二話 命のいろで、命の象徴
「わあ本当にオッドアイなんですね」
「ッ⁉」
足元にしゃがみ込む私にようやく気付いて、書斎じみた部屋のソファに座っていたルヴィ殿下は思い切り肩を跳ねさせた。彼が左耳につけた青いクリスタルのようなピアスも跳ねる。この距離でも声をかけられるまで気づかず本を読み続けているなんて、聞いていた通り凄まじい集中力をお持ちのようだ。
私から逃げるように背凭れへ体を押し付けた殿下は、麗しい顔をこれでもかと引きつらせている。それでも麗しさは変わらないのだから、美形というのは得だ。特に左右で色の違う瞳が美しい。そのつり目がちな青と緑の瞳に、怒りの炎が燃えた。
「お前、メイドではないな。誰だ」
「あらら、すみません」
立ち上がって、一歩後ずさる。右足を下げ、両手でスカートを持ち上げ……るのは形状的に難しかったのでそのまま膝を曲げた。その状態で頭を下げる。
「お初にお目にかかります、第二王子ルヴィ殿下。このたび召喚されて参りました、当代の聖女にございます。以後お見知りおきを」
一拍置いて、苦々し気な声が降ってきた。
「日の本の国ではカーテシーの文化はさして根付いていないはずだが」
「あ、これカーテシーって言うんですね。王様たちに会ったあと案内された部屋にいたメイドさんがやってくれて。カッコいいから真似してみました」
ちなみに、私はもうスリッパを履いていない。カーテシーを披露してくれたメイドさんがあれよあれよと服を脱がせ服を着せ、髪を整えきちんとした靴を履かせてくれたのだ。今の私は髪を三つ編みのハーフアップに結い、上品な白のドレスを身に纏っている。なんでもこのドレスは聖女だけが着用を許される特別な衣装なのだとか。わざわざ異世界から誘拐してきた女性に白いドレスを着せるなんて、この国の人ちょっと変な性癖持ってるのかなと思った。失礼すぎる。いくら聖女でも何らかの処罰が下りそうだ。
ほけほけ笑っていると、本を脇に置き、眉間に皺を刻んだルヴィ殿下が深い溜息を吐いた。この年からそんな皺を刻んでしまっていては将来に影響するのではないだろうか。
「……確かに聖女のようだな。言われてみればそのドレスも聖女専用のものだ」
「ご理解いただけて嬉しいんですけど、どの辺りから聖女だとご判断なさったので? 私はお世辞にも聖女らしいとは言えないでしょうし、その口振りですとドレスでお気づきになったわけでもないのでしょう?」
まぁ『聖女らしさ』というものを私はほとんど知らないのだが。それでも自分がそれに相応しくないということくらいはよく分かる。少なくとも『まさに聖女』と称えられるような存在は、初対面の人間の顔を無遠慮に覗きこんだりはしないと思う。
ルヴィ殿下の瞼が半分下ろされた。私に呆れているのがひしひしと伝わってくる。
「王族に謁見することを『会った』などというラフな表現をする人間は限られている。そして俺はそういう人間の顔を全て把握している」
「ほあ、凄いですね」
素直に感嘆する。どうやら彼が凄いのは集中力だけではないらしい。
世界は不公平だ。少しでいいからその能力を分けてほしい。私なんてついさっき会ったばかりのはずの王様たちの顔だって記憶から薄れ始めているのに。あれ、ほんとにどんな顔だったっけ。名前……名前なんだっけ……
私が一生懸命に十数分前の記憶を掘り起こそうとしていると、ルヴィ殿下が眉を顰めたままで言った。
「お前、聖女ならもう滅多なことでカーテシーなんてするなよ」
「え、何故です」
「カーテシーは基本的に女性が目上の相手にするものだ。聖女たるお前はたとえ王族相手であっても簡単にするべきではない。他国の賓客相手であればまた話は変わってくるが」
「こ、こんなにカッコいいのに。ん? 待ってください私もしかして王族より上の立場……?」
「少し違う」
小さく首を振って、ルヴィ殿下はソファに座りなおす。腕を組んで、ついでに足を組んだ。どうやら教えてくれるらしい。不愛想なのに意外と親切な人だ。
「聖女は神の愛し子であり代理人だ。たかが人ごときが作った制度や勢力図の中に当て嵌めることは出来ない」
「ほう」
「緊急時には聖女の
「ほほう」
