六話 なかよしこよし、目の迷い

 あんなに元気一杯に響いていたルヴィ殿下の笑い声が、ぴたりと止まった。持ち上がっていた口角が元に戻り、そこから更に下がっていく。


「……兄上」

「あにうえ?」


 苦々しげな呟きに、彼の影から顔を出す。開きっぱなしの扉の傍に、ひどく整った顔の男性が立っているのが見えた。


 日光を紡いだかのごとく美しい金髪は、うなじを隠すように伸ばされている。優しげに垂れた目元が抱く少し大きめの瞳は、左右どちらも空を封じ込めたような爽やかな青色だった。左の目元にある黒子ほくろと、緩やかに弧を描く薄い唇が、柔らかながらもどこか油断ならないような雰囲気を醸し出している。違うところの方が多いはずなのに、彼は何となくルヴィ殿下に似ていた。


 そんな彼が、ふわりと微笑んだまま口を開く。


「やぁ聖女、さっきぶりだね。弟と仲良くしてくれてありがとう」

「あ、いえそんな。私の方こそルヴィ殿下に色々教えていただけて助かっています」

「おいやめろ、気味の悪い挨拶を交わすな」


 ルヴィ殿下が全力で嫌そうな言葉を投げてくるが、黙殺しておく。それにいちいち反応している場合ではなかった。


 眉間に深く皺を刻む彼を余所に、私は必死に記憶の棚を漁る。


 ルヴィ殿下が『兄上』と呼んだということは、ルヴィ殿下を『弟』と呼んだということは、つまり彼は第一王子殿下だ。第一王子殿下ということはつまり私がここに来る前に訪れた謁見の間で既にお会いしているということだ。王族の威厳を示すように飾られたあの場には、王様と王妃様と彼、第一王子殿下がいたのだから。

 頬にたらりと冷や汗が伝った。


 まずい。凄くまずい。


 何がまずいって、彼の名前が思い出せないのだ。名乗られたはずなのに。顔は本人が目の前にいるおかげで辛うじて『あー、こんな顔だった? 気がする』くらいの認識が出来ているが、名前はてんで駄目だ。一文字目から分からない。ラかディかアかロかの四択だった気がする。確信は持てないけど。あっ、でも待ってリだった可能性もあるな。


 ルヴィ殿下と対面する前にしていた心配が、相手は違えど現実になってしまった。本気で曖昧に笑いながらしれっと逃走してやろうか。いや無理だ出口を押さえられている。


 すっかり困ってしまって、今までになく深い皺を眉間に刻み込んだルヴィ殿下を横目に見た。彼はいま自分の兄を睨み付けるのに一生懸命で、私の方になど一欠片も意識を割いていない。どうやらさっきまでのように疑問を察してさらりと教えてくれたりはしなさそうだ。仕方ない、思い出せるまでは名前を呼ばなければならない事態を回避することに終始しよう。


 決意して、改めて微笑みを浮かべる。同時にルヴィ殿下が口を開いた。


「ほとんど予想できているが、敢えて聞こう。何の用だ」

「用がなければ可愛い弟に会いに来てはいけない?」


 刺々しい弟に対して、第一王子殿下ははぐらかすような言葉を返す。「気味の悪いことを言うな」と吐き捨てるルヴィ殿下の口調は、私に向けていたものよりも分かりやすく疎ましげだった。しかしそれは、不思議なことに親しみを感じさせる響きでもあって。


 第一王子殿下の、社交辞令じみた微笑みが崩れた。纏う雰囲気までもを崩して、意外なほど快活に笑う。


「ははっ、相変わらずルヴィは冷たいね」

「うるさい」


 ルヴィ殿下が兄に返す言は相変わらずすげなくて冷たい。なのに第一王子殿下はまだ楽しそうに笑っていた。一見いがみ合っているように見えなくもないが、何だかんだと仲の良い兄弟のようだ。その事実に微笑ましさを感じると同時に安堵を覚える。忌み子でも、彼はずっと一人だったわけではないのだ。少しだけ、羨ましくなってしまう。


