十五話 なかよしで嬉しいな!

 あの光景から離れてしばらく経つというのに、心がまだぐらぐらしている気がする。


 神樹に祈りを捧げることも含めて、今日やるべき聖女のお仕事を終わらせた私は、神官長と並んで歩いていた。神殿の最奥部を出てからというもの、神官長はずっと私の前ではなく隣を歩いてくれている。それは先導する必要がなくなったからというよりは、私を気遣ってくれているからのように思えた。


 左手に見える、傾きかけた昼の光が注ぐ神殿の庭へ視線を向ける。硝子に囲われた最奥部で見た光景には及びもつかないが、この庭も充分に美しく整えられていた。


 少し水の匂いがする風に、花が揺れている。それを眺めていた私の意識を、神官長の声が引き戻した。


「──おや、第二王子殿下」


 ぱっと目を前に戻せば、そこにはルヴィ殿下がいた。大理石の柱に凭れて庭の方を見ている。彼の存在に気付いた途端、甘くて辛い匂いが鼻腔をくすぐった。ぼんやりしていたから気付かなかったのだろうか。


 それはともかく、私と同じように神官長の声に意識を引き戻されたらしいルヴィ殿下の視線が、こちらを向いた。海と森を閉じ込めた瞳は、今日も不機嫌そうに細められている。


「終わったのか」

「はい、全て恙無つつがなく」


 柱から背を離したルヴィ殿下に、神官長は恭しく答えた。ルヴィ殿下はそれを受けて小さく頷く。


 私は神官長の隣で首を傾げた。


「ルヴィ殿下、どうしたんですか?」


 ここは神を崇める神殿だ。言い方は悪いが神の敵対者の象徴ともいえる色違いの目を持つ彼にとっては居心地が悪いのではないだろうか。昨日の感じを見るに、神官たちからかなり忌避されているようだったし。神官長は置いておくとして。


 私の方を見たルヴィ殿下は肩を竦めた。


「お前の力の程を確かめに来たんだよ、聖女サマ」


 普通の問いかけにまでこんな調子とは、徹底的な皮肉屋さんである。誰の前だろうがブレがなくて非常に良いと思います。


「殿下。その皮肉な態度は改めてくださいと何度も申し上げたはずですが」

「は。従うと言った覚えがないな」

「従う従わないの話ではありません。孤立することになってしまいますよ」

「そんなのは今更だろう?」


 私がうっかり感心していると、何やら言い合いが始まってしまった。待ってください神官長。昨日あなた止める側でしたよね?


 二人は私などそっちのけで睨み合っている。厳めしい顔の神官長と、不機嫌そうな顔のルヴィ殿下の睨み合いには結構な迫力があった。


 どうしたものかと二人を交互に見ていると、真っ先にそれに気づいた神官長が小さな溜息を吐く。


「……とにかく、殿下。せめて聖女にそのような言葉を向けるのはおよしになってください」

「はいはい。善処させていただこう」

「するつもりないですよね?」


 思わず突っ込むと、ルヴィ殿下に鼻で笑われた。神官長神官長、あなたの言葉ひとっつも響いてないみたいなので、お説教してあげてください!


 私がルヴィ殿下に笑われたことで、微妙だった空気は軽くなった。ものすごーく不本意ではあるが、まぁ良しとしよう。


「それで、ルヴィ殿下は私がどのくらい強いのか聞きに来たんでしたっけ」

「あぁ、そうだ」

「研究に役立ちます? それ」

「知らん。だが研究対象の情報を集めておくに越したことはないだろう。サンプルは多い方がいい」

「成程ー」


 ルヴィ殿下の説明に納得して手を打つ。神官長が呆れたように言った。


「……私が陛下にご報告するまでお待ちになればよろしいでしょうに」

「父上から兄上に話が降りてくるまで待てと? 俺はなるべくなら兄上と話をしたくない。何なら顔も合わせたくない」

「そんなにですか?」

「そんなにだ」


 顰めっ面のまま、ルヴィ殿下は深く頷く。とてつもなく堂々とした頷き方だ。本気で顔を合わせたくないと思っているのがひしひしと伝わってくる。


「……自分を想ってくれる人は大事にした方がいいですよ? 貴重ですし」

「嫌味か」

「なにゆえ」


 全くもってそんなつもりはなかったのに、睨めつけられてしまった。


 たっぷり思う存分私を睨んだ後、ルヴィ殿下は溜息を吐いた。煩わしそうに前髪をかき上げて神官長を促す。私に聞いてくれても構わないのだけど、たぶん分からないと思われているのだろう。


