第28話 裁判終結

判決を待つ法廷には、開廷時よりさらに多くの人が押し寄せて、秋口だというのに熱気で汗ばむほどであった。

廷吏と騎士たちは混乱を避けるため、宗教裁判所の建物全体を開放して、傍聴希望者を強制的に移動させねばならなかった。

雨はいつの間にか上がり、分厚い雲からは、真っ白な陽光が輝く柱となって濡れた大地にそびえた。

再び、3名の裁判官が法廷に姿を現す。傍聴者は一斉におしゃべりをやめて、注目した。中央のファルドンが口を開く。


「まず、皆さまに申し上げるのは、本件につき、判決は出ないという事です」


ローリーは驚き、席を立った。法廷内がざわつく。


「というのも、先ほど、追及者側から訴えの取り下げがありまして、スパイ罪については後日、改めて公判期日を設けたいと思います」


「裁判長!そのような露骨な訴訟引き延ばしをお認めになるのですか!?」


ローリーが発言する。傍聴席の騎士や、観衆からは、同調する声が上がり、ヤジが飛ぶ。


「弁護人の発言ももっともですが、追及者から、訴因変更の申し出がありまして、スパイ罪から信書開封の罪に、審判内容が切り替わります」


「そんな!」


バルカスは組んだ掌で笑みを隠す。小僧、俺を怒らせたらどうなるか、思い知らせてやる。あと一日、一日だけでよい。どんな軽微な罪であれバスチオンの身柄拘束が延長されれば、俺は絶対に自白を引き出して見せる。モンテス八世など怖くはない。どんな人間でも耐えられぬような拷問を尽くして、絶対に自白を引き出して見せる!そして奴をスパイ罪で死刑にしてやる。バルカスは立ち上がった。そして高らかに述べた。