 それでも微笑ましさと安堵の方がまさってニコニコしていると、ルヴィ殿下の鋭い視線に刺された。


「おい聖女、何を機嫌良さげに笑っている。間抜け面しやがって」

「八つ当たりすぎません? あなただって散々私を笑ってたくせに」


 言い返してもルヴィ殿下の視線は和らがない。理不尽だ。私別にあなたと違って人の窮状を見て笑っていたわけじゃないのに。見守っていただけなのに。それが気に食わなかったんですか? そうですか。


 私たちのやり取りを見ていた第一王子殿下が「おや」と首を傾げた。


「二人はもう随分仲良しになったんだね。ガードが堅いルヴィにしては珍しい」

「え、本当ですか。やったあ」


 両手を挙げて喜ぶ私の隣で、ルヴィ殿下が額を押さえて項垂れる。


「すまない兄上、もう一度言ってくれるか。誰と誰が仲良しだって?」

「お前と、聖女だよ」

「やめろ気色悪い」


 兄のにこやかな答えに、ルヴィ殿下は苦虫を嚙み潰したような顔をした。噛み潰された苦虫の数は恐らく十匹をくだらない。


「そんなに嫌ですかルヴィ殿下」

「そんなに嫌だ」


 何の迷いもなくすっぱりと断言された。どうして。


 衝撃を受けて固まる私と何故か腕を組んでふんぞり返るルヴィ殿下をそれぞれ見て、第一王子殿下はまた一つ笑い声を零した。


「本当に仲良しだね」

「たった今拒絶されたところなんですけど、それでも私たち仲良しに見えます?」

「見えるねぇ。ルヴィは本当に嫌だったり嫌いだったり興味がなければきつい一瞥だけくれてやって、さっさとどこかへ行くから」

「うわやりそう」


 本当にやりそう。彼と会ってから一時間と経っていないのによく分かる。目の前でもう何度も繰り広げられた光景かのようにまざまざと思い浮かべられる。私はされなかったけど。登場の仕方に驚きすぎて冷たい目をする余裕もなかったのだろうか。そのあとすぐに私が彼の研究する『聖女』だと分かったし。何度声をかけてもちっとも気付かなかったルヴィ殿下の集中力に感謝しておこう。


 ちらりと彼の方を見ると凄まじく睨まれてしまった。何故。とりあえず、にへらーと笑っておく。睨み甲斐のない奴だと思われたのか、その目はすぐに私から外れ、第一王子殿下の方に向いた。兄のこともしっかりと睨んでいる。分け隔てない人だ。


「それで、兄上。聖女をどこかへ連れて行くつもりなのだろう。ここで無駄話をしていて良いのか」

「え、どこか連れて行かれるんですか私。単にルヴィ殿下とお話ししに来ただけなんじゃ?」


 その分け隔てない人が苛立ち混じりに吐いた言葉に、私は目を見開く。


 聖女としてのお仕事は明日からと聞いている。ついでに第一王子殿下に呼び出されなければならないような悪さを働いた覚えもない。当たり前である。よって、どこかに連行されなければならない理由はない。え、ない……ですよね?


 困惑していると、ルヴィ殿下の左右色違いの瞳が私を見た。


「そんなわけがないだろう。これでも兄上は我が国の王位継承権第一位の人間なんだ。忌み子の弟を苛立たせるためだけに無駄にする時間はない」

「なんか色々皮肉が滲みまくってますね」

「そんなことはない。貴重な時間を俺に割く必要はないと思っているだけだ」

「私たちを追い出してとっとと読書に戻りたいだけでは?」

「……兄上が初めに素直に用を吐いたらお前諸共さっさと追い出せたのに」


 なんてことだ。第一王子殿下、あなたの弟さんはたまたま私を追い払う機会を逃し続けているだけで決して当代聖女と仲良しになったわけではないと思うんですが、そこのところどうでしょう。

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