五話 しんでしまった聖女様

 ちょっと微妙になってしまった空気を誤魔化したくて、私はわざとらしく手を鳴らして小首を傾げた。


「そういえば、聖女の研究なんかしてるくせに何ですぐドレスで気付かなかったんですか?」


 胡乱な目が向けられる。きっとさっきから話の逸らし方が雑すぎるとか思われているのだろう。そんな視線にも負けずに人懐っこく見えるように笑っていると、彼はやがて微かな吐息を漏らした。背もたれに体重を預けなおしたのと同時に、整った面差しに居残っていた僅かな心配が掻き消える。


「先代の聖女が亡くなったのは俺が生まれる随分前の話だ。そしてその時からお前が来るまでそのドレスは神殿の奥の奥で丁寧に丁寧に手入れされ管理されてきた」

「へぇ、そうなんですか」


 奥はともかく丁寧を重ねるところに皮肉の気配を感じる。何かあったのだろうか。というかあんな難しい本を簡単だと言い切るほど研究して来たのに見に行かなかったのだろうか。


「神殿には王族でも立ち入ることのできない場所がある」

「あぁ……」


 口にはしなかった私の疑問を察したらしく、ルヴィ殿下が淡々と言った。器用にもその横顔は歯痒そうに歪められている。その表情は聖女のドレスを一目見るために手を尽くし、それでも駄目だったことを雄弁に物語っていた。頑張ったんだな、と少し不憫になる。


 と同時にそこまで全力でドレスを見ようとしてたのって、事情を知っていてもちょっと変態みたいだな、という感想も浮かんだ。多分知られたら怒るで済ませてはもらえない。二度とこうしてお話してもらえなくなる可能性もある。とりあえず悟られないように困り顔で笑った。


 それにしたってルヴィ殿下は良い人だ。あんなに嫌そうにしていたのに普通に私とお喋りしてくれる。その上聞けば面倒そうな顔もせずすんなり色々教えてくれる。まぁそれもこれも私が聖女で彼が研究者だからなのかもしれないが。


 私の勝手な感想はどうやら上手く隠し通せたようで、何にも気づかないままルヴィ殿下は足と腕を組んだ。


「だから、お前が纏っているのが聖女のドレスだと気づけただけ上出来だ。今までの聖女たちの肖像画も、基本的に胸元辺りまでしか描かれていないしな」


 ルヴィ殿下が堂々と言い切った。そこにはすぐに気付けなかった悔しさなど微塵も滲んでいない。逆に得意げな雰囲気すら感じた。この人、開き直っている。


 敢えてそこには触れないまま「肖像画ですか」と言いながら手元の本を捲る。さっき物凄くざっくりおざなりに目を通したときに誰かの写真みたいなものが何枚か載っていたのを思い出したのだ。読み終わった、というか見終わった本は裏表紙が表になっていたためそちらから辿っていく。


 しばらくすると、一人の女性──否、少女の姿が現れた。ルヴィ殿下の言う通り、胸の上の方までしか描かれていないのでドレスがどんなものかはよく分からない。

 そんなことよりも私の目を惹いたのは、彼女の表情だった。


「……この子、描いてもらうとき泣いてたんですか?」


 少女はまだ幼さの残る目元を一生懸命に吊り上げて、こちらを刺すように睨んでいる。その眦には涙の痕と、擦ったような赤みが残っていた。


 さっきまで問えばつらつらと答えをくれていたルヴィ殿下が、初めて言い渋った。私の膝の上で開かれた頁に目をやって、それからゆっくりと重たい口を開く。


「……先代の聖女は突然別の世界に連れてこられた当惑と恐怖、そして身勝手にかけられる周囲からの期待と重圧に耐えきれず、自ら命を絶ったそうだ」

「そう、なんですね」


 綺麗な黒髪と、綺麗な黒い瞳を持った少女だ。親に対する反抗をようやく覚え始めたような年頃の少女だ。沢山沢山愛されて、とても大事に育てられてきたのだろうな、なんて無責任に思って胸が痛んだ。そうでなければこんなに綺麗な黒髪は保てない。そうでなければ黒い瞳にこんなに澄んだ光は灯せない。


