七話 思い出せないことをおもいだした

 割と本気で第一王子殿下の目が心配になってきた私のことなど気にせず、ルヴィ殿下がふっと溜息をもらした。皮肉気な光を瞳に宿して、左の口角だけをクッと持ち上げる。


「そういうわけで兄上。聖女のことなら気兼ねなく連れて行くと良い。俺に憚ることなど一つもない。確かに聖女サマと引き裂かれるのは胸が潰れそうなほど苦しいが、兄上の為なら我慢できるさ」

「嘘すぎません?」

「俺に憚ることなど一つもない。とっととこのボケ聖女を連れて行け」

「酷すぎません?」


 あんまりな言い草だ。最初の発言が嘘と皮肉にまみれすぎていて思わず突っ込んでしまったのは私だが、だからってそこまで赤裸々に言わなくてもいいと思う。もう少し言葉を選んでほしい。そしてもう少し私に気を配ってほしい。


「知ってましたか、私にだって傷つく心ってものがあるんですよ」

「そうか、全く思い至らなかった。心臓にわさわさと毛が生えているような身勝手な女にそんなものはないと思っていた」

「やっぱり酷すぎません?」

「ないと思っていた」

「繰り返しやがった」


 しかも滅茶苦茶涼しい顔で。だからもうちょっと私に気を配ってくださいってば。


 流石に文句をつけたくなるが、私が身勝手な振る舞いをしたのは確かなので下手に反論出来ない。言い返したら百倍、とはいかなくても十倍くらいの量で返ってきそうだ。第一王子殿下が言っていたきつい視線付きで。それらに耐えられるか耐えられないかで言えば耐えられるような気もするが、耐えられるは傷つかないと同義ではないのだ。


 文句を言えずともせめて不満を表そうと思って唇を尖らせる。こちらを一瞥したルヴィ殿下は、馬鹿にしきった顔で鼻を鳴らした。ちっとも罪悪感を覚えていやがらない。悔しい。


 この状況が見えていないわけもないのに、第一王子殿下はまだ穏やかな微笑を湛え続けている。あなたの弟さん、今女性に向かって酷いこと言ってたんですけど認識できてますか?


 私の胸中の非難になど気付くはずもなく、第一王子殿下は言った。


「仲良しの二人を離れ離れにするのは心苦しいけれど、ルヴィがそう言うのならお言葉に甘えようかな」


 彼はそのままするりと部屋に踏み入ってくると、流れるように私の前に膝をついた。床に敷かれた毛足の長い絨毯が吸収したのか、何の音もしなかった。


 予想もしていなかった行動に目を見開く私に、彼は手を差し出してくる。


「ねぇ聖女。少し俺とお茶しないかい?」

「え。お茶、ですか?」


 予想外の行動に予想外の言葉を重ねられて、私はぱちぱち瞬いた。第一王子殿下は綺麗な金の髪を揺らしてこくりと頷く。


 窓の外の日差しは少しずつ傾き始めてはいるものの、未だに温かく降り注いでいる。色味もまさに彼の髪色と同じで、日暮れの赤さは見られない。だから、お茶をするには丁度良い時間なのだろう。


 ……時間帯が最適なのは分かったが、誘われる理由が分からない。ルヴィ殿下は隣ですし聖女じゃないですよ。間違えちゃったんですか?


 目の前で跪いている彼が軽く微笑む。それはルヴィ殿下に向ける笑顔とは違う、社交辞令じみた表情だった。


「此度の聖女がどんな御方なのか知りたいんだ。お嫌かな」

「あぁ、そういうことでしたか。でしたら是非ご一緒させてください」


 良かった、とりあえず何か怒られたりするわけではないようだ。あと、弟と私を見間違ったわけでも。


 にっこりと笑いながら差し出された手を取る。触れた人肌はやはり温かかった。その上彼の手は素晴らしく滑らかだった。まるで神様から特別に体温を与えられた陶器のような手触りからは、彼の肌が隅々までしっかりと手入れされ気遣われていることが伝わってくる。そんな第一王子殿下が私の手に触れたとき、ごくごく僅かに柳眉を顰めたように見えたのは気のせいだろうか。気のせいということにしておきたい。肌のお手入れなんてものとは無縁だったのだ。見逃してほしい。


 ルヴィ殿下の手も似たようなものなのかな、なんて考えて彼をちらりと見る。


 ソファに凭れかかったまま私たちを見上げていたルヴィ殿下は、私の視線に気づくと「何だ」と低い声を出した。


「さっさと出ていけ。俺を一人にしろ。隣で囀るな」

「えええええ。やっぱり酷すぎますってあなた。初めに私を隣に誘ってくれたのはルヴィ殿下の方じゃないですか」

「うるさい」


 理不尽な物言いに唇をへの字に曲げる。


 短く冷たい声だけ投げつけて、ルヴィ殿下は私の膝から掻っ攫った本を開いた。初めこそ私たちの存在を無視するために読んでいたようだったが、ほどなくして本気で私たちのことを忘れ去ってしまったようだった。


 微笑ましげに彼を見守る第一王子殿下と目が合う。彼はひょいと肩を竦めた。


「行こうか」

「はい」


 立ち上がらせてもらって、部屋を後にする。すぐ傍で人が動いたというのに、すっかり集中してしまったルヴィ殿下は顔を上げることはおろか、何か反応することもなかった。


 いつの間にやら意識の外に追い出されてしまっていた甘くて辛い香りを、廊下に出てしばらく歩いてから意識する。寂しくなるとか名残惜しいとかは特に無かったけれど、何となく振り返った。


 その拍子に、自分の中にある小さな違和感に気付いた。


 普通についてきてしまいましたけど、私何かを忘れているような?


 突然生じた引っかかりに、少しだけ眉を顰める。立ち止まったりはしなかったけれど、足を出す速度が遅くなった。

 それに敏感に気付いて、数歩前を歩いていた第一王子殿下が私を見た。


「聖女?」

「あ、すみません。何か忘れているような気がして……」

「忘れ物かい? それとも何かルヴィに伝え忘れた? もう集中してしまっていたから、それを途切れさせるともっと不機嫌になってしまうと思うんだけど」

「いえいえ、そういうのではないです。だからルヴィ殿下を怒らせることにはならないんですけども」


 言いながら小首を傾げて、何となく視線を左上に向ける。


 ………………あ。思い出した。


 そうだ私、この人の名前まだ思い出せてない。

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