「で、当代の聖女はどうだったんだ」

「此度の聖女は、歴代で最も強い御力をお持ちでした。彼女は最奥部に光を降らせるだけではなく、神樹に花を咲かせました」

「神樹に花を?」

「綺麗でしたよー」


 ルヴィ殿下が、信じられないとばかりに目を見開いた。本当に全く信じていなさそうなので、形ばかりの掩護射撃をしておく。


 私の呑気な物言いが更に信憑性を削ってしまったのか、ルヴィ殿下は疑うような探るような視線を向けてくる。掩護射撃は掩護射撃にならなかったようだ。残念。


 神官長が後押しするように首肯する。駄目だ、ますます疑わしげな顔になってしまった。私はともかく、神官長の事は信じてあげてくださいよ。


 しかし、疑わしくともとりえず飲み込むことにしたのか、ルヴィ殿下が舌打ちをした。


「こんな間抜け面が歴代最優の聖女か。先が思いやられるな」

「私もそう思います。でも強さが神の愛に準じるなら仕方ないですよ」

「なんだお前」


 意見に賛同したのに変な顔をされてしまった。宥め方が気に入らなかったのかもしれない。


 頭をぐしゃぐしゃとかいて、ルヴィ殿下は一際強くて長い溜息を吐いた。


 そのまま踵を返す彼を、私は咄嗟に呼び止める。


「ルヴィ殿下、もう行っちゃうんですか?」

「言っただろう、俺はお前の力の強さを確認しに来ただけだ。花が咲いたという神樹を見せていただけるというのなら、喜んでこの場に留まるがな」

「あー、それは」


 言いながら、私はちらりと神官長に目をやった。正直私としては見せてあげてもいいんじゃないかと思っている。


 私が場を離れたからなのかなんなのか、神樹の花は萎んでしまっていたが、ルヴィ殿下ならただの神樹でも見せたら喜ぶだろう。それに彼なら神樹を傷つけたりあの場を荒らしたりなどしないだろうし、そもそも誰が踏み入ったところで神様は怒らない。だから良いと思う。


 思うのだが、ほいほい許可するわけにもいかない。神聖な場だから、以外に立ち入り禁止の理由があるかもしれないし。


 案の定、神官長は厳しい顔で首を横に振った。


「なりません。神殿最奥部は聖女の部屋と同じく余人を拒む場。いくら王族であっても踏み入ることは許されないのです」

「──だ、そうで」


 彼の答えを受けてルヴィ殿下を見やる。ルヴィ殿下は、分かっていたというようにひょいと肩を竦めた。


「相変わらず頭の固い神官長サマだ」

「敬称は不要です、第二王子殿下」

「はいはい神官長」


 ちっとも悪びれないルヴィ殿下に、神官長の眉間の皺が深くなる。ますます厳めしい顔つきになってしまった神官長だが、ルヴィ殿下へと向ける視線に、忌み子に対する嫌悪や軽蔑は含まれていなかった。ひたすら呆ればかりが滲んでいる。


 昨日から思っていたが、もしかしたら神官長はルヴィ殿下が忌み子であることをあまり気にしていないのかもしれない。単に手のかかる子供を相手にしているような雰囲気が、彼にはあった。


 現在進行形でやいやい言い合っているのも思春期の子供とその父親に見えなくもない。ルヴィ殿下はお兄さんとも仲が良かったが、神官長ともまた仲が良いようだ。お兄さんとは顔も合わせたくないと言っていたけれど、それでも昨日の様子を見るに険悪という感じではなかった。


 忌み子とされている割に、きちんと愛されているようだ。自分事のように嬉しくなる。


 神官長から目を離し、私を見たルヴィ殿下は顔を歪めた。


「何を一人でニヤニヤしているんだお前は。気色悪い」


 流れるように私を罵ったルヴィ殿下は、腕を組むとそれはそれは面倒くさそうに溜息を吐いた。昨日から幸せを逃がしすぎではないだろうか。まぁ八割くらい私のせいなのだが。


 今度こそ身を翻してこの場を去ってしまおうとする彼を、またまた引き止める。


「えー。ルヴィ殿下ほんとに行っちゃうんですか?」

「しつこい。用が済んだんだから当たり前だろう。神殿などに長居しても良いことはない」

「えー、えー。じゃあついていきます」

「来るな鬱陶しい。何のつもりなんだお前」

「あなたのお友達候補のつもりです」


 私にえーえー言われて、ルヴィ殿下の眉間の皺が限界突破した。もう目頭と眉がくっつきそうだ。そんな状態でも私がえーえー言っている間は足を止めて聞いてくれるのだから、やっぱりルヴィ殿下は優しい人である。


 少し後ろから私たちを見守ってくれていた神官長が、徐に口を開いた。


「……第二王子殿下と聖女は仲がよろしいのですね」

「そう見えますか!」

「お前まで兄上と同じことを言うのかディーク」


 喜ぶ私とは対照的に、ルヴィ殿下が絶望した顔になった。神官長、ディークって言うんですね。昨日名乗られた気はするけどやっぱり覚えていませんでした。


「貴方が他人と逃げずに話をしているのですから、そう見るなという方が難しいでしょう」

「ほらルヴィ殿下、傍から見れば私たちもう友達みたいですよ! 観念してください!」

「いや、ディークは友人に見えるとは一言も言っていない。よって却下だ」

「強情!」

「どっちがだ」


 ルヴィ殿下の方だと思う。諦めたら楽になれますよ。あれやっぱり強情なのは私の方? でもめげるつもりはない。隣に座らせてお話してくれたのだから、全く希望がないわけではないと思うのだ。

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