「そういう訳だ。ローリー君。訴訟準備が無駄になったことは詫びるが、それが裁判制度というものなのだよ」


ファルドンが申し訳なさそうにローリーに語る。


「弁護人ローリー。それでは信書開封罪について、裁判期日を設定します。希望はありますか」


ローリーはうつむいたまま動かない。法廷は静まり返った。ローリーに同情の視線が集まる。バスチオンのみが、微笑みながらローリーに視線を送った。


「…よいでしょう」


顔を上げたローリーは、にこやかな笑顔を浮かべている。弁護人は疲弊し、おかしくなってしまったのか?もちろん、そうではない。


「信書開封罪、王国刑法第133条、その罰則は1年以内の懲役ゆえ…」


ローリーは思い出すように右上に視線を向ける。システムのディスプレイが感知できない観衆には、ローリーはまさしく神童と映る。


「保釈制度が認められる軽微犯罪ですね。弁護人はここに100万シュケルの身代金をお預けいたしますので、被告人、バスチオンの身柄拘束を解いてもらいます」


法廷内が再びざわつく。ファルドンは法律書のページを慌ててめくり始める。追及者バルカスが立ち上がった。


「保釈?被告人の身柄解放など、追及者側は承服できません。逃亡、証拠隠滅の恐れがある!」


ローリーがバルカスに向き合う。


「バルカス、あなたの同意など、保釈の条件ではない。これは必要的保釈と言って、条件を満たす限り、必ず身柄が解放される制度です」


「馬鹿な。口から出まかせを。バスチオンを逃がすつもりだな!」


「口を慎みなさい。バルカス。神聖な法廷内ですよ」


ローリーは静かに、しかし力強く言い放った。法廷は一瞬の静寂に包まれる。


「逃がすだって?それを防ぐための身代金です。そしてバスチオンは現に総督代理の地位にある。私も、彼も、逃げも隠れもしない!」


ファルドンはなおも法律書にかじりついている。他の2名の裁判官が目で合意する。やがてステフォンの裁判官が発言した。


「弁護人の言う通り、本件は必要的保釈の認められる軽微事案です。保釈金を確認しましたので、被告、バスチオンの身柄を開放します」


傍聴席から歓声が上がる。ローリーは被告人席に歩んでいく。バスチオンがローリーを見上げる。その顔は幾分とやつれたように見えるが、いつもの微笑が浮かんでいた。


「信じておりましたよ。ぼっちゃまを」


「僕だってそうさ」


ローリーは廷吏に、バスチオンの腰縄を解くように指示した。


法廷内はローリーを称える声で満ちていた。バスチオンを伴って法廷を去ろうとするローリー。だが、その前にバルカスが立ちはだかった。


「まて!勝負はまだついていない!」


「期日については追って沙汰します。僕たちは中身のない法律遊びにこれ以上、付き合うつもりはありません」


「必要的保釈とやらの根拠条文を述べろ!」


ローリーはため息をつく。その時、周囲の騎士たちと目が合った。


「勉強をやり直すことです。もっと謙虚にね。あなたは八歳の子どもにすら、裁判で負けたのだ」


バルカスは騎士達に両脇を抱えられた。


「何をする!無礼な!私は王国の追及者だぞ!」


「そんなことはわかっている!俺たちは貴様を本国に送り届けねばならんのだ!気が進まぬ任務だがな!」


法廷から引きずるように連れ出されるバルカス。何事かわめいていたが、その声は歓声にかき消された。


バルカスが迎賓館に連行されると、そこにはすでに、同行していた王国の書記官たちも待たされていた。


「今日中に書類を作成する!手続き期日が過ぎてしまうからな」


バルカスは歪んだ笑みを浮かべ、作業を始める。執念深い男である。この期に及んで、裁判を蒸し返そうとしていた。


すると、会議室に意外な人物が入室してきた。


「これは、ヤグリス夫人…」


バルカスは席を立って一礼する。ヤグリスもドレスの裾をつまんで、それに倣った。


「私の失態を、ファルドン司祭からお聞きになったのですね」


ヤグリスは目を細めた。ファルドン?唐突に出た名であると感じたが、話を合わせる。


「ええ、そうです。しかし、失態とはずいぶん、ご自身を卑下なさる」


ファルドン司祭と追及者バルカス。妙な取り合わせではあったが、二人は律法研究会で議論を重ね、ヤグリスは彼らと何度か食事の席を共にしていた。

ヤグリスが微笑み、告げる。


「しかしブレイクがバスチオンを告訴するとは、正直、背中から刃物を突き立てられたような思いです」


「さようですか。だが私とて、組織の命で動いている」


「組織の?ファルドンの命じ、では?」


バルカスは沈黙した。それが答えであった。ヤグリス、貴様が背後で糸を繰っているのだろう?…ここで私を切り捨てるつもりか。バルカスの紳士然とした態度が、崩れ始めた。


「バスチオン、あの男はいずれ、モンテスに害をなすことでしょう。ローリーを手懐け、意のままに操るつもりだ。貴女のご愛息、ローリーを」


「そう、確かに、とらえどころのない男です。しかし、これ以上の追及は私が許しません。手をお引きなさい。バルカス」


もはや二人は周囲の書記官たちに憚らず、意見を交わしている。書記官たちは火の粉を避けるように、離れて窓際に寄った。


「法廷でコケにされ、私がこのまま引き下がるとお思いか」


「判決は出ていません。勝負はついていない。訴えを取り下げれば、あなたの経歴に傷などつかない」


「ほう、取引しようというのか。王国追及者である私と」


ヤグリスは薄く笑む。妖艶とさえいえる美貌、しかし、その瞳は蒼月のように冴えている。


「ある御仁に言われたのです。法廷では剣の腕など、役に立たないと。しかし、ここは法廷ではない」


バルカスはヤグリスの瞳をぼんやり見つめていたが、彼女が、いつの間にか鼓動を聞き取れるほどの距離にいることに気付き、背筋に冷たいものを感じた。


「あなたは今まで、安全な場所から他人を陥れることを楽しんできました。その地位をいつまで保っていられるかしら?」


「…私を恫喝する気か、ヤグリス」


「恫喝などではない。忠告です。私の部下は忠実だ。騎士たちは、私が心で命じても、それを実行する。もっとも、モンテス城内であれば、あなたの身の安全は団長である私が保障できる」


バルカスは部屋の外に、カチャカチャという刀帯のすれる音を聞いた。武装した集団の気配を感じる。その顔から血の気が引いていった。


「わかった。再起訴は見送る」


バルカスはすぐさまカバンに荷物を詰め始めた。ほっとしたように書記官たちも荷物を持った。


「王国の馬車はすでに発っていますよ。騎士団が本国までお送りしますから、お待ちを」


「なんだって!?」


慌てて部屋を出ようとするバルカス。しかし、入室してきた巨躯の騎士に押し戻される。


「領地の境は強盗団が多い。身なりの良いもの、貴族、ましてや王国の追及者などは必ず狙われる。もっとも…」


ヤグリスは哀し気にうつむいた。


「死体は大抵、裸でどぶに打ち捨てられることになる。どこの誰かわかろうはずもない」


「私の馬車をどうした」


バルカスの声が震えている。


「退去させました。約束の期限が過ぎましたので。早く乗り込めばよかったものを」


騎士たちが続々と入室してくる。皆一様に無言で、バルカスを睨みつけている。バルカスの足が音を立てて震えはじめる。書記官たちは凍り付いたように動かない。


「人を罪に陥れる者。犯罪者を作り上げる者。無辜を罰するもの。これら皆、マヌーサの法に反するもの」


ヤグリスが優しく、歌うように諭す。


「これら皆、モンテス騎士団の敵である」


突然、バルカスはヤグリスの前にひざまずいた。


「お、お許しください、騎士団長様。非礼が過ぎました。貴女のお申し付けに従います!どうぞお目こぼしを!」


ヤグリスは微笑み、巨躯の騎士に命じる。


「ウィリアム、護衛を選んで。バルカス殿は悔い改めました。命だけは必ず持ち帰らせなさい。後はよろしく頼みます」


モンテス騎士団、第二分団長ウィリアムが頷き、号令をかける。


「団長がご退出なさる。総員、気を付け!…わかれっ!」


ヤグリスは敬礼を返すと、退室した。


さて、その後バルカスがどうなったか…王国追及者である彼の名誉のために、具体的記述は差し控えたいと思う。

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ローリー・グローリーストーリー~八歳、神童、国家運営をする~ かくはる @kakuharu2024

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