 彼女には絶対に届かない指で、拭いきれなかった涙を掬い取るように目元を撫でる。

 初めから彼女ではなく私が喚ばれていれば良かったのに。


 ルヴィ殿下が落ちてしまった沈黙を破る。


「俺が聖女の研究を始めようと思ったのは、彼女の話を知ったからだ」

「……」

「俺は一人の少女に、それも異界から無理やり連れてきた少女に国の問題を押し付け、それを当然とするこの制度が嫌いだ」

「あは。私の前で言いますか」

「……そうだな。すまなかった」


 払拭されたはずの気詰まりな空気が帰ってきてしまった。彼女には悪いと思うが、話を変えさせてもらう。過去はどうしたって揺らがせないのだ。


「それにしても、王族でも入れない場所ですか。そんなところあるんですね」

「国教を司る神殿と王族が差配する王城の権力は絶妙なバランスで拮抗しているからな。神殿が否を出したものを強行突破するのはいくら王族でも難しい」


 ルヴィ殿下も彼女の話を続けるのは気が進まなかったのか、私の下手くそな舵取りにも何の文句もつけなかった。座り直してちらりと私を──私が纏う、聖女のドレスを見る。ずっと見たかったものをようやく目に出来て感無量、といった様子は欠片もない。それは彼がただの好奇心ではなく制度そのものを疎んじて聖女の研究を始めたからかもしれなかった。


 おちゃらけるように軽い調子で言う。


「それはそれは。至極面倒臭いことですね?」

「あぁ。本当に本当に面倒臭いことだ。民衆からの支持は下手すれば向こうの方が上だしな」

「いやほんっとにめんどくさいですね⁉」


 大仰に肩を竦めてみせたルヴィ殿下の言葉に、私の声は思い切り跳ねた。


 権力が拮抗してる上に支持率では負けかねないって、もう王城側駄目じゃないですか⁉ 王族の威厳でどうにか保ってるの⁉ そんなもので保てるの⁉


 目をこれ以上ないくらい見開く私に、ルヴィ殿下は鼻を鳴らす。


「何を他人事のように驚いている。お前は神殿の長だろうに」

「エッ」


 声がもう一段階跳ねる。危うく喉を痛めるところだった。


 神殿の長? 誰が? 私がですか? 務まる訳ないじゃないですか、今まで碌に人と関わってこなかったのに! 顔と名前を一致させるのが物凄い苦手なのに!


 混乱して思考が止まる私を見て、ルヴィ殿下の口角が持ち上がる。初めて見た彼の笑顔は、やっぱり簡単に人々を虜にしてしまいそうなものだった。彼らしい皮肉っぽさの中に、年相応の青年っぽさが混じった魅力的な表情。ただ、今の私には悪魔の微笑みにしか見えなかった。


 彼に対抗するように笑顔を浮かべて縋るように言う。頬がひくひく引き攣ってしまうのは自分でもどうしようもなかった。


「や、やだなぁ。神殿には神官長がいるじゃないですか」

「神官長は聖女の代理として一時的に長の座を預かっているだけだ」

「やだやだ嘘って言ってください」

「残念ながら事実だ」


 衝撃の事実を耳にして狼狽える私とは正反対に、ルヴィ殿下の笑みは深まっていく。そんなに私がおろおろしてるのが面白いですかちくしょう。面白がられる心当たりはありますよちくしょう。散々私に振り回されましたもんねあなた!


 頭を抱えて唸っていると、とうとうルヴィ殿下は「ふは」と声を出して笑った。


「適当にやられたら困るが、そう気負うことでもない。どうせあの口うるさい神官長が手取り足取り教えてくれるだろうさ」

「うぅ……」

「そもそも、かつての聖女たちだってほとんどがごく普通の少女だったんだぞ? お前と条件はそう変わらない。むしろ代を重ねるごとに神殿だって熟れていくからな。お前が一番分かりやすく効率的な教えを受けられると言える」


 連ねられた言葉だけを見れば優しい慰めのようだが、意図的に柔らかくされた彼の声は、笑いを堪えるように僅かに震えている。


「くそーっ! 笑わば笑えーっ!」

「では遠慮なく。アーッハッハッハッハ」

「ほんとに笑いやがったーっ!」


 遠慮なく高らかに笑うルヴィ殿下と、ぎゃあぎゃあ喚きながらますます頭を抱える私。


 誰が見てもドン引きさせられるような地獄の光景に、臆せず割り込む声があった。


「おやルヴィ。随分楽しそうだな。念願の聖女様とご対面でハイになっているのかい?」

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