忌み子の聖女の愛し方
たると
一話 めのいろ忌み子、におい甘辛
──甘くて辛い匂いがした。
白いローブを纏った神官たちに囲まれながら王城の廊下を歩いていた私は、つい足を止める。ペタリというスリッパの音と共に、腰まである黒髪が揺れた。ふわふわとした癖のある髪は、毛先だけが赤く染まっている。
匂いの出所を探して首を巡らせると、開け放たれた書斎じみた部屋の中、ソファに座って一心不乱に本を読む青年を見つけた。
深い海の底を掬い上げてきたかのような青い瞳を手元に向けて、ひたすらに本を読んでいる。昼の光を受けながらさらりと垂れる、艶やかな茶髪の隙間から覗く顔立ちは、とても整っていた。ちょっとにこりと微笑めば道行く女性はみんな虜になるだろうな、というような美しさがある。
まぁ私はあんまり顔とか見た目に興味がないから『綺麗だなー』と思うくらいなんだけど。……思うくらい、のはずなのに何故か目が離せない。面食いに宗派替えした覚えはないのに、どうしようもなく彼に気を惹かれてしまう。
突然立ち止まった私に、左後ろの神官が声をかけてきた。
「聖女様? いかがなさいましたか」
「あの、あそこの人は」
彼を見つめたままで問いかける。私の視線を辿った神官たちに、僅かな緊張が走った。頭から爪先までをすっぽりと覆うローブ越しでも彼らが困っているのが分かる。それから、少しだけ嫌悪や軽蔑といった感情を滲ませたことも。
何か不味いことを尋ねてしまったのだろうか。まさか人の名前を尋ねるのが不敬に当たるとか? さすが異世界、謎すぎる。何の説明もなくこっちの世界に召喚したくせに、特有のルールやマナーを押し付けないでほしい。こちとらつい数分前に初めてこの世界の地を踏んだんだぞ。
神官たちの態度を訝しんでいると、唯一ローブではなく荘厳な神官服を身に着けた壮年の神官長が、小さな溜息を吐いた。私たちを先導するために先頭を歩いてくれていた彼の方へと目を向ける。
灰色の長髪を緩く一つに纏め、灰青色の瞳に厳格そうな光を宿した彼の表情は、先ほどまでよりも少し厳しくなっている気がした。けれど他の神官たちとは違って、そこに嫌悪や軽蔑は浮かんでいなかった。
眉間に刻んだ皺を深くしながら、それでも落ち着きのある低い声で答えてくれる。どうやら名前を尋ねるのが不敬とされているわけではなかったようだ。
「我がゼーレリア国の第二王子、ルヴィ・ゼーレリア殿下です」
「ルヴィ……ゼーレリア」
教えてもらった名前を何となく反復する。この場合、ルヴィが名前でいいのだろうか。私が異世界から来たというのもあるだろうが、不思議な響きの名前だ。妙に頭に残って、離れない。また彼──ルヴィ殿下をまじまじと見ていると、神官長が言った。
「日の本の国からいらっしゃった聖女には少し発音し辛いでしょうか」
「いえ、そんなことは」
気遣うように、と表現するには些か無感情すぎる言葉に、私は首を振る。確かに馴染みのない名前だが、まぁ発音くらいなら何とかなるだろう。何とかならなくても誤魔化す。多少噛もうが『ルビ』とか『ルイ』とか間違えようが誤魔化す。王族に対して不敬だなんだと言われそうだが、私は突如として誘拐されてきた身だ。その程度見逃してもらおうじゃないか。
そんなことよりも私が心配なのは名前をど忘れしないかと言うことだ。自信満々に言うが、私は顔と名前を一致させることを誰よりも不得手としている。顔を覚えれば名前を忘れ、名前を覚えれば顔を忘れる。ちょっと嚙んだとか言い間違えたとかなら誤魔化しようもあるが、そもそも名前の一文字目すら思い出せなかったらどうしようもない。曖昧に笑ってしれっと逃走するくらいしか出来ない。しかもその逃走だって筋力気力体力全てが平均値以下な私では、すぐ限界が来てしまうだろう。
彼と対面していないどころか存在を認知すらされていなさそうなのに、もうこんな心配をしているのが情けない。
けれど、何だか。そんな心配をしておいてなのだけど。
彼の名前を忘れてしまうようなことはない気がした。それが何故なのかは、自分でも分からない。
尚もルヴィ殿下を見つめていたら、私の右後ろに立つ神官に急かされた。
「聖女様、早く参りましょう。陛下たちがお待ちです」
どんなに鈍くても察せるほどありありと敵意が込められた刺々しい口調にびっくりしてしまう。ぼけっとしてたのは悪いと思いますけど、そんなに怒らないでください。
でもどうやらその刺々しさは私に向けられたものではなかったようで、彼の視線は一瞬ルヴィ殿下へと向いた。被ったフードのせいでルヴィ殿下や神官長のようにはっきりとした容貌は分からないが、意識と目がどこに向けられたかくらいは首の動きで推し量れる。最初にどうかしたのかと聞いてくれた神官が、咎めるような声を上げた。
「おい」
