営業夜曲!

崔 梨遙(再)

1話完結:1400字

 僕が30代の前半の時。僕は、広告代理店(求人広告屋、ひいては採用コンサルティング会社)に勤めていた。当然のことだが、お客様の所を或る程度定期的に訪問していた。話すことはいくらでもある。申込み書をもらうだけが営業ではない。応募状況の確認や不満が無いか? などのヒアリングやフォローも営業の仕事なのだ。


 それは、或る日、某企業をうかがった時のことだった。お茶を出してくれた女性の事務員さんにこう言われたのだ。


「崔さんって、元暴走族らしいですね!」

「はあ?(← 全く意味不明)」

「それが今は売れっ子の営業マンらしいですね」

「いえいえ、まだまだ売れっ子ではないですけど」

「でも、よく更生しましたね。素敵です」

「え? あ、はい(← 更生? なんとなく相槌)」

「ウチの事務員の中では、崔さんの噂が流れてるんですよ」

「え? 噂ですか?(← 何の噂? 嫌な予感しかしない)」

「みんな、崔さんに興味を持っています」

「あ、それはどうも(← やっぱり相槌)」

「当時の武勇伝があれば、今度ゆっくり聞かせてくださいね」

「武勇伝? そんなたいしたものは無いのですが……」

「謙遜するところがいいですね」

「いえいえ、謙遜じゃなくて」

「知ってますよ、昔は有名だったらしいじゃないですか」

「有名? いえいえ、昔も今も無名ですよ」

「あ、部長が来られました。じゃあ、また」


 人事部長が入って来たので事務員は退室した。


 僕は、人事部長に今の事務員のことを話した。


「すみません、僕、今、女性の事務員さんに“崔さんって、元暴走族らしいですね”って言われたんですけど、どういうことですか?」

「あ! 言われたの? わははははははは」

「全く意味がわからないんですけど、どういうことですか?」

「いやぁ、事務員に“崔さんってシャープな感じですね”って言われたから、“崔さんは、元暴走族やからなぁ”って、冗談を言ったんや」

「それで?」

「冗談のつもりやったけど、意外と素直に信じ込まれたから、そのまま放っておいたんや。おもしろいから」

「それで? それでさっきあんなことを言われたんですね」

「放っておいたらええやんか、おもしろいから」

「嫌ですよ、僕、“よく更生しましたね”って言われたんですよ」

「更生って! わはははははは。まるでどこかに行ってたみたいやなぁ」

「僕、鑑別所も少年院も入ってないですよ」

「わかってる、わかってる、でも崔さん顔! 目つき! 細くて目尻が吊り上がってるし、その他諸々、いろいろシャープやから怖く見えることもあるねん。細いのに体型も逆三角形だし、髪もオールバックやし」

「なんでオールバックにしてるか? 言いますわ。僕、頭のてっぺんの髪が薄くなってるんです。だから、前髪を後ろに持って行ってるんですよ。禿げ隠しですわ」

「禿げ隠し? 禿げ隠しやったんや! わははははははは」

「暴走族どころか、僕、オートバイの免許も持ってないですからね」

「わははははははは、あー! 笑いすぎて苦しい」

「次に来る時までに、事務員さん達の誤解を解いておいてくださいね」

「わかった、わかった、ほな、仕事の話をしようか?」


 そして次回。お茶を出してくれる事務員さん。


「崔さんって、暴走族の中でも総長だったらしいですね!」



 “ますます状況が悪化してるやないかーい!”







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営業夜曲! 崔 梨遙(再) @sairiyousai

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