十六話 色々たいへんなんですね

 ぎゃいぎゃいやっていると、神官長が凛とした声を上げた。


「第二王子殿下、彼女はあなたが研究なさっている聖女なのですから、無闇に拒絶する必要などないでしょう」

「ディークお前、裏切るのか」


 思いもよらなかった方向から刺されたルヴィ殿下が変なことを言っている。今まではともかく、今日この場での神官長は、一度たりともルヴィ殿下の味方をしていなかった。むしろ私と彼が仲良しだと称していたので、敵だとすら言える。自分で考えててちょっと悲しくなってきた。


 その事実には気付かないまま、ルヴィ殿下は私が神樹に花を咲かせたと聞かされたときと似たような顔をしている。神官長に味方してもらえなかったの、私が歴代最優の聖女であることと同じくらい衝撃だったんですね……


 呆然とした声を向けられた神官長は、相変わらずの真顔で答えた。


「裏切るも何も、私は神殿に属する人間ですから。元より聖女の側です」

「くそっ、聖女め!」

「私のせいなんですかこれ」


 八つ当たりにも程があるのでは。


 私の突っ込みなど完全に無視してルヴィ殿下は神官長を睨みつけた。


「そもそもディーク、お前聖女の言を聞いていたか? この女、忌み子である俺を捕まえてお友達候補だなんだとほざいていたんだぞ」

「えぇ、勿論聞いておりましたとも」


 神官長は彼に睨まれるのになれているようで、平然と頷く。まぁそうですよね、さっき睨み合いながら言い合ってましたもんね。


 しかしその仕草が更にルヴィ殿下の感情を逆なでしたらしく、彼は苛立たしげにトントンと爪先で床を鳴らした。綺麗に磨かれた石が敷き詰められた道の上で話をしているから、なかなか良い音がする。


「なら神官長として咎めたらどうだ。お前の仕事は聖女不在の神殿を取り纏めることだけではないだろう」

「どこに咎めるべき理由があるのでしょうか」

「なっ……!」


 表情を一切変えずにそう問うた神官長に、ルヴィ殿下は絶句する。ついでに床も鳴り止んだ。


「お前、本気で言っているのか? もしそうなら父上に神官長の交代を進言した方が良いかもしれないな」

「言い過ぎじゃないですかそれは。そんなに嫌がられるといくら何でも傷つきますよ?」


 きつすぎる物言いに若干冗談めかしながらも割って入ると、今度は私が鋭く睨みつけられる。彼の中で怒りが蓄積されているせいなのか、その色違いの視線は、先程まで神官長に向けていたものよりも厳しかった。


「昨日も言っただろう。聖女であるお前と忌み子である俺が友人になることなど出来はしないと」

「言われましたけど。だからってそこまで言うことないじゃないですか。神官長交代とか」

「聖女はこの国を救う存在だぞ。忌み子と親しくしていては国民を不安にさせる。それが分かりきっているのに止めないような神官長は責務を果たしているとは言えん」

「でも」


 彼が言うことは一言一句その通りで、この国のことをほとんど知らない私でさえいつものように呑気なことを口に出来なくなる。それでも何か反論したくて眉間に皺を寄せていると、私をちらりと見下ろした彼が溜息交じりに吐いた。


「そもそも、忌み子と親しくする聖女など、反聖女派に餌を撒くようなものだろう」

「反聖女派?」


 何か聞き捨てならない単語が聞こえた気がする。反論したかったことも忘れてきょとんとその言葉を繰り返すと、彼の目に煩わしげな光が宿った。


「異世界から連れてきた得体の知れない女に国の命運を背負わせるなど我慢ならないと喚くだけの無能共のことだ」

「言葉が強い。でもそれってルヴィ殿下の考えとちょっと重なってませんか? あなたも聖女制度はお嫌いなんでしょう」

「俺が反聖女派なら、こうやって拒絶などせず懐に入り籠絡し、お前を傀儡にでもするだろうな」

「あ、そういう。なら全然違いますね、すみません」


 今までも充分以上に苦々しげだったルヴィ殿下の顔つきが更に険しくなった。怒鳴り声を上げていないのが不思議なくらいに怒っている。


 死んでしまった先代聖女の話を知って研究を始めた彼と、聖女を傀儡にしようとする反聖女派とを一緒にしては怒られるのも当然だ。申し訳ない。


 ぺこりと頭を下げて謝っていると、神官長が補足してくれた。


「反聖女派というのは聖女に責を負わせることを悪としているわけではなく、聖女が特殊な権力を持つことを悪としているのですよ」

「持ちたくて持ったわけじゃないのに。そもそもなんで聖女に権力持たせちゃったんですか? 普通に他国の賓客扱いじゃ駄目だったんでしょうか」

「それは、」


 神官長の言葉が途切れた。無表情が崩れて、下から後ろめたげな色が滲み出る。何も言わずに顔を背けてしまった彼の代わりに、ルヴィ殿下が口を開いた。


「反聖女派は『聖女を排除する』ことを目的としている。生まれ持った権力に胡座をかいている彼奴らにとって、聖女なんざ目の上のたんこぶでしかないからな。かといって殺したりもしない。今のところ聖女の代わりなど誰にも出来ないからだ」

