四話 かみのしゅくふくなんて、欲しくなかった
再び私に
「ところでルヴィ殿下。随分熱心に読んでいらっしゃいましたけど、それ何の本なんです?」
「……聖女に纏わることが書かれた本だ」
頭を痛そうに押さえながらも、ルヴィ殿下は本を渡してくれる。王城の本棚に並ぶに相応しい、重厚な装丁だ。ルヴィ殿下の瞳よりも深い緑の表紙に、金色で題名が刻まれている。ぱらぱら捲ってみると、文字がびっしりと綴られていた。うわぁ難しそう。ざっと見ただけなのにもう難しそう。
「聖女召喚があるから予習でもしてたんですか? 意外と真面目ですねぇ」
「違う。そんなことは関係ない」
「そんなことって言った」
それで良いのか第二王子。聖女召喚って国にとって重要な儀式だと思うんですけど。忌み子として不当に扱われ続けてきたから愛国心が枯れ果ててしまったのだろうか。辛い。
戸惑うを通り越して心配になってきた。そんな私の心情など知る由もなく、ルヴィ殿下はちらりとこちらを見た。
「俺は元々聖女について研究している。だから
「聖女の研究、ですか?」
私が彼に抱いた印象と、告げられた言葉が上手く嚙み合わない。無意識のうちに眉間に皺が寄った。
研究という単語はルヴィ殿下によく似合う。すぐ側で声をかけられるまで気づかないような集中力と、彼の持つ理知的な雰囲気にはどことなく研究者っぽさがある。甘くて辛い、少し変わった香りも薬草か何かを扱う研究者ですと言われれば簡単に納得できる。
でも、その頭に『聖女』とつくなら話は別だ。
だって全っ然興味無さそう。聖女とかそこらの虫より興味無さそう。知り合いの朝ご飯の内容より興味無さそう。現に聖女本人が目の前にいるっていうのに、ルヴィ殿下は凄く気怠げな顔をしている。研究者が持っているはずの好奇心とか探求心とか、そういったものが欠片も感じられない。これが彼の標準装備なのかもしれないが、だとしてもやっぱりおかしい。滅多に会えない研究対象を前にして平然としている研究者がいるものか。いやこれは偏見だけど。世間知らずな私の勝手な偏見だけど。
浮かべられた表情から私に対する研究者らしい興味とか好奇心とかを見出そうとして彼を見つめる。どう頑張ってみても見つからない。え、さっきちゃんと私が聖女だって認めてましたよねこの人。もしかして嘘だった? 私聖女を名乗る狂人だと思われてる?
私の無遠慮な視線に、ルヴィ殿下の顔が思いっきり歪められた。すっごい嫌そう。でもある程度私の反応を予想していたのか、怒ったりはしなかった。
「似合わなくて悪かったな」
「そんな、悪いなんて一欠片も思っていませんよ。ただ意外過ぎただけで。聖女とか一切興味無さそうじゃないですかあなた。『聖女? ハッ、だからどうした』みたいな……」
「国を救ってくださる聖女様に対してそんなことをほざきそうな男に見えるのか、俺は? どこから連想したのか是非お教え願いたいな」
せっかく怒らせずに済んだのに、あっという間にルヴィ殿下の表情が引き攣った。そういう皮肉屋なところからですよ、とは流石に言えない。さささっと話を逸らす。
「いやぁ、それにしてもルヴィ殿下は研究者さんだったんですね。それならこんな難しそうな本を読んでても納得です」
私を責めようと半眼になっていたルヴィ殿下だったが、私の誤魔化し方がわざとらしすぎて呆れたらしく切り替えてくれた。
「あからさまだな。……言っておくが、そこに書かれているのはかなり初歩的な内容だ。聖女が来るのに合わせて浚っておこうと引っ張り出してきたものだからな」
「嘘だぁ。こんなに字がみっちみちに詰まってるのに初歩的なわけないじゃないですか」
言いながら適当に開いた
ルヴィ殿下が小さな吐息と共に言う。
