十四話 だいじょうぶ、とっくに知ってる

 両手を組み合わせ、その組んだ手に額を押し当てて目を閉じる。瞼の裏の薄赤さを眺めながら、私は不慣れなりに、分からないなりに祈った。私の髪が、不自然に靡く。


 どうかどうか、この国の人々が幸せでありますように。

 どうかどうか、この国の人々が健やかでありますように。

 どうかどうか、この国の人々が己の心に恥じぬ生き方が出来ますように。

 どうかどうか、どうかどうか。

 どうか。


 祈って祈って祈って、私はのろりと目を開けた。それに釣られたように、髪が重さを伴って落ちる。初めての感触に対する違和感を散らすように首を振って、私は息を呑んだ。


「う、ゎ……」


 何気なく顔を上げたその先で、世界が光っていた。


 神樹の中から溢れ出たような、球状の淡く優しい光が無数に舞っている。ふわりふわりと雪のように舞い落ち、何かに触れた拍子に弾ける光がある。妖精のようにあちらこちらへ自由気ままに漂う光がある。はしゃいだ子供のように私にじゃれついてくる光さえあった。


 神樹に宿る光自体も、淡さと柔らかさを損なわないまま強くなっている。神樹に向けた視線を更に上へと向けると、茂った葉の間に花が咲いていることに気付いた。宝石を削り出したかのような、あるいは最上級の絹を切り出したかのような花だ。幹や枝葉と同じように光っている。


 私が祈る前からこの世のものとは思えない光景が広がっていた最奥部だが、今はその何十倍も美しく神々しかった。


 楽し気に跳ねる光が、いくつも纏わりついてくる。混乱を解かすような温もりに、私は神官長を振り向いた。


 未だ最奥部の出入り口から動いていない彼は、呆然と立ち尽くしていた。灰青色の瞳を大きく見開き、ただじっと私を見つめている。


 口を開くのも躊躇われるような景色の中、それでも私は声を上げた。


「神官長」

「………………っはい、何でしょうか」

「言われた通り心を込めて祈ったつもりなんですけど、こうなるのは正解ですか?」


 頬に寄ってきた光を包むように手を上げる。光は私の手に擦り寄るように瞬いた。光なのだから実体などないはずなのに、中心の方に触れる何かがあるような感じがする。何だかくすぐったい。


 思わず小さく笑い声を零すと、神官長が言った。


「えぇ聖女。これは神樹が聖女の祈りに反応した証です。貴女の祈りは届きました」

「そうですか、なら良かった」


 神には、届きようもないでしょうけれど。


 なんて皮肉や嫌味に聞こえてしまいそうな言葉は、そっと胸の内に仕舞っておく。私が立ち上がると、周囲を舞っていた光が離れた。そしてすぐにくっついてくる。ちょっと可愛い。


 少し汚れてしまったドレスを払って神官長の元へと向かう。彼の隣に並んでくるりと反転すると、それはそれは素晴らしい情景が広がっていた。


 神樹の根元から見ていたときには気づかなかったが、美しい花は思った以上に数多く咲き誇っていた。辺りの草花も、自身に触れては弾ける光の粒子を受けて輝いている。地面からも光が湧きだし、昇る光と落ちる光が柔らかく交錯していた。地面、というかその奥にある神樹の根から溢れているのだろうか。硝子の壁の向こうから射し込んでくる太陽の欠片が霞んでしまうほど、この場は光に満ちていた。


 ここが神の国だと言われれば信じてしまいかねない光景に、神官長は瞬きの一つもしないで見入っている。


「……まさか、貴女の御力がここまで強いものだとは」

「聖女としての力の強さで神樹の反応が変わるんですか?」

「そうです。平均的な力量の聖女なら神樹の光を強くするのみ。歴代で最も強い力を持った聖女でも、光を降らせるまでしか出来なかったようです。貴女のように、神樹に花を咲かせるなど、とても」


 これまで常に目を合わせて話をしてくれていた神官長が、一度もこちらを見ない。私が花を咲かせたのが、相当な驚きだったらしい。当の本人である私はいまいちピンと来なくて首を傾げた。


「ふむ、そうなのですか。ちなみに、力の強さが何で決まるのかとか分かってたりします?」

「神からの愛です。神に深く愛されれば愛されるほど、聖女の力は強くなる」

「……は、」


 もたらされた答えに、私は弾かれたように神官長を見上げる。心臓を渾身の力で殴られたかのような衝撃が血に滲み、血流に乗って全身へと運ばれた。


 隣で動揺する私に気付いたのか、神官長の目がようやくこちらに向けられる。灰青色の瞳はたちまち細められ、眉間には皺が刻まれた。


「聖女? どうなさったのです、もしやお加減でも」

「は、はははっ。いいえ、いいえ。違いますよ神官長。ただ、私は──」


 深く息を吸い、長く吐く。吐ききったところで呼吸を止めて、ぐっと目を瞑り、拳を握りしめた。


 大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ。私が神の愛し子だなんて、とっくの昔に分かっていたことじゃないか。ずっとずっとずっとずっと昔から知っていたことじゃないか。だから、だいじょうぶなのだ。こんなににがくていきがくるしいけれど、だいじょうぶなのだ。


 握った拳を、柔らかく温かな何かが掠める。薄く目を開いてみれば、小さな光が心配そうに明滅していた。それに慰められてしまうのが馬鹿馬鹿しくて堪らない。咄嗟に振り払う。


「……聖女?」

「だいじょうぶです。大丈夫ですよ神官長。心配をかけてしまってごめんなさい。ここでのお仕事はこれで終わりですか?」

「え、えぇ……」


 私を覗き込む神官長の瞳に、心配そうな色が閃いている。表情の方はますます眉間に皺が寄って、ともすれば不機嫌そうにも見えるのに、器用な人だ。いや、不器用な人なのかもしれない。


 私は彼を安心させるように微笑んだ。


「本当に大丈夫ですよ。さぁ、仕事が終わったのならこの神聖な場に長居は無用です。そうでしょう?」

「そう、ですね。えぇ。では聖女、参りましょう」


 あくまでも何でもないように振舞う私に合わせてくれたのか、神官長は心配げな色を拭い去り、扉を開いてくれた。


 光が、名残を惜しむように私の髪にじゃれた。

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