彼の話を聞いて、顎に手をかける。そのままぐいー、と首を傾けてから、自分なりの結論を出した。
「つまり、非常に面倒くさい厄介者ってことですね?」
「あぁ。ゼーレリアの法も通じないしな」
即答だった。もう少し手心とかはないのだろうか。聖女っていちおう誘拐被害者なのだが。無理やり連れてこられた挙句厄介者扱い腫れ物扱いってかなり酷い。歴代の聖女たちに黙祷。
過去の聖女たちを想って手を合わせていると、物凄く変なものを見る目で見られた。可哀想な聖女たちに祈りを捧げているだけです。奇行ではありませんよ。
「……それで? 聖女サマ。忌み子たる俺に何の御用で? 見世物小屋感覚でいらっしゃったのならどうぞお帰りくださいませ」
優雅な仕草で伸ばされた手が、未だ開けっぱなしの扉に向けられる。白鳥を思わせるような所作だが、吐かれた言葉はなかなか刺々しい。もしかしたらルヴィ殿下にあからさまな敵意を向けていた神官よりも刺々しているかもしれない。
「別にそんな失礼な感覚で来たわけじゃありませんよ」
「碌な挨拶も無しに人の目を覗きこんでおきながらよくおっしゃるものだ」
「それは、まぁ申し訳なかったとは思いますが。でも実はあの距離感になる前に何度か声はおかけしたんですよ? あなた全然気づきませんでしたけど」
聖女らしさには大いに欠ける私だが、流石に挨拶すらしていない人の目を何の迷いもなく覗きこみに行くほど礼を失してはいない。
部屋の入り口から、部屋に入って数歩の場所から、彼が座るソファの傍から、それぞれ一度ずつ声をかけた。それに気づかなかったのはルヴィ殿下の失態だ。私は悪くない。でも気付いてくれないからって足元にしゃがみこんでみたのは私が悪いと思う。ごめんなさい。
ルヴィ殿下は心当たりでもあるのか黙り込んでしまった。きっとこれまでにも自分にかけられた声を無意識に無視してしまったことがあるのだろう。それも、一回や二回では済まないくらい。本当に凄い集中力だ。
「……わるかった」
「いえ別に」
長い沈黙の後こぼされた謝罪に、私は緩く首を振った。悪気があっての無視ではないことは分かっている。悪気があってのことだったら? 泣いてた。
ルヴィ殿下は切り替えるように咳払いをする。
「それで、結局なんの用なんだ。オッドアイの忌み子である俺に会いに来る理由なんて、本気で物珍しいから以外に思い付かないんだがな?」
自他を同時に蔑んでいるような、卑屈な言い方だった。ちょっとカチンと来る。そんなに綺麗な目をしているくせに、なんて理不尽なことを思ってしまった。
それをそのまま口に出さないように小さく息を吐いて、彼を正面から真っ直ぐ見据える。深い海の底を掬い上げてきたかのような青と、森の息吹をそのまま閉じ込めたかのような緑。やっぱり、羨ましいくらい綺麗な瞳だ。
「そんな風に蔑まなければならない色ではないでしょう。海も森も命の象徴。あなたの瞳は素晴らしい色をしていると思います」
「聖女たるお前が忌み子の俺におべっかを使う必要はない」
「違います。心からそう思っています。えぇ心から。ですから、少なくとも私の前ではあなたの色を蔑むようなことをおっしゃらないでください。ムカッと来ます」
「身勝手だな」
「誘拐犯ほどでは」
バチバチと睨み合う。おかしい、こんなつもりで来た訳じゃないのに。でも引くに引けなくなってしまって、私は目元に力を込めた。
「そもそも、異界から来た私にあなたを忌む理由などありません」
「…………はぁ」
やがてルヴィ殿下は大きな溜息を吐いた。ソファに思い切りもたれかかると「それもそうだな」と煩わしげに呟く。
「お前相手に意固地になるのが馬鹿らしくなってきた」
「どういう意味ですかね」
それには答えず、ルヴィ殿下は鼻を鳴らす。
「それで? 俺に何の用だ、聖女サマ」
自分の中で目的を再確認して、これ以上ないほど愛嬌たっぷりなとびっきりの笑顔を向ける。
「私とお友達になってください、ルヴィ殿下!」
「はぁ?」
あれ、おかしい。反応が辛口過ぎませんか。
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