り吹き出した。


「ふはっ、は、はははははっ! はは、そうかっ、ははは、そうかそうか、そんなに怖かったか!」

「な、なんでいきなり大爆笑し始めるんですか。ルヴィ殿下も怖いです」

「ははははは、笑うなと言う方が無茶だっ。はははっ」


 ゼーレリアに連れてこられる前も含めて、ここまで盛大に笑う人を私は初めて見た。何かもう楽しそうで微笑ましいを通り越してドン引きしてしまう。


 ルヴィ殿下はそんな私が目に入っているのかいないのか、まだまだ笑い続けていた。目尻に涙まで浮かんでいるし、息も苦しそうだ。


 王城と神殿の間の道にいるので、何人かが通りかかったりするのだが、誰も助けてはくれない。ただ遠巻きに大爆笑するルヴィ殿下と困る私を見てはそっと去っていく。


 何故ですか、私を置いていかないでください。あなたの国の第二王子の頭が変になってしまったのですよ。いやでも変に正義感出した人が『聖女様に何をするー!』とかになっても困るからこれでいいのでしょうか。


 引いたりおろおろしたり困ったりを全てこなした私が虚無になりかけた頃、ルヴィ殿下の声量が落ち着き出した。茹でられた海老のように丸まっていた姿勢が徐々に元に戻る。


「ふっ、ふは、ははは。はぁ、……あー笑った笑った」

「あなたの身に一体何が」

「く、ふふ、聖女。面白いことを教えてやろう」

「はぁ」


 爆笑の名残に肩を震わせながら、ルヴィ殿下は心底楽しそうに言った。私としては状況がいまいち把握できていないので生返事を返すしかない。


 とっておきの秘密を打ち明けるような、悪戯っぽい表情でルヴィ殿下は、


「あれはな、彼奴なりの笑顔だよ」


 と教えてくれた。


 時が止まったかのような錯覚を覚えた。優しい風に揺れ、さわさわとお喋りをしていた木々が口を噤み、花々もその美しさを誇るのをやめてひっそりと息を詰める。


 そっかぁ、そうだったんだ。あれ笑顔だったんだぁ。


「…………へっったくそ過ぎません⁉」

「だっはははははははは‼」


 思わず力一杯突っ込むと、またルヴィ殿下の大爆笑が始まった。あんなに死んでいた表情筋くんが、仕事を与えられてとても生き生きしている。


 それは良いのだが、私はあの恐ろしい顔が神官長の精一杯の笑顔だったという事実を受け止め切れていない。誰か一緒に背負って。


「笑顔を作ろうと頑張らない方が平和なのでは」

「あーはははははは! 言ってやるな言ってやるな、俺もそう思うがな、本人は頑張っているんだははははは」

「庇うなら笑わずに庇ってあげてくれません?」


ルヴィ殿下、もうお顔が真っ赤ですけど手心とかありませんか? ありませんか。そうですか、ルヴィ殿下ですもんね。


 ようやっと落ち着いた彼は、ひぃひぃ言いながら目尻に浮かんだ涙を拭った。


「はー、そうだよな。そうだ。すっかり見慣れたから忘れていたが、彼奴の笑顔は悪魔の顔だった」

「悪魔は言いすぎだと思います」

「本当に?」

「……この世界、黙秘権ってあります?」

「今の俺は機嫌が良いからな。認めてやろう」


 言葉通り機嫌良さげに肩を揺らして、ルヴィ殿下がくつくつと喉を鳴らす。


 その心の底から楽しげな姿に、私は小さく微笑みながら吐息を吐いた。


「ルヴィ殿下と神官長って仲良しなんですね」

「は? 俺は昨日今日だけで何回誰それと仲が良いと言われればいいんだ」


 ルヴィ殿下の顔がくしゃりと歪む。しかし、上機嫌だからか罵りを口にすることはなかった。溜息一つで済ませてくれる。


「性根が真っ直ぐで真面目な奴だからな。周囲に疎まれ孤立する子供を、たとえ忌み子であったとしても放ってはおけなかったんだろう。昔からぐちぐちぐちぐちと小言を言って、うざったいほどに構ってきた」


 語る口調は相変わらず嫌みっぽかったが、彼の声はほんのりと柔らかかった。


 生まれた時から忌み子として扱われてきたルヴィ殿下にとって、神官長はほとんど唯一の信用できる大人だったのだろう。


 ルヴィ殿下の声音に宿った僅かな柔らかさが、何だか少しだけ神官長に似ている気がして、私はそっと頬を緩めた。

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