「なんだ、本当のことだろう。ここで第二王子殿下なんかにかかずらっている暇があるなら、さっさと謁見の間に向かうべきだ」
「お前な……!」
悪びれもしないどころか不遜に鼻を鳴らす彼に言い合いが始まりそうになる。碌に人と関わってこなかった私が、喧嘩の仲裁方法なんて知っているわけがない。どうすればいいのか分からなくてオタオタしていると、大きな咳払いが聞こえた。神官長だ。睨み合っていた神官たちと共に振り返る。彼は非難の色を乗せた目で二人を静かに見据えた。決して声を荒げた訳でも分かりやすく睨みつけている訳でもないのに、空気がピンと張り詰める。神官たちは勿論、無関係なはずの私まで勝手に背筋が伸びた。
「いらっしゃったばかりで不安であろう聖女の前で要らぬ諍いを起こすな」
「……すみません」
「申し訳ありませんでした」
威厳ある響きに、事の発端な神官は萎れ、咎めようとした神官は粛々と腰を折った。それを厳しい目で見た神官長は、再び小さな溜息を吐く。
「ルヴィ殿下は凄まじい集中力をお持ちの方だ。お前の言葉は聞こえなかったであろうが、聞こえなければ良いというものではない。我らは王族ではなく神、ひいては神に愛されし聖女に仕える身ではあるが、いやだからこそ分を弁え、言葉や態度、立ち居振る舞いに気を付けるべきなのだ。分かるな?」
「……はい。今後、このようなことのないように致します」
叱責の原因になった神官は縮こまり、すっかり俯いてしまった。でも反省しているというよりは拗ねているという風なそぶりだ。声も若いし、もしかしたら神官の中でも新人なのかもしれない。彼の内心を見抜いているのか、神官長の眼差しは一向に和らがなかった。しかしこれ以上この場で彼を責めても同じだと思ったのか、やがて組んでいた腕を解く。額に手を当てながら私に謝った。
「申し訳ありません、聖女」
「いっ、いえ。謝っていただくようなことでは」
確かに突然言い争いが始まりそうになって慌てたが、だからといってわざわざ謝ってもらうようなことではない。それも当事者ではなく神官長に。いや、神官を取り纏める神官長だからこそ謝っているのかもしれないけど。両手を胸の前でパタパタ振って気にしていないことを伝える。
ルヴィ殿下は本当に凄い集中力を持っているらしく、私たちがこうして騒いでいても気付いた様子はなかった。別に声を潜めて話しているわけでもないのに。彼の手が、またいちまい
「あの」
「はい、何か」
「ルヴィ殿下ってどんな人なんですか?」
「は」
そう聞くと、ずっと気難しそうな顔をしていた神官長が目を丸くした。いくら本人の耳には届かなさそうだとはいえ、こんな近くで問うことではなかったかもしれない。でも気になって仕方なかったのだ。
仮にも一国の王子である彼が、神官たちからこうもあからさまに嫌悪や軽蔑を向けられる理由が。彼の人となりが。
ルヴィ殿下は相も変わらず本に夢中になっている。少し顔が整いすぎてはいるものの、それはごく普通の青年の姿で、嫌われなければならないような人だとはとても思えなかった。
神官長は今までよりも更に難しい顔をして黙り込んでしまった。その視線は迷うように斜め下に落ちている。考え込んでいる彼の代わりに、左後ろに立つ神官が答えてくれた。
「ルヴィ殿下は、忌み子なのです」
「え?」
心臓がどくんと鳴った。
まるで自分にその言葉が向けられたかのような気がして、胸元を掴む。血の巡りが早くなったのに、体は端から冷えていった。その影響が頭まで来る前に声を絞り出す。
「どうしてですか」
「目の色です」
「……めの、いろ」
次に教えてくれたのは右後ろの神官だった。彼の言葉をただ拙く繰り返す。嫌そうな、心底忌み嫌っているような語調で吐かれた理由は、私の抱く動揺を増すばかりだ。目の色、目の色、めのいろが。ルヴィ殿下はやっぱりまだ青の瞳で本を読んでいる。あの綺麗な色の、何が禁忌だというのだ。
最後に神官長が説明してくれた。
「我が国が祀る神と敵対していた神が、左右で違う色の目を持っていたとされるのです」
「オッドアイ、ってことですか」
「えぇ。ゼーレリアではオッドアイは忌み子の象徴。ここからは見えませんが、ルヴィ殿下の左目は青ではなく緑なのです」
神官長がルヴィ殿下を見る。その灰青色の瞳には痛ましげな光が宿っているように思えた。神を崇める人々を束ねる存在だというのに、そこから他の神官のような嫌悪はやっぱり感じられない。彼につられてルヴィ殿下に目を向けた。
目元をなぞるように、赤に近い、濃い桃色の瞳を抱く目元をなぞるように、指を這わせる。
「そう、なのですか」
私が彼に惹かれる理由が、よく分かった。
次の更新予定
忌み子の聖女の愛し方 たると @0123taruto
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