「字が詰まっていれば難しいわけではない。よく読んでみろ、大したことは書いていないぞ」
「えー、ほんとですかぁ?」
疑いながらも素直にその時たまたま開いていた頁を頭から読んでみる。……三行進んだだけでもう理解出来ない専門用語が出てきた。いやいや、一番最初から読まなかったから分からなかっただけかもしれない。表紙を開いて目次を飛ばして一行目を読む。ふむふむ、ほうほう。
とりあえず頑張って五頁くらい目を通してみて、私はぱたんと本を閉じた。
「いや普通に難しいですよこれ。難しく書けば書くほどカッコいいって思ってる人が書いたでしょこれ」
「酷い言い草だな」
自分が読んでいた本を貶されて、ルヴィ殿下の左右色違いの瞳が不機嫌そうに細められる。しかしすぐに組んでいた腕を解いて肩を竦めた。
「常識が備わっていれば簡単に読める本だが、お前は異世界人だからな。まぁ仕方ないだろう」
「悪かったですね常識知らずの世間知らずで」
今度は私が不機嫌になる番だった。唇を尖らせて、もう一度本を読んでみる。やっぱり難しい。ゼーレリアの常識を知っていようがいまいがこれは難しいと思う。そもそもこんなみっちみちの本簡単に読める人が少ないだろう。
「いやこれ、あなたが聖女の研究をしていてこういう本を読み慣れているから簡単なだけじゃないですかね。私の常識知らずばかりが問題なわけではなく」
「……そうか?」
「大いにそう思います」
深く深く頷いて、またぱらぱらと頁を
そのままおざなりに最後まで目を通してから、はたと気付く。
「あれ、今更ですけど、私なんで普通に字が読めてるんでしょう。普通に話が出来てるのも変ですよね」
「本当に今更だな」
「異世界にわっくわくだったもので……」
瞼を半分下ろしたルヴィ殿下に「面目ない」と頭を下げてみる。私は何回彼に呆れた顔をされれば気が済むのだろうか。
全く、と言いたげな視線を寄越して、ルヴィ殿下が教えてくれた。
「それは神の祝福だ」
「かみのしゅくふく」
「あぁ」
突然出てきた言葉を拙く繰り返す私に、ルヴィ殿下は頷く。先程の私よりは浅いその動きにつれて、彼の艶やかな茶髪が流れた。
「聖女というのは神の愛し子であり代理人だ。だというのに言葉を操れず字も読めないでは役目を果たせないだろう。それを解消するために神から聖女の力と共に授けられるものだとされている」
すらすらと説明が出来るのはルヴィ殿下が研究者だからなのだろうか。それともこれがゼーレリアの常識だからなのだろうか。
何となく前者のような気がしながらも、私は彼の分かりやすく親切な解説を半ば聞き流してしまう。言っていることは分かる。その意味も分かる。ただ少しだけ頭がぼんやりしているのだ。
神の祝福。神の祝福、かみのしゅくふく。かみの、いとしご。
聖女が神の愛し子であることなんて、神官長達から既に聞いていた。自分が神の愛し子であることなんて、とっくに分かっていた。それなのに、どうしてこんなにも苦いものが胸に広がるのだろう。
ルヴィ殿下が眉を寄せて私を覗き込んだ。こちらを見つめる青と緑の瞳に気付いて、泡が弾けるように我に返る。
「どうかしたか?」
「いえ。少し……そうですね。嫌なことを思い出してしまっただけです」
ますますルヴィ殿下の眉が顰められた。──彼がその感情を整った顔に乗せるのを、私は初めて見た。
「大丈夫か」
「大丈夫ですよ、気にしないでください。殿下は優しいですねぇ」
「気味の悪いことを言うな」
そんな悪態を吐きながらもルヴィ殿下は、浮かべた心配の色をその顔から拭い去ることはなかった。
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