「うわぁ」


 つくづく業の深い国である。異界から強制的に連れてきた少女に重荷と責を負わせ、それを肩代わりするつもりもないのに疎み、排除しようと目論む。……業が深いのは、国ではなく人なのかもしれないが。


「そういうわけだ。聖女の仕事を果たすだけの傀儡になりたくなければ、反聖女派には近づくなよ」

「そんなことを言われても」


 真面目な顔でルヴィ殿下は忠告してくれるが、そもそも誰が反聖女派なのか分からないのだから、気を付けようがない。


 それを察してくれたのか、彼は続けて言った。


「お前が会う確率の高い人間の中での反聖女派筆頭はリオンだ」

「りおん……」


 誰だろう。全くもって分からない。


 合う確率が高いと言うことは王城か神殿の人だろう。いや、神殿の人が聖女を疎むとは考えにくいので王城の人か。

 ……で、誰だろう。そこまでの予測はつけられたが、しかし誰だか分からない。


 ルヴィ殿下が至極当然のように名を口にしたので彼にも近しい人のようだ。が、やっぱり分からない。


 私が考えすぎて体ごと傾いでいると、神官長が教えてくれた。


「第三王子殿下のことですよ」

「あー、昨日お名前だけうっすら聞いた、ような……?」


 眉間に皺を寄せながら考える。うん、お名前を聞いただけで会ったことはない……はず。たぶん恐らくあるいはきっと。


 謁見の間には王様と王妃様と第一王子殿下の三人しかいなかったし、王城を案内してもらっている間に会っていたら、何かもう少し印象が残っているはずだ。名前も顔も覚えられないのだから自信はないけど。


 ルヴィ殿下が不機嫌に腕を組む。


「お前との顔合わせには俺と同じように出席していないだろうからな。ピンとこなくて当然だ。俺と同じ髪色で、緑の瞳をしている。あと凄まじく目つきが悪い」

「……あなたが言いますか」

「何か言ったか」

「いいえ何も」


 思わず口をついて出た声を聞き咎められて、私は首を横に振る。凄く小さい声だったはずなのに、ルヴィ殿下は地獄耳なのだろうか。


 なにはともあれ、忌み子であるルヴィ殿下のみならず第三王子殿下までもが謁見の間にいなかったのはそういう理由らしい。まぁ流石にいくら王族とは言え、反聖女派を私との顔合わせの場に同席させるわけにはいかないだろう。


 じとりと私を睨んでいたルヴィ殿下の目線が、神官長の方に向けられた。


「それで、ディーク。お前は顔合わせの場に呼ぶことすら憚られるような忌み子と聖女が友人になることを許可したわけだが、どういうつもりだ?」

「誰が傍にあろうがあるまいが、反聖女派は聖女に近づきます。それならば、当代随一の実力者である第二王子殿下が傍で聖女をお守り差し上げた方がよろしいのではないでしょうか」

「はぁ?」


 そういえばそんな話してましたね、なんて思った私の近くで、ルヴィ殿下が思いっきり顔を歪ませた。十匹どころか百匹くらいの苦虫を噛み潰している。


 しばし彼はその表情のまま神官長を見つめていたが、やがて私へと視線を転じた。目が合ったので、こちらは思いっきり懐っこく笑ってみる。……ご臨終になった苦虫の数が増えた!


「そんなこと、神官長たるお前がやればいいだろう」

「第二王子殿下の方が御力がおありでしょう?」

「…………」


 澄まし顔で言い返す神官長に、ルヴィ殿下は口を噤んだ。黙り込むルヴィ殿下に対して、神官長はまだ言葉を続ける。


「聖女が彼らに傀儡にされてしまえば、そちらの方が民の不安を煽ります。勿論、彼らもそうはならないように上手くやるのでしょうが、そのような謀りで襤褸ぼろが出なかったことなど歴史上ありませぬ」

「………………」


 更にルヴィ殿下は黙り込む。神官長凄い、あの皮肉屋で頭の良いルヴィ殿下をやり込めてる。


 もう神官長に勝つ道筋は無いように思えるのに、ルヴィ殿下はそれでもまだ頷こうとはしなかった。渋い顔のルヴィ殿下の顔を覗き込んで、満面の笑みな私はぐっと両の拳を握る。


「ルヴィ殿下、神官長から許可が下りましたよ! というわけでお友達になってください」

「冗談じゃない。お前みたいなのを友人と称するくらいなら、蛙とじゃれている方がマシだ」

「酷すぎる。そろそろ本当に傷つきますよ?」


 まさか蛙よりも嫌だと言われるとは思っていなかった。ただの憎まれ口なのだろうけれども。

 私の抗議など意にも介さず、ルヴィ殿下はまた「ふん」と鼻を鳴らした。

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