三話 どうせ帰らなければならないし、おともだちになろう
皺を刻みまくった眉間を揉みながら、ルヴィ殿下が口にする。
「すまない聖女。俺の耳は突然壊滅的に悪くなったらしい。もう一度言ってくれないか」
「いいですよ。私とお友達になってください、ルヴィ殿下」
「はぁあ~……」
凄い溜息だ。今まで聞いてきた溜息の中で一番疲労と呆れが詰まっている。そんなに嫌がられると普通に傷付く。
しばらく自身の太ももに肘をついてぐったり項垂れていたルヴィ殿下だったが、やがてのったりと頭を上げた。その端正な面立ちには、苦くて苦くて堪らないものを口に目一杯詰め込まれたような表情が浮かんでいる。
「確認だ、聖女。お前の世界で『オトモダチ』という言葉はどんな意味を持っている?」
「えーっと、そうですね。互いを支え合う、親しく対等な関係の人物……というような意味合いでしょうか。調べたことはないので正確ではないかもしれませんが」
「……クソ、意味が違うかもしれないという一縷の望みも断たれたか」
疲れ切ったように言って、ルヴィ殿下は目元にかかる長めの前髪をかき上げた。色違いの綺麗な目がよく見えるようになったと思ったら、彼はそのまま仰け反るようにソファに身を預けてしまう。私の立っている場所からは、白い喉と意外と出ている喉仏しか見えなくなった。あんなに首を反らして息苦しくないのだろうか。
指先で自分の喉を撫でていると、死人の呻き声と間違いかねないほど苦しそうな声が言葉を紡いだ。
「国を救う聖女と国に疎まれる忌み子が、友人になどなれるわけがないだろうが」
「あー、まぁ。
「『個人間の話だから』で全て済ませられるほど俺の立場もお前の立場も軽くないんだよ」
ずるりとソファから滑り落ちるように元の姿勢に戻ったルヴィ殿下が、肺を空っぽにするように長い長い溜息を吐く。今にも頭を抱えてしまいそうだ。『クソ、こんな奴が当代の聖女かよ。厄介なこと言い出しやがって』とか思っているに違いない。
「とにかく、お前の目的は達成できない。理解したならさっさと部屋にでも戻れ」
「えー。じゃ、盟友ならどうですか? あ、これ『友』って字が入っちゃってる。えーと、じゃあ~」
「じゃあ、じゃない。代替案を考えようとするなこの
「阿呆……」
とうとう罵られてしまった。言われ慣れない悪口をそれこそ阿呆のように繰り返す。ルヴィ殿下は私の様子など気にも止めず、頭をガシガシとかいた。手入れの行き届いた髪が乱れる。
「人の話を聞いていなかったのか? むしろ自分の発言を覚えていないのか? 親しくすることは難しいと理解しているんだろう」
「事実として理解してはいても納得はしていませんし従うつもりもありません。それに難しい、は出来ない、ではありません」
「なんなんだお前」
あなたの国の聖女です。
という言葉は実際口にすると既に乱れた彼の髪が更に乱れてしまいそうだったので、そっと胸の内に仕舞っておく。
だというのに、ルヴィ殿下は頭を抱えてしまった。あれおかしい、ちゃんと胸に仕舞っておいたはずなのに、彼の髪の乱れが酷くなった。
私に振り回されて可哀想なルヴィ殿下に近づいて、ソファの肘掛けに腰を下ろす。彼の纏う、甘くて辛い匂いがふわりと強くなった。
「せっかく異世界に来たんだから好き勝手やりたいことやりたいんです。あなたと親しくなるのがその第一歩です」
「あのな」
「いいじゃないですか。思い出作りみたいなものですよ。どうせ私は元の世界に帰らなければいけないのですから、少しくらい付き合ってください」
殊更親し気に見えるように微笑みかけてみる。私を見上げるルヴィ殿下の目が大きく見開かれた。青と緑の瞳に、私が映りこんでいる。やっぱり綺麗な色だ。
しばし呆然と私を見つめていたルヴィ殿下は、何を切欠にしたのかハッと我に返ると、難しそうに眉を
「誘拐されたという自覚がある割に落ち着いているのは、元の世界に帰れると確信しているからか?」
「帰れる、というか帰らされる、ですね。連れ戻される、が一番正しいのでしょうか」
「……そうか」
静かというか、落ち込んでいるというか気まずそうというか。そんな複雑な暗い声音に首を傾げる。彼が私に帰らないでほしい、なんて思うはずもないのに。迎えが来たら、私が聖女の仕事を半端に残して帰りかねないと憂いているのだろうか。王様たちと神官長から大まかに聞いただけだけど、この国、ゼーレリアに置いて『聖女』はかなり重要な役目を果たすようだから。
安心させるようにニッコリと笑う。
「大丈夫ですよ。お役目はこなしてから帰ろうと思うので。途中で迎えに来られたらめちゃくちゃ駄々を捏ねます」
「堂々と言うことではないだろう」
そうだろうか。そうかもしれない。
唇の下に人差し指を当てて考えていると、ルヴィ殿下に睨まれた。
「そもそも俺が気にしているのは、……はぁ、もう良い。それより仮にも聖女ならそんなところに座るな。というか仮に聖女でなかったとしてもそんなところに座るな」
「え、どっちかだけ立ってたらお話ししにくくないですか? 立ってろって言うなら立ってますけど」
「誰が聖女相手にそんなこと言うか。俺の隣に座れば良いだろう」
自身の隣に置いていた本を膝の上に乗せて、ルヴィ殿下が私を視線で急かす。
びっくりして、思わずパチパチ瞬いた。てっきり話す必要などないから帰れ、とか言われると思っていたのに。
「おい、さっさとしろ」
「あ、はい。すみません」
苛立っているその声に背中を押されて、私はルヴィ殿下の隣に腰かけた。驚きを引き摺ったまま彼をじっと見ていると、不快そうな顔をされる。
「何だ」
「いえその。私のこと追い返すのは諦めたのかなと。さっさと部屋にでも戻れとか言ってたのに」
「…………うるさい」
「嘘ぉ」
薄々、どころかもう最初の方からはっきりと分かっていたが、この王子なかなか口が悪い。私の接し方のせいと言われれば否定は出来ないが。でもいちおう初対面ですよ? 阿呆とかうるさいとか何の躊躇いもなく言いますか普通。
何が気に障ったのか、ルヴィ殿下はまた溜息を吐いている。
「そんなに溜息を吐いていると幸せが逃げますよ。あ、私がいた場所ではそう言うんですけど」
「その下らない迷信ならこの国にもある。そしてお前が言うな。誰のせいでこんなに溜息を吐いていると思ってる」
「私のせいですかねぇ」
「そうだお前のせいだこの阿呆」
「また阿呆って言われた」
本当に口が悪いなこの王子。
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